「私はがんで死にたい」

令和7年6月13日
表題は外科医からホスピス医になり、89歳でがんで亡くなった小野寺時夫氏が2012年にメディカルトリビューンより刊行した著書の復刻版である。序文は医師で作家の久坂部羊氏が書き、あとがきは最後までそばにいて小野寺氏を看取った娘さんの美奈子氏が書いている。
小野寺氏は消化器外科医で50歳台までは第一線でバリバリ働いていたが、57歳の時に咽頭がんになり幸い治癒したが、それを契機に生き方を変えた。管理職になり患者さんを直接見なくなったのも変えられた原因だろうが、山歩きが好きだったのでハイク・サークル「かたくり」をつくり、3~40人のメンバーで毎年2~3回国内や国外で山登りやトレッキングを行うようになった。家庭菜園も始めて勤め先の病院内で配ったり、バイオリンも習い始めた。その後、頼まれてホスピスに携わるようになって、進行がんに対する日本の医療がどんなに過酷なものか思い知り、この本を書いたのである。がんはある時期を超えると治療しても治らない。抗がん剤も効かない。治療は患者を苦しめるだけである。治らないものを無理に治そうとするから苦しめるのである。痛みを緩和し、おだやかに最後を迎えられるようにするのがホスピスであり、在宅療養支援クリニックである。氏は様々な実例を示しながら、日本の医療は治療には熱心だが緩和ケアは遅れているというか、ほとんどちゃんと行われていないという。緩和ケアが充実しているなら、氏はがんで死にたいと書いていて実際にがんで亡くなった。その経緯は美奈子氏が書いているが、見事な一生だったと周囲は羨ましがっている。確かにその通りだと思う。