平成29年1月20日(金)
表題は京都大学教授などを歴任された動物行動学者、日高敏隆氏の著書である。副題が「遺伝子のたくらみ」でヒトがなぜ老いるのか、老いとはどういうことなのかを遺伝子を基にして考察している。氏は以前から興味深い著作を多数出されているが、どれも面白いものばかりである。「チョウはなぜ飛ぶか」、ローレンツ著「ソロモンの指輪」の翻訳など、すでに古典的名著となっているものも多い。
動物たちはそれぞれの個体が自分の遺伝子を持った個体を多く残すことを「目指して」生きている。ヒトも例外ではなく適応度が高いほど多くの子孫を残せるが、適応度が高いことは「多産」であっても長生きできることとは別であるという。遺伝子集団は自分たちが生き残れるように、進化の途上で周到なプログラムを組み立ててきた。それぞれの個体はプログラムどおりに成長し、子孫を残して死んでいくが、このプログラムは固定的なものではなく「選択」によって変化するため最終到達点までいかないこともある。これについて氏はロールプレイングゲームを例にとってわかりやすく説明している。ゲームはすべてプログラミングされていて、個々のプレーヤーの選択によっては最後まで進めないことがしばしばみられるが、遺伝子のプログラミングもこれと同じだという。
実にわかりやすい説明で、すべて遺伝子集団のプログラムどおりなら「老い」はどうしようもないことである。もっとも、難しく考えなくても昔から皆あたりまえのことと思っていることではあるが。
カテゴリー 本
「人はどうして老いるのか」
不妊治療の不都合な真実
平成28年12月16日(金)
表題の本は、こまえクリニック院長である内科医、放生勲氏の著書で、氏は自らの内科クリニックに「不妊ルーム」なるものを設け、16年間に8300人の不妊女性の相談を受けてきたそうである。氏は自分たち夫婦が不妊で悩んだ経験から、婦人科は専門ではなかったが猛勉強をして、不妊に悩む女性の側に立ったアドバイスをしてきたという。その中で、体外受精の数が世界で一番増えている我が国の現状とその問題点を述べているが、解決はなかなか難しいことが読み取れる。
不妊の最大の原因は、働く女性の増加と晩婚化とセックスレスだというが、今の社会情勢からこの流れを簡単に変えることは難しい。そうなると不妊治療の充実ということになるのだろうが、現在の体外受精の治療費は高額すぎて払える人が限られてくる。だからすべてを保険医療にしてしまえば、他の保険医療費と同じようにどんどん値段を下げてくるだろうから、最終的には法外に高くないリーゾナブルな値段になり治療を受けやすくなると思われる。最後のは自分の意見だが、専門とは少し離れた医師の視点も参考になることである。
がんは治療か、放置か究極対決
平成28年11月25日(金)
表題の本はかねてからがん放置療法を提唱している慶応大学医学部元講師、近藤誠氏と東京女子医大がんセンター長の林和彦氏との対談をまとめたものである。近藤氏は「患者よ、がんと闘うな」を著して以来、一貫して現代のがん治療に警鐘を鳴らし続けている。世界中の文献を毎日読み込み、がんの本質からみていかに今の標準とされている治療が患者さんに負担を与えているか、医学界から孤立しても訴え続けている医師である。じつは氏の意見に賛同している医師は結構いると思われるが、立場上賛意を示していない人が大半だと思われる。
一方、林氏は食道外科の名医として知られていたが、自らの意思でメスを捨て内視鏡医、化学療法医、緩和ケア医を経て現職にいるという経歴を持つ異端ともいうべき医師である。氏はセンター内に「化学療法・緩和ケア科」を立ち上げがん治療の第一線で活躍している。
対談を読んで感じたことは、林氏の医療は抗がん剤を使わなければ近藤氏の考えに近いけれど、今の医学界では抗がん剤を使わなければその地位にいられなくなるだろうということである。無論、林氏は抗がん剤を少しは信じているようであるが、近藤氏による世界中の信頼できる文献をもとにした抗がん剤は無効・有害であるという主張を論破できない。化学療法と緩和ケアは対立する概念であり併設は無理であると思うが、氏の立場も難しいところである。
オピオイドという麻薬系の薬は緩和医療にとって奇跡の薬である。痛みだけでなく息苦しさ、けだるさなど終末期のつらい症状をほとんどすべて和らげてくれる。我が国ではこれらの薬があまり使われていない。それに対しても近藤氏や以前に紹介した新潟大学・カリフォルニア大学名誉教授の中田力氏は、すべての人の旅立ちをやすらかなものにしたいと願い、米国ほどではないにしてもせめて欧州並みに使ってもらいたいと考えている。
「アメリカ臨床医物語」
平成28年10月7日(金)
著者の中田力氏は東大医学部を卒業した2年後に渡米し、カリフォルニアで臨床医の修練をしたのちカリフォルニア大学の大脳神経学の教授として活躍、2002年に新潟大学統合脳機能研究センター長に就任、米国と日本を往復しているMRIの世界的権威である。医事新報に「フィロソフィア・メディカ」と題した氏のエッセイの掲載が始まり、そのレベルの高さと面白さ、奥行きの深さに注目していたが、今月でもう4回目の掲載になり他の著書も読んでみたくなった。
アマゾンで調べたところいくつかの著作がヒットし、すぐに手に入れることができた。便利な世の中になったものである。表題の著書は、氏がアメリカに渡り臨床医としての修練を始めて様々なことを経験しながらキャリアを積んでいく様が淡々と語られている。医療は誰のためにあるのか、医療者のあるべき姿はどうなのか、日米の医療に対する考え方の違いを検証しながら、我が国の医療の足りない点や改善すべき点を提示している。アメリカの「ER」というドラマがかつて日本でも評判になったが、まさにあの世界と同じ経験をして教授にまでなったわけである。さらに氏の思索の深さはその臨床能力の高さと同格で、これほど能力のある人は稀だと思う。久しぶりにすごい人に出会ったような気がする。
「建築家のすまいぶり」
平成28年7月14日(木)
表題は主に住宅建築を手掛けている建築家、中村好文氏の著作で、6年間に24軒の建築家の住宅を訪ねて家と住まいぶりを紹介したいわば住宅見学記である。氏は幾多の住宅の設計をしてきたが、50歳を前にして学生時代に憧れた20世紀の住宅を訪ねてみたいと思っていたところ、それを聞きつけた住宅雑誌の編集者が中村氏に「住宅巡礼」と題したルポを連載したらと勧められ、6年にわたって世界各地に現存する氏の意中の住宅を訪れこの本が完成したわけである。
それぞれの家の正確でわかりやすい設計図(イラスト)と外観・内部の写真・住まいぶりがきちんとまとめられていて、活字を追っているとその家にいるような気持ちになるすぐれもので、住んでいる人の暮らしぶりも垣間見える非常に濃い内容の本である。これらの家の多くは建築家自身が設計し自分で住んでいるもので、建築家の自邸には傑作が多いことがわかる。自宅であれば依頼者の顔色をうかがうことなく自分の思い通りに設計でき、自分の全知識・思想・センスなどを表明できるからだろうとのことである。文章の中に今は亡き住宅建築の星、宮脇檀氏の名前が出てきたりして、ファンとしてはうれしいことであった。
平松洋子著「食べる私」
平成28年5月28日(土)
著者は料理や食、生活文化などの執筆活動を行っているエッセイストで、表題の本は2012年から足かけ3年かけて29人の著名人に「食」を中心にした話を聞いてまとめたものである。
まず、ひきつけられたのは、それぞれの人に食べ物を語ってもらうことを通して、いつの間にかその人の真実に触れてしまうようになる著者の力量である。もちろん話を聞く前にはその人のことを著書も含め詳しく調べているけれど、本音を引き出す力は著者のこれまで生きてきた総合力だと読みながら納得している。映画「かぞくのくに」で数々の賞を受賞したヤン・ヨンヒ映画監督の章では、一家の過酷な運命に驚き涙しそうになるが「疲れたときは、オモニ手製の鶏のスープを飲むと元気が出て、ほっとします」という言葉に救われた気持ちになる。マラソンの高橋尚子氏の章では、「食は私の命そのもの」と言い切る氏のこれまでの選手生活と今のスポーツキャスターとしての生活が、食を通して語られマラソンに対する思いが伝わってくる。圧巻は芥川賞作家でのちにポルノ小説家に転じた宇能鴻一郎氏の章で、著者が話を聞いた時70代後半だった宇能氏のこれまで公表されていない少年時代の「食」と「官能」の一体化の記憶が語られていて、息をのむ思いがした。
著者の作品は本屋ではよく目にしていたが、読んだのは初めてだった。これを契機に他の作品も読んでみたいと思う。
「過剰診断」
平成28年2月26日(金)
表題は米国ダートマス大学医学部教授、H・ギルバート・ウェルチ氏他2名の著書で、副題は「健康診断があなたを病気にする」である。健康診断や人間ドックが当たり前になっているのは日本だけかと思っていたが、アメリカ人も早期診断が好きらしい。もちろん我が国のように職場で強制的に健康診断を受けさせられる制度はないようだが、個人的に健康に気を使って早期診断を望む人は結構いるようである。アメリカでは危険因子の発見、疾患啓発キャンペーン、がんのスクリーニング、遺伝子検査などが行われていてそれをありがたがる人が多いという。
以前は具合の悪い人だけが医者にかかっていたが、高血圧の薬を処方する基準を下げた頃から「将来具合が悪くならないように」という理由で現在なんにも異常を感じない人にも検査を行い、あらかじめ薬を出すようになった。医療パラダイムの変化である。そしてこの流れは、医療経済の拡大と並行して異常の定義そのものが徐々に拡大しているためいっそう悪化しているという。なぜこのようなことが起きるのか、多くの人にとって診断を受け薬を処方されるメリットがない現実を、データを示して説明している。
我が国にもきちんとしたデータに基づいて健康診断のデメリットを示している医師たちもいるが、「健康診断は必要だ」の声にかき消されている現実がある。アメリカにもこのような誠実な医師たちがいることに安堵したことである。
看取り先生の遺言
平成28年2月5日(金)
表題はフリージャーナリスト奥野修司氏が、末期がん患者のための在宅ケアに邁進していた岡部健医師が進行した胃がんで亡くなるまでの9か月間にわたる聞き取りを、岡部医師の遺言として著したものである。
1950年生まれの岡部医師は宮城県立がんセンター呼吸器科医長、肺がんの専門医として腕を振るっていたが、治すことのできない多くの患者に出会い病院での治療に限界を感じたため1997年に岡部医院を設立、がんや難病患者のための在宅緩和ケアを始めた。設立時は数名のスッタフだった医院も、岡部医師が亡くなる2012年には医師や看護師、ソーシャルワーカー、鍼灸師、ケアマネージャーなど95名のスタッフが宮城県名取市、仙台市などを中心に年間300名以上を看取るようになって、国内でもトップクラスの在宅緩和ケア専門の診療所に育っている。
肺がんの専門家でありながら在宅緩和ケアのパイオニアとして2000人以上を看取った岡部医師が自ら「死の準備」をするかのように9か月間語った内容は非常に重くて深い。死を覚悟せざるを得なくなったときに、死という闇へ降りて行く「道しるべ」がないことに気づき愕然としたという。医療者だけでなく宗教者と共に「道しるべ」を示そうと臨床宗教師を創ろうとした。末期の患者の多くが「お迎え」という不思議な現象を体験することに興味を持ち、グループと専門家で調査をして論文として表している。氏の遺書ともいうべきこの著書は、志を同じくする医療者のためだけでなく、一人ひとりがいずれあの世に旅立つときの道しるべになると思われる。
「談志が死んだ」
平成28年1月30日(土)
表題は立川談志の初期からの弟子、立川談四楼の著書で、著者の惚れぬいた談志師匠が平成23年、75歳で亡くなるまでのあれこれを小説の形で書いたもので、このたび文庫本になったので早速買い求め読んでみた。
立川談志は参議院議員を務めたこともあり、落語界だけでなく政界財界芸能界など幅広い人脈を持った、芸人として魅力的な人物である。売り出し中の頃、紀伊国屋書店主の田辺茂一氏や作家吉行淳之介氏たちとの交友は、中公文庫の「酒中日記」に何度も出てきて、当時の文壇サロンの状況が見て取れる。談志が落語協会を飛び出して「立川流家元」になる前からの弟子である著者は、談志を最も長く見つめてきた弟子であり、ある意味では親子のような関係であった。その「親」である談志の行状の良いところや思い切り理不尽なところなどは、小説の形でなければ書けないだろう。談志についての本はたくさん出版されているが、小説の形で書いたこの本は読後感の良い優れた作品だと思う。
¥1円の古本
平成27年12月4日(金)
突然、半村良の「妖星伝」を読みたくなったので家の書棚を探してみたが、全6巻(後で第7巻が追加された)揃えていたはずなのに第1巻しか見当たらない。そうなると第2巻以降をいっそう読みたくなりブックオフで探してみた。20年~30年前頃ベストセラー作家だった半村良の作品は当時、本屋の文庫本の棚に一杯並んでいたが、今では古本屋でも探すことが難しいことがわかった。アカデミー書店他、数か所回ってみたけれどせいぜい1冊ぐらいしかなかった。ついでに西村寿行、高木彬光の本も探してみたがほとんどなかった。確か西村寿行は作家の長者番付で1位になったぐらいの流行作家だったはずである。
アマゾンで調べてみると、古書で出ているので注文してみた。なんと!1冊1円で出品されていた(中には91円というのもあった)が、信じられない値段である。ただし送料が257円かかるという。月曜日に注文したら木曜日には1冊だけは届いた。トレッシングペーパーのカバーがかけてあり、出品者「いちょう企画」の仕事には好感が持てた。それにしても便利になったものであるが、流行作家の賞味期間はなんと短いことかと思ったことである。