平成22年3月30日(火)
最近、桂枝雀にはまっている。折々に買いためていたCDを暇さえあればとっかえひっかえ聞いている。小米時代から枝雀になったばかりの頃の噺もあれば晩年に近い頃の噺もある。ある頃からマクラに「一生懸命のおしゃべりでございます」というようになったが、なるほど面白さの中に懸命さがちらちら感じられて、そこまでしなくてもと思わせるようなところがあった。
思いつめる性質のようで、そのことが早すぎる一生になってしまったのだろう。そういえば加藤和彦も同じぐらいの年の一生である。男性の還暦の頃は心が萎えやすいのだろうか。やはり枝雀にはもっともっと生きてすばらしい話芸を楽しませてほしかった。