平成27年11月19日(木)
本屋に行った時にたいてい寄るコーナーの一つに、落語関係の本が収められている棚がある。以前、上田文世著「笑わせて笑わせて桂枝雀」を見つけたのもその棚で、たまに名著・珍著に出会うので見逃せない。
「赤めだか」は、著者が高校卒業直前の17歳で立川談志に入門して、前座から二つ目になるまでのあれこれを書いた、立川談春の青春記である。昔から「青春記」が好きで、いろいろな人の著書を読んだが、この本は著者の素直な気持ちを淡々と表した文章が心地よく、一気に読み終えた。立川談志に関する書籍、落語のCD、DVDなどは多数出版されていて結構持っているが、この本は弟子の立場から書いた出色の著書である。
「赤めだか」とは、その頃談志の家で飼っていた金魚のことを、弟子たちが餌をやってもちっとも大きくならないのでそう呼んでいたところから、一人前になろうとしてもなかなかなれない自分たちになぞらえての題名だろうが、的を射た言葉である。まだ何者にもなれない、なれるかどうかもわからない世に出る前の不安と、一方では漠然とした根拠ない自信の間で揺れ動く心境こそが青春時代なのだろう。
カテゴリー 本
立川談春著「赤めだか」
久坂部羊著「人間の死に方」
平成27年10月29日(木)
表題は医師で作家の久坂部氏が、自身の父親を在宅で看取った顛末を記した新刊書である。氏の父親も医師であったが医療を信用していないので病院にかかることはほとんどなく、自由気ままに生きた。息子である著者との関係はすこぶる良好で、家族関係が良いことがやすらかな在宅死を可能にしたのだろう。
著者の久坂部氏は大阪大学医学部を卒業後、外科専攻したけれど思うことがあって外務省に入り、日本大使館の医務官となって9年間の海外勤務をした後、現在は高齢者医療にかかわりながら作家活動をしている。筆名は父親の姓と母親の旧姓からとったもの(久家+坂部)だと思われるが、著者の両親とくに父親に対する思いが文章から感じられて本当にいい家族だと想像させられる。氏の祖父母、曽祖父母も(父方も母方とも)病院ではなく自宅で亡くなったそうで、珍しいことである。きっとそのような星のもとに生まれた一族なのだろう。
内容に共感する部分が多く、一気に読んでしまった。
ええ加減でいきまっせ!
平成27年9月5日(土)
タイトルは医学雑誌「日本医事新報」に大阪大学病理学教授の仲野徹氏が連載しているエッセイの題名である。「日本医事新報」の歴史は古く、大正10年(1921年)発刊以来、今日まで続く息の長い雑誌で、中電病院に勤務していた頃から読んでいるので、もう20年以上親しんでいることになる。ずっと旬刊だったのが少し前から週刊になっているが、仲野氏が毎週エッセイを載せるようになってもう60回を超えた。毎回、興味深い話や日常感じたこと、氏の専門の世界でのトピックスなどが絶妙の筆致で描かれていて、いつも楽しみにしている。
興味深い本の紹介もあり、最近で最も面白かったのは「病の皇帝「がん」に挑む」で、氏が「これまで読んだ医学・生物学の本の中でベスト3に入る」とまで絶賛していたので早速アマゾンで取り寄せて読んでみた。著者のシッダールタ・ムカジー氏はインド出身の腫瘍内科医で、スタンフォードからオックスフォードを経てハーバードからコロンビアとすばらしいキャリアがあり、この本でピューリッツァー賞を受賞している。これまでに人類がどのように「がん」に挑んできたかあますところなく書かれていて、実に興味深く読んだ。もし仲野氏のエッセイ(仲野氏の尽力で我が国でも翻訳・発売された)を読んでいなければ知らなかったので感謝である。
永井忠孝著「英語の害毒」
平成26年8月18日(火)
盆休みも終わり月曜日から診療の再開である。休みの間読んだ本のうちの一冊が表題の青山大学経営学部准教授の永井忠孝氏(専門は言語学)の著書である。我が国の英語重視と英語教育の低年齢化に対する疑問をデータに基づいて指摘している。現在、英語が世界公用語になっていてどの国も英語ができなければどうしようもないことになっている。実際のところ、英語を日本語と同じように使えるようになるのは至難の業で、そのためにどのくらいの時間と努力が必要かと考えると気が遠くなる。英語を母国語とする米国と英国はその時間と努力が必要ないので有利この上ない。コミュニケーションさえできればネイティヴのように話せなくても問題ないし、機械翻訳でも十分用が足せるので過剰なまでの英語教育はいかがなものかという。
我が国の白人に対する羨望意識がなくならない限り、英語がカッコいいという意識がなくならない限、り英米の優位は続くことだろう。ケント・ギルバート氏の新刊「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」にももっと日本人は自国の歴史と現状に自信を持つべきだとの指摘があり、まさに的を射た内容だと思ったことである。
人生を変えた一局
平成27年7月9日(木)
表題の本は、囲碁・将棋チャンネルの番組「記憶の一局」をまとめたもので、囲碁の一流棋士がそれぞれ特に思い入れのある対局を3局ずつ選んで、解説したものである。以前、趙治勲の囲碁にはまっていた時があったが、最近ではあまり囲碁に接することがなかった。
偶々この本が目に留まり、読んでみると当時のスター棋士たちと今の旬の棋士たちの棋譜と解説が興味深く、久しぶりに趙治勲の打碁を並べてみる気になったが、勝負師たちの思いのこもった対局は彼ら自身の解説と共に棋譜を追っていて実に面白いものであった。小林光一、石田芳夫、王銘?、小林覚、片岡聡、などの当時から変わらず活躍している棋士、山下敬吾、吉原由香里、などそのあとの世代の棋士たちを合わせて10人の棋譜はそれぞれ味わい深く、囲碁というゲームは人類の発明したすばらしいものの一つであると改めて思った。
遠藤滋著「中国人とアメリカ人」
平成27年6月19日(金)
表題の著者遠藤氏は、昭和33年に慶応義塾大学を卒業後三井物産に入社してアメリカに13年、中国に10年、ビジネスの責任者を歴任し、定年退社後は香港の華僑グループのサポートをしているいわばグローバル商社マンである。アメリカでの仕事を通じて得られた経験と中国での経験の両方から、それぞれの国の人となり・特徴を記しており興味深く読んだ。
中国人とアメリカ人は似ている点が多いという。それは「集団より個が原点、自己中心主義」「大局を語るが力点は短期の利害」「オープンでアバウト、後悔しない」「自己主張、自己弁護がうまい」「左手で殴りながら右手で握手できる」「人生は楽しむものと考えている」などで日本人とはずいぶん異なっているようだ。日本の良さは、社会秩序がしっかりして安全で平等な国であること、技術・工業力も高く、精神文明面でも抜きんでた静かながら一体感のある社会を作り上げていることである。ビジネスでの彼らとの折衝ではもっと自己主張をするべきだが、結局は「人となり」であるという。自分の経験したことのない世界の話なので、面白く読ませてもらった。
なぜ日本人は横綱になれないのか
平成27年5月29日(金)
表題の本は角界最小兵ながら「平成の牛若丸」「技のデパート」の愛称で活躍し、小結まで昇進した力士、舞の海秀平氏の著書である。現在はNHK大相撲の解説やテレビ、講演など幅広く活躍されている。
氏は相撲の盛んな青森県出身で小学時代から相撲が好きで強く、将来は大相撲の力士になるのが夢だったが、身長が伸びず随分苦労したことが書かれている。中学時代に一度相撲をあきらめかけたことがあったが、それ以降はどんなことがあっても決して諦めず、人一倍の努力と工夫でプロになり活躍するようになったことが、淡々と綴られている。これを読むと、スポーツに限らずどんな分野でも素質よりも精神のありようが最も大切であることを教えられる。
舞の海氏の著書を読めば、なぜ日本人は横綱になれないのかが分かる気がする。精神のありようが白鳳関の方が日本人力士より強いのだろう。そういえばテニスの錦織圭選手のランキングが上がったのも、マイケル・チャン氏がコーチになってメンタルの強化があったおかげだと言われているが、真実なのだろう。
舞の海氏のような精神のありようなら、どの分野でもきちんとやっていけるに違いない。
福岡伸一著「せいめいのはなし」
平成27年4月18日(金)
表題の本は「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」「フェルメール光の王国」などの著書で知られる生物学者、福岡伸一が、内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司の四氏とそれぞれ「せいめい」について縦横無尽の話を収録した対談集である。いずれも当代随一の人たちばかりなので話の内容が濃くてまさに談論風発、言葉のやりとりが剣豪どうしの手合わせのようで面白く、一気に読了した。
「いのち」とはなにか、なぜ「いのち」が存在するのか、それを認識するということの意味は、ヒトはあらゆることを原因があって結果がある「因果律」でとらえようとするが、生物学的に見ると「因果律」は存在しない、など興味深い話が満載である。特に養老孟司との対談はそのレベルの高さに驚くばかりである。「いのち」とはどこまでも不可思議なものであることを改めて考えさせられた。
DNAで日本文化の起源がわかった
平成27年3月20日(金)
表題は文芸春秋4月号に掲載された立正大学教授、三浦祐之氏と国立科学博物館人類研究部長、篠田謙一氏の対談である。北陸新幹線の工事の際に見つかった富山県の小竹貝塚遺跡からそれまで全部で80体しか発見されていなかった縄文前期の人骨が91体も見つかり、そのDNAを分析することにより縄文時代から弥生時代にわが国がどのように変化していったかがより詳しくわかってきた。
縄文人も実は千島、樺太、朝鮮半島、沖縄などのルートから入ってきた人たちによる混血によって成り立っていて、そこに稲作農耕民である弥生人が入ってきたというのが真相らしい。普通、あとから来た征服者は先住民をほぼ根絶やしにするのが通例であるが、わが国ではゆったりとした融合が行われてきたことがY染色体の分析からわかるという。
これらの科学的分析と古事記の伝承とを重ね合わせてみると、どのようにしてわが国ができてきたの見えてきて、まことに興味深い。伝承と遺跡などの証拠から真実にせまるのは実に面白く、読んでいて飽きないことである。
またも宮脇檀
平成27年3月6日(金)
先日、平成10年に62歳で亡くなった建築家、宮脇檀氏の住宅設計の考えを弟子たちが改めてまとめた本が出た。生前の著書「それでも建てたい家」で氏のファンになり、以後折に触れ注目していたが、なんといっても亡くなる直前に刊行された「最後の昼餐」は偶然本屋で見つけて買ったが、手に入れておいてよかったと思う。
氏は最後まで住宅設計を好み、奇をてらうのではなく、「家」というものの意味を考えたレベルの高い普通の住宅を数多く残している。氏の事務所にいた人たちや、大学の教え子たちも氏を慕いしっかり志を受け継いでいると思われる。その証拠が今年発刊された「宮脇檀の住宅設計」である。この中では氏の住宅設計の「キモ」ともいうべきディテールが紹介されているだけでなく、氏と親交のあった人たちや教え子たちの氏に対する思いも記されていて、氏がいかに多くの人たちから愛され慕われていたかが伝わってくる。
もし新たに家を建てるなら、そして経済的に余裕があるなら、氏は最高の住宅設計家の一人だったと思う。