平成23年8月30日(火)
昼休みに食事に出たら驚いたことに、筋向いにあったセブンイレブンの撤収作業をしていた。たしか昨日までは営業していたはずである。よく店が入れ替わること。店のあった場所はこの14年でミスタードーナッツ→スターバックス→セブンイレブンと替わってきた。クリニックを開業した頃に作ったパンフレットやホームページに、場所を示す目印として使っていたので、なんども変えるのはかなわないと思っていた。セブンなら簡単には替わらないだろうと思っていたが甘かった。次には何ができるのか知らないが、もう目印に使うのはやめよう。
もっとも、いちばん大きく変わったのはダイエーがあった場所である。ダイエーがなくなってデオデオになり、今は駐車場(グランドパーキング本通)になっていることをだれが予想できただろうか。広島の中心で最も変わりやすい場所とはいえすごいことである。
カテゴリー 日々是好日
セブンイレブンの撤収
孫誕生!
平成23年8月16日(火)
予定日を過ぎてもいっこうに生まれる気配がなかった次女に、無事男の子が生まれた。長女にはもう女の子がいるので、自分にとっては二人目の孫になる。本当によかった。以前にも書いたが、娘のお産はじつに心配なものである。これは自分がその立場になってみないと実感できないことで、かつて赤ちゃんを取り上げていた頃には、妊婦さんのご両親がどんなに心配しているか実感できなかった。
生まれる前日の夜、お盆休みで次女夫婦、長女とその娘、長男、久しぶりに全員がそろっての宴会も終わり、「いつになったら生まれるのかな」と言いながら片づけているときに破水、急遽入院となった。入院時には陣痛は全くなかったので皆帰宅。まだこれからと思っていたその深夜から陣痛が始り午前中に無事誕生、お世話になった先生、スタッフに感謝、これ以上望むことはない。
新しい命の誕生はうれしいことで、今日からいっそうはりきって診療できることだろう。
ホームページリニューアル②
平成23年8月10日(水)
今でこそブログはあたりまえだが、平成16年(2004年)当時の医療機関のブログは少なかった。そこで娘に頼んでホームページをブログが書きこめるようにリニューアルしてもらった。といってもブログ以外の内容はほとんど前のままで、字の間違いなどを直したぐらいだけれど。
ブログの題名は①に書いたように「開業日記」のパクリで「診療日誌」とした。初めは毎日書くことにしたがすぐに無理だとわかり、結局週一回というところに落ち着いている。これなら負担はほとんどなく快適に書ける。ブログを始めて驚いたことは、各方面からメールが来るようになったことである。中には故郷の同級生からのメールもありなつかしく励みになった。患者さんからの質問メールも増えた。そうしているうちに、なんだかんだともう7年も続いてしまった。歳と共に記憶力がおちているが、これを読み返してみれば日記のように当時の記憶がよみがえる。ありがたいことである。
今回はプロにお願いして本格的にリニューアルしてもらった。内容も現在の医療に合わせて書き変えた。何よりブログを充実できるように変えてもらったことがうれしい。いつまで続けられるかわからないが、無理をせず書いて行こうと思う。
ホームページリニューアル①
平成23年8月5日(金)
とうとうホームページをリニューアルしてしまった。以前から当院のホームページは古くさいと言われていたが、自分では結構気に入っていて、かえってユニークだと思っていた。でも記載内容を新しいものに替えたり、ブログ管理などが難しくなって決心したわけである。
平成9年(1997年)に開院した当時は、医療機関の宣伝は禁止されていた。これは今でもそうであるが、診療科名・場所・診療時間・交通機関など必要なこと以外は広告できないように規制されている。タウンページ(電話帳)の広告も使える単語が決まっていて、少しでも宣伝が入るようなら断られるのである。得意分野をアピールすることすらできないのは、かえって患者さんのためにならないと思っていた。けれどもネットを使ったホームページにはそれらの規制はなく、自由に伝えることができることがわかり、素人であるがこの方面に詳しい知り合いに頼んで作ってもらった。これを使えば伝えたいことがアピールできるし、なによりコストがかからない。平成12年(2000年)に公開し、カウンターをつけてどれぐらいの人が見てくれるのか期待していた。
ところがというか、当然というべきか、カウンターはほとんどまわらない。数ヶ月経っても状態は変わらず、作りかえる気持ちにもならず放置していた。
ある時、どんなにいいホームページを作っても、更新がなければ人は見ないということに気づき、エッセイを書いて更新していったらどうかと考え何篇か書いてみた。でも、すぐにテーマが枯渇することに気づき中止。その頃本屋で偶然見つけた「開業日記」という、精神科のドクターが書いた本を見て閃いた。日記形式にすれば続けられることに気付いたのである。(この項続く)
ウインブルドン
平成23年6月24日(金)
ウインブルドンのテニスが始まった。おとといの夜はクルム伊達選手があのヴィーナス・ウイリアムスを相手に一歩も引かず、すばらしい戦いを見せてくれた。正直なところ、40歳の伊達選手がここまでやれるとは思わなかった。夜12時を過ぎて始まるので、一応録画するようにしていたのだが、つい見てしまったら目が離せなくなった。寝不足になると困るので、惜しかったけれど途中で無理にテレビのスイッチを切って寝たが、翌日録画を見て感嘆したことである。
昨夕は超音波の講演に久留米大学から来られた先生がテニスが好きで、やはり見てしまって寝不足です、とおっしゃっていた。わが国ではスポーツを始め他の分野でも、世界に通用するのは女性である。男たちはあまり冴えないのはどういうわけだろうか。でも、その優秀な女性たちを同胞と思えるのはうれしいことである。
五月晴れ
平成23年5月13日(金)
久しぶりの長雨の後、一転して今日はまさに五月晴れ、気持ちのいい天気だ。人の気持ちなんてちょっとしたことで変わるが、やはり天気は大きいと思う。
北陸から山陰にかけての裏日本(失礼な言い方だと思うが)は天気の日が少ないというが、瀬戸内地方は晴れの日が多いのはありがたいことである。ただ自分は日本一晴天の日が多いという岡山で育ったので、広島に来た当初は結構曇った日が多いと感じていた。でも20年も住めばこれが当たり前で、ありがたいことだと思っている。
昔からお天道様に手を合わせて拝むという風習があったが、歳を重ねるにつれそれが当たり前のことだと思うようになった。お天道様というか何か大いなるものに対する感謝の気持ちである。
連休
平成23年5月7日(土)
当院は暦通りなので連休は3,4,5日だけだった。勤務医だった頃は、連休がゆっくり休める貴重な時だったが今は、特に予定がなければ連休が欲しいとは思わない。
今回は、一日は鳴門の大塚国際美術館、一日は孫を連れて備北丘陵公園、一日は能美島で釣りと野菜作りを趣味にしている人のところへ行ってメバルや野菜をご馳走になった。釣りを趣味にしている人がつくづく羨ましかったが、今から始めるのは難しそうだ。でも釣りに加えて晴耕雨読は魅力的ではある。弟子にしてもらおうかと思ったことであった。
夕食
平成23年4月2日(土)
桜の開花も始まり、そろそろ花見のシーズンになろうとしている。毎年、この季節になればうきうきして全国的に花見酒としゃれこむ人が多い。今年は大震災の影響があまりにも大きく、被災された人たちのことを思うと単純に喜べない。今回の震災もたまたま自分たちの地方に起こらなかっただけで、いつ災害に遭うかわからないのである。
他県で学んでいる息子が春休みで帰広し、嫁いでいる娘たちと孫、全員がそろった夕食は久しぶりであった。気持ちよく酔ったが、こういう機会もあと何回あるかわからない。何が起きるかわからないのが人生である。やはり、今この時を大切にしていくしかないと思ったことである。
七変化
平成23年3月26日(土)
嵐山光三郎によれば、女は7年毎に変貌するそうである。どれほどかわいい娘さんでも、結婚して7年たつとおばさんになる。14年たつと妖怪となり、21年たつと鬼婆になり、28年で超獣となって、それ以上たつと手のつけられない神様となり、これをカミさんという、とある。
うまいことを言うものである。比べて男性は残念ながらいつまでたっても変身できそうにない。初めは強くてたくましそうに見えても、歳をとるにつれて衰えて行く。枝雀の落語を聞いても男は向う意気だけは強いけれど、いつもカミさんにやられっぱなしである。確かに神様になったカミさんに逆らえるはずがないのである。
桃の節句
平成23年3月3日(木)
桃の節句。暖かい日が続いていたが、また寒さがぶり返してきた。これをあと2~3回くり返したら春になる。まことにわが国の季節のうつろいは風情がある。昔から季節の節目にささやかなお祝いをして寿いできた。あと数日で啓蟄である。
国会でも、相撲界でも、入試でもおかしなことが起こっているようだが、それらをすべて飲みこむように季節が過ぎて行く。きっと人生もそのように過ぎて行くのだろう。その場その場で懸命に生きているうちに、ふと振り返ると自分の来し方の概要が見えてくる。それをどう感じるかは人それぞれだろうが、どうであれ今この時が現実なのである。
青春期に愛読した「次郎物語」のなかに、やはり思春期の次郎が進むべき道について考える場面がある。人は生まれおちた時から進むべき道、到達点などすべて運命づけられているのではないか。そして「努力」というのは、運命づけられたわずかな道幅のなかの移動にすぎないのではないか、と。さらに、次のようにも考える。生まれた時を円の中心として到達点を円周とすると、考え方や努力などによってわずかな方向の違いでも、円周に到達したときには大きな違いがあるのではないか、と。また、円周に到達すれば、「運命」から解放されて自由になれるのではないか、と。
季節の移ろいを感じていたら、久しぶりに昔の頃のことを思い出した。そしてその考え方は今も変わっていないと思うのである。