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残り梅

令和3年2月24日
春のような温かさに誘われて光市の冠山総合公園の梅の里へ行ってみた。ここには100種類、2000本の梅の木が植えられていて、赤や白、薄紅の花が咲き誇っている。盛りはやや過ぎているようだったが、少なからず人が訪れていたがそれほど密ではない程度の人出だった。山全体に梅の木が植えられていて、歩きやすい通路が頂上に向かって幾層にも連なり、ゆっくり歩きながら梅の香りを堪能する。ところどころに句が読まれた石板があって風情を誘う。以前、来た時は正面の門から入ったが、混んでいたので裏から直接冠梅園に入る道を偶然見つけて歩いて登った。結構いい運動になったが、杖をついてゆっくり登る高齢の夫婦やジョギング姿で駆け登る若者などが散見された。今まさに三寒四温で寒い日と暖かい日が交互にやってきているが、次第に暖かくなっていくのだろう。春を予感する一日だった。

コロナ自粛も終わりそうか

令和3年2月2日
暮れから感染拡大してきたコロナもようやく収まりだしたようで、緊急事態宣言も延長とはいっても順次解除になっていくと思われる。欧米と比べて我が国の人々の素晴らしさが浮き彫りになっている。いざとなれば一丸となって国難に立ち向かうのは、先の大戦のときもそうだが明治維新などでも同様ですごいことだと思う。先の大戦で米国が恐れ、我が国を完膚なきまでに痛めつけ、憲法まで押し付け、マスコミを統制して戦争を起こしたのは旧軍人でそれは悪いことだったと宣撫させたのも、こういう民族だと思ったからだろう。
コロナによる飲食業の疲弊度はひどいものであるが、移動・観光業会をはじめすべてにわたって甚大な被害がある。それでもみんなはじっと耐えて頑張っている姿を見ていると、日本はなんていい国なのだろうと改めて思う。以前にも書いたがアインシュタインが来日した時に「こんな素晴らしい国があることを神に感謝する」と言ったのもお世辞だけではなさそうである。

ポケモンGO

令和3年1月13日
昨年、娘が里帰りしているときに教わったポケモンを今もやっている。初めは適当にやっていたのだが、数か月後いろいろ教わって面白くなって結構やるようになってしまった。特に今はコロナで行動が制限されているので、する時間がとれるし散歩のときにもいい。去年の4月から始めて今レベル36である。このゲームはGoogleの社内で作られ、今はNIANTICという社名で独立しているようだがGoogleの位置情報を使った優れものである。カーナビより正確で細かいのがすごいところで、道に迷ってもポケモンの画面を出せば、自分の居る位置が正確にわかる。カーナビには載っていない道まである。散歩していると、ジムの近くに車を停めて中でポケモンの画面を出している人を結構見かける。
ポケモンを集めて強くして他のトレーナーのポケモンと競わせたり、ジムに出てくるポケモンを手に入れてレベルを上げるゲームだが、簡単なようで奥が深い。ヒマなときには時間つぶしになるし、やっただけレベルが上がるところが世界中に愛好者を増やしている理由なのだろう。

住所録が消えた

令和2年12月25日
年賀状のあて名ははいつも筆ぐるめを使っている。以前は自分で書いていた時もあったが、悪筆のため気合を入れてもうまく書けないし、書き損じもたくさん出るため自筆はあきらめたのである。今年もそろそろ始めようと筆ぐるめを開いて印刷を始めたのだが、「あ」行が済んで「か」行に入って突然画面が消え、再び起動したらデータがなくなっていた。いろいろ試したが戻らないのでまたデータを打ち込みながら印刷することにした。思い当たることではパソコンの動きが遅くなって買ってからの年数も経つので、最近新しい機種に替えたことぐらいしかない。「なんてことだ」と思いながら合間に打ち込んでいる。ありがたいことに、元帳のルーズリーフがあるのでそれを見ながら打ち込めばいいので煩雑ささえ厭わなければ何とかなる。やはりデジタルよりアナログだと改めて思った次第である。

光陰矢の如し

令和2年12月15日
今秋から本格的に冷えてきて今日は雪がちらほら舞っている。一年が過ぎるのはあっという間で、まだ何にもしていないのに終わろうとしている感がある。年を取るほど時間がたつのが早いというが、それを実感する日々である。何よりコロナ騒ぎのために人との交流の機会が少なくなり、講演会などもほぼ中止、同業の先生方と顔を合わせることがないので動静がわからない。亡くなられた先生もおられたが、後で聞いただけだった。忘年会もなくなているがやはりヒトは集う動物だと実感している。
寒くなっても相変わらず自転車通勤しているし、昼は周辺の店で食事、夜もそこそこ食事に出るし、自分の日常はあまり変わっていない。毎日の生活を機嫌よく繰り返しているうちにあっという間に一年が経ったという感じである。本当はありがたいことなのだと思う。光陰矢の如しで幸せなのだ。

唇の形

令和2年12月11日
尺八の上達を諦めて今はフルートを吹いているが、新たな壁に阻まれている。尺八の時もそうだったのだが、いい音をさりげなく出すためには、唇からの息の束が安定して出る必要がある。特に高音域では細い息の束がポイントをつかなければなめらかないい音は出せない。なかなかうまくいかないのでいろいろ試してみたが、唇の形に問題があるのではないかと思った。自分の上唇は、鳥のくちばしのように真ん中がとがっている。だから口をすぼめて息を出すと上唇に邪魔されて息は左右に分かれる。低音域と中音域はまだいいが、高音域になると安定しないのである。そこで、高音域になるにしたがって側方から息を出すように変えていくと、なんとか音が出るようである。はたしてこれで自在に吹きこなせるようなるのかわからないが、今のところはこれしかないだろう。
自分は父親とはあまり似ていないと思っていたが、上唇の形はそっくりでやはりDNAはすごいとあらためて思っている。

またもコロナ騒動

令和2年12月4日
昔から冬になるとコロナ風邪が流行っていた。今はインフルエンザの方が症状も重く感染力も強いので、コロナ風邪のことはあまり言わなくなったが、インフルエンザは強力なのでワクチンなどで対処してきた。でも実際のところワクチンはたいして効果がないこともわかってきたし、重傷者は入院治療で対処し、他は自宅で治るのを待てばよかった。
それが憎むべき武漢コロナウイルスのために世界中が大変なことになっている。特に欧米は死者も多く疲弊している。日本はありがたいことに重症者も死者も欧米に比べれば格段に少なく、欧米の専門家は「ジャパンミラクル」と呼んでいるそうだ。インフルエンザよりも感染者数・重症者数・死者数がはるかに少ないのだから2類からインフルと同じ5類にすれば経済も回復し自殺者も減るだろう。
コロナは冬になれば蔓延するのは当たり前で、防ぐことは不可能と思っていたらこのところわが国でも感染者が増えてきた。広島市では先週の木曜から今週の水曜までの1週間で110人の新たな感染者が報告された。重症者は0、中等症1、あとは軽症か無症状である。インフルよりずっとマシである。マスコミもあおり過ぎだと思う。インフルと同じ扱いにするべきである。

旅行中止

令和2年11月13日
秋は紅葉の季節、特に京都は紅葉の名所に事欠かない。今は外国人旅行者はほとんどいないのでチャンスとばかり、連休には京都に行こうと思った。紅葉を見るのが一番だが、京都大学博物館に一度行ってみたかったので申し込んだらOKだった。駅近くのホテルも予約できたし、夕食の店も確保できた。さらに帰りに京都伊勢丹で菱岩の弁当も予約できたので楽しみだった。帰宅して菱岩の弁当を肴に酒を飲むのは、旅行の楽しみをいっそう深めてくれる。実は以前菱岩まで行って弁当を買ったことがあるぐらいファンだった。
ところが最近、全国でコロナの感染が急増しているとの報道が流され、毎日のように危機感をあおっている。広島市でもまた感染者が増え始めている。ほとんどの人は軽症か無症状であるが。いずれにせよこの状況になったら京都旅行はやめざるを得ない。残念だがすべてキャンセルした。コロナは5類感染症にすべきではなかろうか。

 

 

 

深まる秋

令和2年11月6日
日中はそうでもないが朝夕は冷えこむようになり、自転車通勤の服装も冬支度になった。まことに季節は巡りくるもので、1年なんてあっという間である。過去の診療日誌、11月の項を読んでみると毎年、同じようなことを書いている。講演会や同門会、会食など最も多いのが11月で、話題に事欠かなかった。12月は忘年会はあるものの、会合はむしろ少ないのが最近の傾向だった。今年は武漢コロナのせいで一変している。講演会、同門会、会食はほぼゼロ、欧米では再び移動禁止措置がとられ始めている。日本はまだ抑制が効いているようで感染者、重症者共に少ない。早く元の状態に戻ってほしいが無理なようである。コロナ前と後で世界が変わるのではないか。それでも季節は巡り、過ぎて行く。これからは師走、正月、大寒、それから春と日々変わって行くことだろう。せめて季節を楽しんで行きたいものである。

開院23周年

令和2年9月11日
昨日の朝、クリニックに着いて日付のゴム印を変えた時に気付いた「そういえば23年前のこの日に開院したんだ」と。早速診療日誌を見たら、5年前に「開院18周年」の文章があった。つい最近「開院〇〇年」の文章を書いたように思っていたが、あれからもう5年経っていた。まことに月日の経つのは早いものだ。「仰げば尊し」の歌詞に「思えばいと疾(と)し この年月」というところがあるがまさにその通りである。5年どころか23年も一炊の夢で、月日が矢のように過ぎて行く。同時に記憶力が落ちてくるので余計にそう感じるのだろう。
尺八を置いて替わりに始めたフルートでは、高音部の音出しがなかなかスムーズにいかない。これも呼吸による代謝亢進を図りながら同時に行う指と頭の訓練だと思ってやっているが、始めてみると面白く時が経つのを忘れるくらいである。「アルルの女第2組曲」のメヌエットが吹けるようになりたいと思っているのだが。診療はもちろん、いろんなことをこれからもマイペースでやって行きたいものである。