令和3年8月6日
連日猛暑が続く。オリンピックもあとわずかになったけれど、昼間炎天下で競技する選手は本当に大変だろう。日本の夏、特にこの時期は一番暑いので秋に行うのならいいが、夏ならやるべきではなかったと思う。アトランタ五輪をルポした沢木耕太郎著「オリンピア1996冠コロナ(廃墟の光)」は2008年に出版された作品であるが、今読んでみると氏が予感したことが現実になって来ているのがわかる。氏はオリンピック発祥の地オリンピアにアテネからバスで訪れ、スタディオンと呼ばれる古代の競技場跡に立つ。氏のオリンピックへの思いはそこから始まるのである。古代オリンピックが1200年続いた後、一旦失われ近代オリンピックが1896年クーベルタン男爵の尽力によりアテネで始まったが、さまざまな問題が起きてくる。1984年のロサンゼルス大会がターニングポイントではないかと氏は語る。入場料、放送権料、スポンサード収入などにより利益を生むようになったからである。現在のオリンピックは開催時期も選手のためではなく欧米の放送権などで決められている。暑い日本の夏、しかもコロナ禍で開かれているのはどう考えてもおかしいのである。古代オリンピックが滅びたように近代オリンピックも滅びるのではないか。