メーデーに思う

平成18年5月1日(月)
今日はメーデーなので、診察室の窓をほんの少し開けると、風に乗ってスピーカーからの演説の声が聞こえてきた。
元来、共産主義、社会主義は資本家や独裁者にしいたげられた人々への平等な富の分配のために考えられた思想であった。主にインテリ層が中心となって信奉してきた。問題は、この思想が一個人の頭脳から興ったものであり、自然発生ではなかったことである。人間観察、人間理解が足りなかったというしかないが、世界中でその思想は破綻した。わずかに残っているその世界は、一党独裁で人々を武力で抑えることによって存続しているにすぎない。人々を幸せにするために考えられた思想が、その思想に反対する多数の人々を粛清しなければならないとはなんと不幸なことであろうか。それこそが、その思想の致命的な欠陥というべきであろう。さらに、粛清して権力を得た人もいつのまにか私利私欲に走るようになる。歴史を見れば必ずそうなっている。だからそういうこともすべて織り込ん でどういう社会にしていくのかまで考えて作らないと、結局世の中を不幸にする。社会制度は一朝一夕にできるものではないし、それぞれの民族の歴史の延長に あるものだからだれかがどうかしたからといって変えられるものではない。
ありがたいことに我が国には共産主義も、独裁主義も根付かなかった。元来、合議によって政治が行われてきた世界でもまれな安全でレベルの高い国だったので、すんなりと議会制民主主義が根付いたのである。もちろん欧米のそれとは少し異なり日本風にアレンジしてあるが。じつにすばらしいことである。