カテゴリー 本

人生を変えた一局

平成27年7月9日(木)
表題の本は、囲碁・将棋チャンネルの番組「記憶の一局」をまとめたもので、囲碁の一流棋士がそれぞれ特に思い入れのある対局を3局ずつ選んで、解説したものである。以前、趙治勲の囲碁にはまっていた時があったが、最近ではあまり囲碁に接することがなかった。
偶々この本が目に留まり、読んでみると当時のスター棋士たちと今の旬の棋士たちの棋譜と解説が興味深く、久しぶりに趙治勲の打碁を並べてみる気になったが、勝負師たちの思いのこもった対局は彼ら自身の解説と共に棋譜を追っていて実に面白いものであった。小林光一、石田芳夫、王銘?、小林覚、片岡聡、などの当時から変わらず活躍している棋士、山下敬吾、吉原由香里、などそのあとの世代の棋士たちを合わせて10人の棋譜はそれぞれ味わい深く、囲碁というゲームは人類の発明したすばらしいものの一つであると改めて思った。

遠藤滋著「中国人とアメリカ人」

平成27年6月19日(金)
表題の著者遠藤氏は、昭和33年に慶応義塾大学を卒業後三井物産に入社してアメリカに13年、中国に10年、ビジネスの責任者を歴任し、定年退社後は香港の華僑グループのサポートをしているいわばグローバル商社マンである。アメリカでの仕事を通じて得られた経験と中国での経験の両方から、それぞれの国の人となり・特徴を記しており興味深く読んだ。
中国人とアメリカ人は似ている点が多いという。それは「集団より個が原点、自己中心主義」「大局を語るが力点は短期の利害」「オープンでアバウト、後悔しない」「自己主張、自己弁護がうまい」「左手で殴りながら右手で握手できる」「人生は楽しむものと考えている」などで日本人とはずいぶん異なっているようだ。日本の良さは、社会秩序がしっかりして安全で平等な国であること、技術・工業力も高く、精神文明面でも抜きんでた静かながら一体感のある社会を作り上げていることである。ビジネスでの彼らとの折衝ではもっと自己主張をするべきだが、結局は「人となり」であるという。自分の経験したことのない世界の話なので、面白く読ませてもらった。

 

なぜ日本人は横綱になれないのか

平成27年5月29日(金)
表題の本は角界最小兵ながら「平成の牛若丸」「技のデパート」の愛称で活躍し、小結まで昇進した力士、舞の海秀平氏の著書である。現在はNHK大相撲の解説やテレビ、講演など幅広く活躍されている。
氏は相撲の盛んな青森県出身で小学時代から相撲が好きで強く、将来は大相撲の力士になるのが夢だったが、身長が伸びず随分苦労したことが書かれている。中学時代に一度相撲をあきらめかけたことがあったが、それ以降はどんなことがあっても決して諦めず、人一倍の努力と工夫でプロになり活躍するようになったことが、淡々と綴られている。これを読むと、スポーツに限らずどんな分野でも素質よりも精神のありようが最も大切であることを教えられる。
舞の海氏の著書を読めば、なぜ日本人は横綱になれないのかが分かる気がする。精神のありようが白鳳関の方が日本人力士より強いのだろう。そういえばテニスの錦織圭選手のランキングが上がったのも、マイケル・チャン氏がコーチになってメンタルの強化があったおかげだと言われているが、真実なのだろう。
舞の海氏のような精神のありようなら、どの分野でもきちんとやっていけるに違いない。

 

福岡伸一著「せいめいのはなし」

平成27年4月18日(金)
表題の本は「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」「フェルメール光の王国」などの著書で知られる生物学者、福岡伸一が、内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司の四氏とそれぞれ「せいめい」について縦横無尽の話を収録した対談集である。いずれも当代随一の人たちばかりなので話の内容が濃くてまさに談論風発、言葉のやりとりが剣豪どうしの手合わせのようで面白く、一気に読了した。
「いのち」とはなにか、なぜ「いのち」が存在するのか、それを認識するということの意味は、ヒトはあらゆることを原因があって結果がある「因果律」でとらえようとするが、生物学的に見ると「因果律」は存在しない、など興味深い話が満載である。特に養老孟司との対談はそのレベルの高さに驚くばかりである。「いのち」とはどこまでも不可思議なものであることを改めて考えさせられた。

DNAで日本文化の起源がわかった

平成27年3月20日(金)
表題は文芸春秋4月号に掲載された立正大学教授、三浦祐之氏と国立科学博物館人類研究部長、篠田謙一氏の対談である。北陸新幹線の工事の際に見つかった富山県の小竹貝塚遺跡からそれまで全部で80体しか発見されていなかった縄文前期の人骨が91体も見つかり、そのDNAを分析することにより縄文時代から弥生時代にわが国がどのように変化していったかがより詳しくわかってきた。
縄文人も実は千島、樺太、朝鮮半島、沖縄などのルートから入ってきた人たちによる混血によって成り立っていて、そこに稲作農耕民である弥生人が入ってきたというのが真相らしい。普通、あとから来た征服者は先住民をほぼ根絶やしにするのが通例であるが、わが国ではゆったりとした融合が行われてきたことがY染色体の分析からわかるという。
これらの科学的分析と古事記の伝承とを重ね合わせてみると、どのようにしてわが国ができてきたの見えてきて、まことに興味深い。伝承と遺跡などの証拠から真実にせまるのは実に面白く、読んでいて飽きないことである。

またも宮脇檀

平成27年3月6日(金)
先日、平成10年に62歳で亡くなった建築家、宮脇檀氏の住宅設計の考えを弟子たちが改めてまとめた本が出た。生前の著書「それでも建てたい家」で氏のファンになり、以後折に触れ注目していたが、なんといっても亡くなる直前に刊行された「最後の昼餐」は偶然本屋で見つけて買ったが、手に入れておいてよかったと思う。
氏は最後まで住宅設計を好み、奇をてらうのではなく、「家」というものの意味を考えたレベルの高い普通の住宅を数多く残している。氏の事務所にいた人たちや、大学の教え子たちも氏を慕いしっかり志を受け継いでいると思われる。その証拠が今年発刊された「宮脇檀の住宅設計」である。この中では氏の住宅設計の「キモ」ともいうべきディテールが紹介されているだけでなく、氏と親交のあった人たちや教え子たちの氏に対する思いも記されていて、氏がいかに多くの人たちから愛され慕われていたかが伝わってくる。
もし新たに家を建てるなら、そして経済的に余裕があるなら、氏は最高の住宅設計家の一人だったと思う。

行方昭夫著「英会話不要論」

平成27年2月13日(金)
著者は東京大学名誉教授で英語精読の第一人者であるが、昨今の英会話重視の風潮に異をとなえてこの本を著した。文章は平明でわかりやすく、何より言葉の後ろに深い考察と経験が感じられる名著である。最近の文科省の小学生から英語を始める方針に真っ向から異を唱えている。そして、英語ができるようになるのは簡単ではなく、やはり一定の時間と努力が必要であると具体例をあげて説く。どの分野でもそうだがショートカットなどあるはずもなく、王道しかないのである。
面白かったのは、社会人になった東大時代の同級生から「海外へ行くことになったので英語ができるようになるにはどうすればいいか」と聞かれることが多く、彼らは一様に「読むことと書くことはできるのだが、聞くことと話すことができない」と言う。そこで実際に簡単なテストを用意してみると、多くは読むことすらもそれほどできないことがわかるという。東大出身でそうなら一般人は絶望的だろう。
それでも、本当に英語が必要で強い熱意があれば上達も可能であることもわかり、興味深く読ませてもらった。

堀江貴文著「我が闘争」

平成27年1月30日(金)
伝記を読むのは結構好きで、特に若者が自己実現していく様子を見るのは実に興味がある。最近、幻冬舎から出た表記の著書は、堀江貴文という個性の強い青年の来し方を飾らない書き方で記していて興味深く読んだ。
生い立ちから両親とのかかわり、彼が持っているものと持っていないもの、東大に入学後会社を創って世間で話題になり逮捕、受刑、その後の日々など実に面白かった。堀江氏が物心ついた時から闘ってきたのは「情」というか「情」という言葉に含まれる日本人的なもろもろの考え方である。氏の能力は素晴らしいもので、理論性・合理性・行動力・発言力、どれも一流であるが「情」の部分が不得意のように思え、結局それが彼の足を引っ張ったのではないだろうか。実際、氏は結果的に部下の罪を社長という立場ゆえ思いがけずかぶらされたとしか思えない。
実際、今でも氏は自分を有罪だとは思っていないだろうし、これからも興味のあることを休みなくやっていくだろう。「情」を無視せずにやらないと痛い思いをするという教訓を込めて。

太田和彦著「居酒屋を極める」

平成26年12月4日(木)
著者は資生堂宣伝制作部を経て独立したグラフィックデザイナーであるが、居酒屋好きが高じて居酒屋評論家としての著書を多数あらわし、全国居酒屋百選のDVDまでも出して、「酒場放浪記」の吉田類の向こうを張るような人である。表題の新書は著者の来し方を簡潔に記し、居酒屋との付き合い方ひいては人生の処し方を上から目線でなくひとりの庶民的酒飲み目線で語っている。
私自身はアルコールは弱いけれど旨いものには目がなく、おいしく食べるにはアルコールが必須であると思うので、料理に合わせてビール、日本酒、ワイン、ウイスキーを自分の適量飲むことにしている。ワイン以外はほぼ毎日飲んでいるが、少量で満足できるので強くなくてよかったのかもしれない。
著者の居酒屋でのふるまいを読むと、こういう人と偶然居酒屋で同席しても気持ちよく飲むことができると思う。まことに酒席の達人、人生の達人ともいうべき人で、私の周辺にもこういう人がいるが、他愛のない話をしながら飲んでいるうちに知らぬ間に時が過ぎて行くのが快い。

母里啓子著「もうワクチンはやめなさい」

平成26年11月21日(金)
表題の著書は以前にも紹介した「インフルエンザワクチンはいらない」を著しており、その続編ともいうべきものである。氏は元国立公衆衛生院疫学部感染症室長であり、わが国のワクチン行政にかかわってきた疫学のプロである。氏は一貫して現在のわが国のワクチン制度に対してきちんとデータを示したうえで疑問を呈している。
有効なワクチンは少数存在するが、最近乳幼児に打つことを奨励するようになったワクチンの数はとんでもなく増えていて、乳児死亡率が世界で最も少ないわが国で本当に必要なのだろうかと思わざるを得ない。副作用による死亡にはだれが責任をとるのだろうか。WHOのバックにいるビッグファーマによるワクチン販売の世界戦略に乗せられているとしか思えないわが国のワクチン政策は、最終的にわが国のお金をこれらの巨大製薬会社に吸い上げられることになる。以前大騒ぎしてわが国に備蓄した「タミフル」も効果はほとんどないことがわかってきたが、海外製薬会社に支払われた数百億円のお金(われわれの税金)はなんだったのだろう。
これらのさまざまな矛盾は簡単には解けそうにないので、実際に患者さんに接している我々が、徒にワクチンを勧めないことで食い止めるしかない。