平成23年8月5日(金)
とうとうホームページをリニューアルしてしまった。以前から当院のホームページは古くさいと言われていたが、自分では結構気に入っていて、かえってユニークだと思っていた。でも記載内容を新しいものに替えたり、ブログ管理などが難しくなって決心したわけである。
平成9年(1997年)に開院した当時は、医療機関の宣伝は禁止されていた。これは今でもそうであるが、診療科名・場所・診療時間・交通機関など必要なこと以外は広告できないように規制されている。タウンページ(電話帳)の広告も使える単語が決まっていて、少しでも宣伝が入るようなら断られるのである。得意分野をアピールすることすらできないのは、かえって患者さんのためにならないと思っていた。けれどもネットを使ったホームページにはそれらの規制はなく、自由に伝えることができることがわかり、素人であるがこの方面に詳しい知り合いに頼んで作ってもらった。これを使えば伝えたいことがアピールできるし、なによりコストがかからない。平成12年(2000年)に公開し、カウンターをつけてどれぐらいの人が見てくれるのか期待していた。
ところがというか、当然というべきか、カウンターはほとんどまわらない。数ヶ月経っても状態は変わらず、作りかえる気持ちにもならず放置していた。
ある時、どんなにいいホームページを作っても、更新がなければ人は見ないということに気づき、エッセイを書いて更新していったらどうかと考え何篇か書いてみた。でも、すぐにテーマが枯渇することに気づき中止。その頃本屋で偶然見つけた「開業日記」という、精神科のドクターが書いた本を見て閃いた。日記形式にすれば続けられることに気付いたのである。(この項続く)
カテゴリー 日々是好日
ホームページリニューアル①
ウインブルドン
平成23年6月24日(金)
ウインブルドンのテニスが始まった。おとといの夜はクルム伊達選手があのヴィーナス・ウイリアムスを相手に一歩も引かず、すばらしい戦いを見せてくれた。正直なところ、40歳の伊達選手がここまでやれるとは思わなかった。夜12時を過ぎて始まるので、一応録画するようにしていたのだが、つい見てしまったら目が離せなくなった。寝不足になると困るので、惜しかったけれど途中で無理にテレビのスイッチを切って寝たが、翌日録画を見て感嘆したことである。
昨夕は超音波の講演に久留米大学から来られた先生がテニスが好きで、やはり見てしまって寝不足です、とおっしゃっていた。わが国ではスポーツを始め他の分野でも、世界に通用するのは女性である。男たちはあまり冴えないのはどういうわけだろうか。でも、その優秀な女性たちを同胞と思えるのはうれしいことである。
五月晴れ
平成23年5月13日(金)
久しぶりの長雨の後、一転して今日はまさに五月晴れ、気持ちのいい天気だ。人の気持ちなんてちょっとしたことで変わるが、やはり天気は大きいと思う。
北陸から山陰にかけての裏日本(失礼な言い方だと思うが)は天気の日が少ないというが、瀬戸内地方は晴れの日が多いのはありがたいことである。ただ自分は日本一晴天の日が多いという岡山で育ったので、広島に来た当初は結構曇った日が多いと感じていた。でも20年も住めばこれが当たり前で、ありがたいことだと思っている。
昔からお天道様に手を合わせて拝むという風習があったが、歳を重ねるにつれそれが当たり前のことだと思うようになった。お天道様というか何か大いなるものに対する感謝の気持ちである。
連休
平成23年5月7日(土)
当院は暦通りなので連休は3,4,5日だけだった。勤務医だった頃は、連休がゆっくり休める貴重な時だったが今は、特に予定がなければ連休が欲しいとは思わない。
今回は、一日は鳴門の大塚国際美術館、一日は孫を連れて備北丘陵公園、一日は能美島で釣りと野菜作りを趣味にしている人のところへ行ってメバルや野菜をご馳走になった。釣りを趣味にしている人がつくづく羨ましかったが、今から始めるのは難しそうだ。でも釣りに加えて晴耕雨読は魅力的ではある。弟子にしてもらおうかと思ったことであった。
夕食
平成23年4月2日(土)
桜の開花も始まり、そろそろ花見のシーズンになろうとしている。毎年、この季節になればうきうきして全国的に花見酒としゃれこむ人が多い。今年は大震災の影響があまりにも大きく、被災された人たちのことを思うと単純に喜べない。今回の震災もたまたま自分たちの地方に起こらなかっただけで、いつ災害に遭うかわからないのである。
他県で学んでいる息子が春休みで帰広し、嫁いでいる娘たちと孫、全員がそろった夕食は久しぶりであった。気持ちよく酔ったが、こういう機会もあと何回あるかわからない。何が起きるかわからないのが人生である。やはり、今この時を大切にしていくしかないと思ったことである。
七変化
平成23年3月26日(土)
嵐山光三郎によれば、女は7年毎に変貌するそうである。どれほどかわいい娘さんでも、結婚して7年たつとおばさんになる。14年たつと妖怪となり、21年たつと鬼婆になり、28年で超獣となって、それ以上たつと手のつけられない神様となり、これをカミさんという、とある。
うまいことを言うものである。比べて男性は残念ながらいつまでたっても変身できそうにない。初めは強くてたくましそうに見えても、歳をとるにつれて衰えて行く。枝雀の落語を聞いても男は向う意気だけは強いけれど、いつもカミさんにやられっぱなしである。確かに神様になったカミさんに逆らえるはずがないのである。
桃の節句
平成23年3月3日(木)
桃の節句。暖かい日が続いていたが、また寒さがぶり返してきた。これをあと2~3回くり返したら春になる。まことにわが国の季節のうつろいは風情がある。昔から季節の節目にささやかなお祝いをして寿いできた。あと数日で啓蟄である。
国会でも、相撲界でも、入試でもおかしなことが起こっているようだが、それらをすべて飲みこむように季節が過ぎて行く。きっと人生もそのように過ぎて行くのだろう。その場その場で懸命に生きているうちに、ふと振り返ると自分の来し方の概要が見えてくる。それをどう感じるかは人それぞれだろうが、どうであれ今この時が現実なのである。
青春期に愛読した「次郎物語」のなかに、やはり思春期の次郎が進むべき道について考える場面がある。人は生まれおちた時から進むべき道、到達点などすべて運命づけられているのではないか。そして「努力」というのは、運命づけられたわずかな道幅のなかの移動にすぎないのではないか、と。さらに、次のようにも考える。生まれた時を円の中心として到達点を円周とすると、考え方や努力などによってわずかな方向の違いでも、円周に到達したときには大きな違いがあるのではないか、と。また、円周に到達すれば、「運命」から解放されて自由になれるのではないか、と。
季節の移ろいを感じていたら、久しぶりに昔の頃のことを思い出した。そしてその考え方は今も変わっていないと思うのである。
寒い日々
平成23年2月2日(水)
先週末より今週にかけて寒い日が続き、日本海側では大雪で交通の混乱が起きている。広島は今日あたりから普通になってきたが、月曜日の朝、アシスト自転車のスイッチを入れるとランプが点滅する。こんなことは初めてだったが、一応動くので時間もないしそのままクリニックまで乗ってきたが、電池が無くなってしまった。アシストの電池が無くなれば、普通より漕ぐのが重いただの自転車になる。
後で調べたら、寒い日は電池の消費速度が極端に早くなるとのこと。電池をはずして室内に置いておけば問題なかったらしい。アシストを使いだして2回目の冬だが初めての経験で、それだけ寒かったということだ。おかげで帰りの自転車はいい運動になった。
風邪
平成23年1月27日(木)
数日前からのどが痛く、今日は朝からボーッとしてくしゃみ、鼻水が出て風邪のようだ。熱を測ってみたら36,5度と平熱である。それでも午後から休診の日なのでゆっくり休むことにした。スポーツクラブも夜の勉強会も欠席して暖かくして早寝がいちばんである。
昔から自分はめったに風邪をひかない。今から13年前、開業して間もないころクリニックのスタッフ、カミさんも含めほぼ全員が交代でインフルエンザに罹ったことがある。39度以上熱がでてほんとにしんどかったのを覚えている。それ以降はありがたいことに軽い鼻風邪ぐらいで済んでいたが今回は若干しんどいようである。まあ、おいしいものを食べて暖かくして寝れば治るだろう。