カテゴリー 本

追悼

令和4年8月19日
「患者よ、がんと闘うな」で一世を風靡した医師、近藤誠氏が虚血性心疾患で通勤中のタクシーの中で亡くなられた。当時感じていたがんの治療についての疑問がこの本によって氷解し、同時にがんの本質もぼんやりとではあるが見えてきたように思えた。以来、氏の動向に注意を払っていたが、現代の医療体制の中での氏の発言は総スカンを食らい、亡くなられた今でも好意的な発言は少ない。
氏の著書や発言を追っていると、すべては患者さんのためにとの思いが伝わってくる。慶応大学医学部を首席で卒業し放射線科を専攻、講師になったのも一番早く、海外の論文も読み込んで少しでも良くなる方法を取り入れていた。乳がんの治療についても拡大手術が主流だった日本を縮小手術に導いた。「成人病の真実」では、老化による変化はどうすることもできない、検査や治療は寿命を延ばせないことを海外のデータをもとに解説した。症状がなければ検査は不要で、薬も本当に必要かを十分考えたうえで使うべきだと説いた。
氏は医学界からは孤立したがその後も同じことを著書を通じて一般に広めていった。患者さんのためになるならそれでもいい、との覚悟のもとに一貫してぶれずに生きられた。その意志の強さ・勇気に尊敬の念を禁じ得ない。どうか安らかにお眠りください。 合掌

「リセット発想術」

令和4年8月12日
表題は「くまモン」の生みの親でもある放送作家・脚本家の小山薫堂氏の著作である。元は中学生に読ませるための発想術の本として綴ったもので、タイトルは「じぶんリセットーつまらない大人にならないために」である。氏はBSで「東京会議」という番組をやっていて、いつも既存の考えにとらわれない発想で新しいこと、同じことでも発想を変えて取り組んでみるなど、その自由な考え方にいつも感心している。
氏の考え方の根底には「相手が喜んでくれるようにする」があり、これは小学生のころから変わらないようである。それがいろんなことを進める原動力になっていて、「料理の鉄人」「世界遺産」映画「おくりびと」を作ったり、京都下鴨茶寮主人、京都芸術大学副学長など八面六臂の活躍をしている。2,025年の大阪万博ではテーマ事業プロデューサーを務めるという。
本書は氏がどのような考え方で物事に対処してきたのか、行き詰まり満杯になったら怖じ気ないで考え方をリセットしてきたかを説いている。自分が中学生に戻ったような気持ちで読むといっそう面白く感じられ、さすがだと思う。

「私」という男の生涯

令和4年7月15日
表題は今年2月に亡くなった石原慎太郎氏の著書で、本人と夫人の死後に出版するように決めていたという。内容は生い立ちから両親のこと、弟裕次郎氏との関わり合い、思春期から大学時代、芥川賞受賞のいきさつ、結婚のこと、世に出てからの様々なこと、恋愛のことも包み隠さず(?)書いている。だから夫人が亡くなった後に出版することにしていたのだろう。それにしても作家、国会議員、東京都知事など実にパワフルな人生を歩んだスケールの大きい人物が晩年、その胸の内を置手紙のようにさらけ出している著書は実に興味深く、同じことを何度も繰り返している部分はあるが、面白かった。
石原氏の著書は高校時代から注目していて、特にヨットで太平洋を横断するレースを描いた「星と舵」は、大学に入ってすぐにヨット部に入る動機になった、尤もすぐに退部したが。長編小説「亀裂」も好きで思い出したころに読み返して今も手元に置いている。平凡パンチに連載していた「野蛮人のネクタイ」も当時の若者の風俗の先端を描いて面白く、野坂昭如氏や三島由紀夫氏との対談集なども含めて氏の著書はほとんど読んでいると思う。氏ほど日本を愛し公平無私に国のためになることをした人はなかなかいないだろう。文学で、行動で我々を楽しませてくれた氏に感謝である。 合掌

「森のうた」

令和4年6月23日
表題はN響の指揮者で2,006年に逝去された岩城宏之氏の著書で、復刻版として今年発刊された。氏は東京芸大に現役入学し、一浪して一学年遅れて入学した山本直純氏と肝胆相照らす仲となり、指揮者になることを目指して頑張った青春記である。あまりにも面白かったので紹介することにした。
「青春記」はどれも面白いもので、自分のその頃の記憶と相まって興味深く読めるものだ。畑正憲「ムツゴロウの青春記」南木佳士「医学生」小松左京「やぶれかぶれ青春記」北杜夫「どくとるマンボウ青春記」久坂部羊「ブラックジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記」など数え上げればきりがないが、いずれも実に面白い。
表題の「森のうた」は芸大の打楽器科に入った岩城氏と作曲科の山本氏が、指揮がしたい一念で切磋琢磨しながら夢をかなえていき、とうとうショスタコービッチのこの曲を指揮するに至るところまでを描いている。語り口もよく、よくぞ復刻版を出してくれたものだと思う。

「副作用死ゼロの真実」

令和4年6月9日
表題は近藤誠医師の最新著書である。出版日付は2022年6月17日、まだ書店には出てないと思うが、ネットで手に入れることができた。内容は①ワクチン「副作用死」が一人もいない本当の理由②誰も教えてくれなかったワクチン接種の不都合な真実③すでに答がでているコロナ新薬の効果と限界④ここまでわかった感染する人、しない人の違い⑤過去からみえてくる変異の実態とウイルスの未来⑥世界の常識からかけ離れた間違いだらけのコロナ予防策⑦インフルエンザの教訓から学ぶコロナ禍との正しい向き合い方、からなり、終章として「僕はこの2年半、何を考え、どうしてきたのか」を忌憚なく述べている。
世界を相手に真実を追求し、論文を精査し納得できる理論を組み立て、人々に有用でない、むしろ害となる医療を受けないように警鐘を鳴らし続けている氏の著書は「患者よ、がんと闘うな」以来、その語り口のよさと相まって納得することばかりである。こういう人がいてくれるので「人間もまだまだ捨てたものではない」と思う次第である。

「人はどう死ぬのか」

令和4年5月12日
表題は医師で作家の久坂部羊氏の近著で、在宅での豊富な看取りの経験から「幸せな死を迎えるにはどういう心構えが必要か」をわかりやすく説明したものである。
阪大医学部出身の氏は外科・麻酔科で研修、指導医の後、思うところがあり終末医療に取り組んで悪戦苦闘し、自分の無力さと困難さに打ちひしがれてていた時に外務省の医務官募集の公募を見つけ応募し、サウジアラビア・ウイーン・パプアニューギニアの大使館で勤務した。その時に他国の人々の「死」に対する考え方を知り、我が国との違いを痛感した。我が国では「死」は病院でのことで、日常ではなく怖いものだということになっているが、それらの国では「あたりまえ」のことと受け止めている。我が国もかつてはほとんどの人は家で亡くなっていたので「死」は日常の出来事だった。それらを踏まえての経験から病院で死ぬことの弊害を説いている。
①善意の延命治療が悲惨な結果を招く②高齢者の場合は救急車を呼ばないほうがよいことも③在宅で看取った患者はほぼ例外なく「穏やかな死」を迎えた④下顎呼吸は臨終を告げる重要なシグナル⑤死に目に会うことを重視する弊害⑥医者たちが「がんで死にたい」と思うのはなぜ⑦自宅での看取りは決して難しくないなど、だれでも迎える死に対しての心構えを説いている。同時に医療への過度の期待を戒め、医療の行き過ぎや弊害も指摘して悔いのない終わりが迎えられるように著したもので、実にその通りだと思いながら読んだ。氏の医療に対する考え方は納得できることが多い。

「まる ありがとう」

令和4年4月28日
表題は養老孟司氏と愛猫「まる」との関わり合いを、秘書の平井玲子氏が写真に撮り、養老氏が文章を書いて本にした作品である。NHKの番組「まいにち養老先生、ときどきまる」で、鎌倉の養老先生の自宅でくつろぐスコティッシュフィールドの雄猫「まる」と養老先生の姿を見ていて、ほっこりした気持になった人も多いのではないか。自分も大好きな番組であった。残念ながら「まる」は16年生きて亡くなったが、養老先生にとってはかけがえのない存在だったようで、文章を読むと喪失感の大きさが伝わってくる。さらっと書いているだけにその奥にある思いが感じられるのである。
養老氏の著作を愛読しているファンとしては、先生にとってはもちろんだが「まる」にとってもすばらしい猫生(人生ではなく)がおくれてよかったと思う。BSで今でも「養老先生」の番組をやっているが、「まる」がいなくなったことを思い出させるシーンがしばしば現れる。「まる」は養老先生と不思議な「縁」があったのだとしか思えない。

ウイルス学者の責任

令和4年4月7日
昨年11月に紹介した「京大おどろきのウイルス学講義」の続編である。著者は京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授の宮沢孝幸氏である。ウイルス学の専門家として一貫して訴えているのは、日本の自粛要請は過剰であり、スポーツイベントやコンサートの中止は不要だった、ルールを決めれば飲食店を休業にしなくてもよかった。そして、子供がワクチンを打つことには強く反対したい。個人の感染症対策としては「100分の1作戦」で充分であり、一般の医療機関で風邪やインフルエンザと同じようにコロナ感染者の診療をして、重症者のみ一部の専門医療機関で治療すればよい、ということだった。これらを訴えるのはウイルス学者の責任である、と考えての提言である。
宮沢氏はウイルス学の第一人者ともいうべき専門家で獣医師でもある。氏は専門家会議のメンバーはウイルス学については素人ばかりだと思ったというが、理由はガイドラインに「石鹸で手を30秒洗ってください」という項目があったからだという。感染経路として手を通じてウイルスに感染することは「ほぼない」と言えるくらいのレベルで、ざっと手洗いをするだけで充分であるそうだ。一事が万事ですべてにわたって過剰反応と、事なかれ主義が重なって今のコロナ対策になっていると看破している。一般の人だけでなく医師・役人・政治家も読むべき著作だと思う。

「カリ・モーラ」

令和3年12月16日
表題は「羊たちの沈黙」「ハンニバル」で一世を風靡した作家、トマス・ハリスの13年ぶりの作品である。訳者はもちろん高見浩氏である。ハンニバル・レクターという怪物を生み出した作者が今度はどんな作品を世に送り出すのか、世界中のファンが注目していたと思われる。自分もその一人であった。「ハンニバル」では主人公のハンニバルとクラリス・スターリングが最後には結ばれることで、心地よい読後感があった。
今度の作品は、コロンビアからアメリカに移住し、将来獣医になることを夢見て、いまは傷ついた野鳥などの保護に情熱を傾ける25歳のカリ・モーラが主人公で、子供好きの優しい心映えの女性だが、ひとたび悪党どもに挑まれると、一歩も引かずに手慣れたガンさばきで窮地を脱してゆく、という話である。アメリカの暗黒社会の描写が巧みで、思わず引き込まれてしまう。惜しむらくはヒロインにふさわしいヒーローがいればいいのにと思ったが、これがシリーズ化するなら登場するかもしれない。ただ、作者のトマス・ハリスは現在81歳、寡作であることを考えると新作は無理かもしれない。

師走

令和3年12月1日
今日から師走、月日の経つのはなんと早いことだろう。「光陰矢の如し」とはまさに言えて妙である。漢詩にはこのことに類した言葉が沢山あるようだが、洋の東西を問わずヒトの感覚は変わらないのだろう。
人生の残り時間が多いほど時間が経つのが遅く感じられ、残り時間が少なくなるほど早く感じられる、ということだと思う。自分の残り時間がどれくらいなのかを知りたければ、月日の経つ速さの感覚から推し量ればいいのではないだろうか。それが正しいなら、自分はあまり長くないことになる。
立川談志没後10年で発売された「作家と家元」に石原慎太郎氏との対談集、交流の様子が描かれているが、追悼文「さらば立川談志、心の友よ」に、死の直前に息遣いしかできなくなった談志に石原氏が電話の受話器を向けてくれるように家人に頼んで一方的にしゃべり、言葉はなくても二人だけで会話できたと思った、とあったが感動的である。こうして時代は過ぎてゆくのだろう。