平成17年7月6日(水)
最近は医療ミスについての新聞記事がよくみられるようになっている。増えたわけではなく、情報公開の観点から知られるようになったのだろうが、実際我々も気をつけているが何が起きるかわからないという心配は何時でもある。たとえばある薬を処方した場合、1万人には何も問題なくても1万1人目の人には重大な副作用が発生するかもしれない。こういうのを医療ミスと呼んでもいいかは疑問だが、おしなべて医療は結果を問われるので当事者には医療ミスと感じられるかもしれない。
産婦人科、特に「お産」は結果責任を問われることが最も多い分野の一つである。熟練した医師とスタッフがどんなに慎重に対処してもうまくいかないことがある。一方、何もしなくても問題なく生まれることも多い。以前修学旅行の新幹線のトイレで赤ちゃんを生んだ女子高生がいたが、妊娠は本来何もしなくても順調にいくものである。ただし、一定の比率で重大なことが起こるため昔から新生児死亡率だけでなく妊産婦死亡率も高かったのである。我が国でも昭和20年代までは「産(三)で死んでも苦しゅうない(ばくち場の言い回しー阿佐田哲也、麻雀放浪記より)」というような言葉があったぐらい、妊産婦死亡は多かったのである。経済の発達と医療環境の充実により現在は世界でも最高レベルまでよくなっているのだが、皮肉なことにお産関連の医療裁判は増えているのである。なかにはきちんとやっていたけれど結果的にうまくいかなくて訴えられている場合もあるし、逆にけっこうでたらめでも結果がよくて感謝される場合もあるようだ。前者は気の毒だが後者は今は良くてもいずれ事故をおこすだろう。
我々も日々慎重にやっていきたいと思っている。