カテゴリー 尺八

フルートと尺八

平成30年6月29日
尺八を始めて10数年になるがなかなか思うように吹けない。尺八は歌口を顎と下唇でふさいで細い隙間をつくり、そこから息を吹き込んで音を出すのだが、これが難しい。向き不向きはあるようで、すぐにきれいな音の出せる人は上達するが、そうでない場合は苦闘するばかりである。口笛でもすぐにきれいな音を出せる人とそうでない人がいるようなものである。
最近、プラスチック製のフルートが手に入ったので吹いてみた。音は尺八と比べるとかなり出しやすいので普通に息を吹き込めば安定した音が出る。音程も指使いにより正確な音が出るようである。問題は複雑な指使いをスムーズにできるようになるまでの修練が大変だということである。でもそれをマスターすれば早いパッセージも吹けるし、他の楽器とも合奏できる。オーケストラが成立する所以である。
比べて尺八は音程を合わせるのが結構難しく、早いパッセージには向かないし転調なども困難で、合奏には不向きな楽器である。ただし、音を出す個人の能力による到達度は幅広く、熟達者の音色は非常に耳に快く深みがある。これはまさに日本的な修練と西洋的な考えの違いを如実に表していると思う。「和」の世界では道具をあまり変えずに技を磨くことを考えるが「洋」の世界では道具は合理的に変えていくので使いやすくなり実践的である。どちらも長所と短所があるが、現在の和洋の楽器の普及を見ると「洋」が勝っていて「和」はローカルにとどまっている。「和」を応援したい気持ちはあるがなかなか難しいところである。

けんみん文化祭ひろしま’18

平成30年5月17日
先日の日曜日、アステールプラザ大ホールで表題の第5回広島市の祭典が開かれ、49組のグループの演奏・パフォーマンスが行われた。「山の会」も邦楽部門で出場し、尺八五重奏曲「世々生々(せせしょうじょう)」を8名で演奏した。1グループの持ち時間が7分厳守なので、本来演奏時間が15分かかるところを7分に収まるように省略して演奏した。尺八は音のピッチを合わせるのが難しいけれど、連休中に二度集まって練習したおかげでピッチを含めバランスが結構合っていたようである。尺八独特の低音と中高音のハモリが吹いていて快く、かつて学生時代に所属していた男声合唱団でのハモリを思い出した。今回はありがたいことに優秀賞をいただき、後に行われる表題の会での出場権を得ることになった。
今回出場のグループは洋楽、邦楽、合唱、和太鼓、日本舞踊、洋舞、芸能など多彩で年齢もまちまちだけれど、皆さん色々楽しんでいることを改めて感じた。どんな趣味でも真剣にやるから面白いのである。

西区民音楽祭

平成30年3月2日(金)
いよいよ3月になって暖かい日もちらほらあり春がそこまで来ているように感じる。この季節になると市民の文化活動の一環としての音楽会があちこちで開かれるようになる。昨年も尺八「山の会」として西区民文化センターで行われた西区民音楽祭に出演したが、今年も来る3月4日(日)に10数名で出演する予定である。
「山の会」は広島を中心に精力的に尺八の演奏・指導活動している山本観山師に指導を受けている人たちの集まりで、20代の男女(主に広島大学生)から70代以上の高齢者まで多彩なメンバーがそろっている。それぞれ真摯に技術の向上に向き合っていて、自分も頑張らねばと思う日々である。今回は尺八二重奏曲「郷音(さとね)」とメンバーの広大生が編曲した尺八三部奏曲を演奏する。当日はいくつもの合唱団やギター、胡弓、口笛、ハワイアンなど多彩な演奏が行われる予定であるが、いつも色々なサークルがあるものだと感心している。

技芸審査会

平成29年9月29日(金)
あいかわらず下手な尺八を吹いている。先日も小さな発表会で一曲吹いたが、人前で吹くのは自分の実力がわかっているだけに冷や汗ものである。師匠は人前で吹くことが上達に一番役に立つと言われるのだが、自分としてはたいしてうまくもないのに人に聞かせるのは迷惑以外にないのではないかと思うので躊躇するのである。だれでも下手なカラオケを聞かされるほど嫌なことはないだろう。そうはいっても上手くなるまで待っていたら一生人前では吹けないことになる。そのあたりが微妙に難しいのである。
11月に大阪で師匠の属する流派の審査会があり、広島からも何人も出場するらしい。自分も今回初めて出る気になったので課題曲の練習を始めたところである。審査会では出場者の出来栄えを審査し順位付けをするというが、出演者の中では技術も経験も下の方だと思うので最下位にならなければいいが。まあ、会場の雰囲気だけでも味わって来ようと思っている。

MDからICレコーダーへ

平成29年4月7日(金)
暖かくなり桜も満開となったが雨模様の日が続き、花見には困ったことである。それでも雨の前に一瞬、娘や孫たちと近くの公園の桜の下で弁当をひろげ夜桜を楽しむことができた。
最近、尺八の稽古の模様を録音した初期のものを聞いてみたが、その頃の師匠の教え方と自分の技術の未熟さ、会話などが当時の記憶をよみがえらせてくれて感慨深いものがあった。初めはMD(ミニ・ディスク)に録音していたが70分程度しか録音できないので、ディスクの枚数ばかり増えていってしまった。その後ICレコーダー(MP3)が発売されてからはレッスンも演奏会もすべてこの小さな機器で録音するようになった。ICレコーダーは優れもので、軽くて小さいので持ち運びに便利で録音可能時間も長い。モーターのような故障しやすく電気をたくさん必要とするものはついていないので、小さな充電池でくりかえし長く使える。パソコンに取り込んで整理しておけばいつでも簡単に探せて再生できる。
それに対してMD録音再生機器はもう製造されていないので、手持ちの装置が壊れたら二度と録音したMDを聞くことはできなくなる。簡単な録音にはテープレコーダーより便利で使いやすかったのだけれど短い命だった。レコードはずいぶん長い間使われていたがCDが出るとあっというまになくなってしまった。一部では根強いレコードファンもいて、今でも細々と製造されているようではあるがいずれ伝説になるだろう。面白いことである。

楽器としての尺八

平成29年2月3日(金)
尺八を始めて結構時間が経っているがなかなか上達しないので、この楽器は自分に向いていないのだろうと思っている今日この頃である。その恨みも込めて尺八という楽器が世界中に広がらない理由を考えてみた。
最も原始的な楽器?は口笛である。音程も自在に出せるし、上手い人の口笛は他人を楽しませることができる。次いで指笛があるがこれはある程度熟練を要する。さらに草笛から竹笛、篳篥(ひちりき)、横笛、尺八へと進んでいくが、これらはすべていい音、正確な音、大きな音を出すための工夫である。西洋楽器はここからさらに正確な音が出せるように工夫がなされ、フルート、オーボエ、トランペット、サキソフォンなど、だれが吹いてもほぼ同じ音が出せるように発達してきた。一方和楽器はここから進歩しなかったので、大勢で吹く場合の音程の調整が難しく、早いパッセージの演奏は困難を極めるし大きな音を出すのも難しい。調を変えるためには尺八の長さをいちいち変えなくてはならない場合もある。確かに上手い人の演奏は聴く人を感動させるし、西洋楽器にない魅力を感じさせるがほんの一握りの人にしかできないパフォーマンスである。
小さい頃からハーモニカ、縦笛、小太鼓、ギターなど結構自在にこなしていたので尺八も自分で楽しめるぐらいには上達するだろうと思っていたが、音そのものがうまく出せないのはやはり向いてないのだろう。悩ましいところである。

ヨナ抜き音階

平成28年8月5日(金)
尺八の音階は5つの穴をふさいだり開放したりすることで、西洋音階でのドレミソラの5つの音を出すのが基本である。ファとシは穴を少しだけ開けるなどいささか工夫が必要になる。この5つの音階だけを使った音曲をヨナ抜きの曲という。ドレミファソラシをヒフミヨイムナと表していた頃のファとシがヨとナに相当するのでヨナ抜きというわけである。我が国(外来曲も含め)ではこのヨナ抜きの曲が結構あり、それなりにはやり歌になってきた。「丘を越えて」「潮来笠」「港町ブルース」「アメージング・グレイス」「蛍の光」「鳩ポッポ」「箱根八里」「アカシヤの雨がやむとき」「俺ら東京さ行ぐだ」「津軽平野」「アンコ椿は恋の花」こうしてみると新しい歌は少ないようだが、外国でも我が国でも、ヨナ抜きに1音だけヨかヤが入った「星の星座」「おおスザンナ」「おぼろ月夜」「歓喜の歌」などたくさんの曲が親しまれている。 アフリカの音楽でも同じ傾向があるそうで、ヒトが快いと思う音曲(音階)は世界中今日変わらないのだと思う。
沖縄の音階はレとラを抜いた言わばフム抜きであるが、各国にはそれぞれ民謡といえる音楽がありそれぞれの音階で成り立っている。私自身についていえば尺八の音階を順にならすだけで妙に安心し快く感じるのは、自分のDNAの中にヨナ抜きの音階が入っているからだろうかと思うことがあるぐらい自然である。

「Jazzen」「The Circle」

平成28年4月22日(金)
表題はいずれもカリフォルニア生まれのアメリカ人尺八演奏家、ジョン・海山・ネプチューン氏のCDである。このところ様々な尺八演奏家のCDを聴いているが、さすがに名のある演奏家の音色はそれぞれ特徴はあるが快く聴くことができる。琴との演奏も多いが和楽器同士は相性が良くて和の世界を満喫できる。
ジョン・海山・ネプチューン氏の演奏はかなり前に一度だけ広島での演奏会で聴いたことがあるが、尺八という単純だけれど扱いにくい楽器を自由自在に吹き、伴奏のギターとピタリと合ったすばらしい演奏であった。尺八の弱点をこれほど感じさせない演奏も少ないと思うが、こういった傾向は外国人尺八演奏家に多いような印象がある。
上記のアルバムは前者はジャズと尺八のコラボであるが、曲想はジャズと禪の融合であり、後者は日本・インド・ジャズ、さらにはラテンの音楽を融合させた独特の世界を表現している。我が国では技術を要するものはなんでも茶道・華道・柔道など道がついて精神の鍛練を重んじる文化がある。尺八はともすれば尺八道になりがちであるが、海山氏の尺八は純粋に音楽表現の楽器として使い、演奏しているように思われて実に快い。

西区民音楽祭

平成28年3月12日(土)
先日、西区民文化センターで行われた音楽祭に出演し、10数人の尺八で「アメイジング・グレイス」と「風の色」の2曲を合奏した。この音楽祭は西区民文化センター主催の広島市内で活動する音楽サークルのための発表会で、合唱・ギター・二胡・ハワイアン・フォークなど色々なグループが出演し、日頃の練習成果を一般の人に聴いてもらう会である。尺八でステージに立つのは久しぶりだったが、一人で演奏するわけではないのであまり緊張せずに吹くことができた。
元来、尺八という楽器はピッチを合わせるのが難しく、合奏にはには不向きである。特に半音は、ある程度吹ける人でないと正確に出せない。西洋の楽器は正確な音が出しやすいように改良されてきたのでオーケストラが成立するが、和楽器は楽器の改良よりも技を磨く方を重んじてきたために、普通の器楽曲を合奏するには熟達した技術が必要である。その分、和楽器のために作られた曲には独特の「和」の味わいがある。達人が単管で吹く尺八のしみじみとした響きには魂を揺さぶられる。やはり「和の音楽」も捨てがたいと思う。

尺八の再開

平成27年1月23日(金)
この正月はいろいろなことがあってほとんど尺八を吹くヒマがなかった。まだすべてが落ち着いたわけではないけれど、気分転換もかねてまた練習を始めようと思う。一旦吹き出せば結構熱中するので、心配事などが一時でも忘れられる。まず久本玄智の「春の恵」から始めようか。
久本玄智は作曲家、ピアノ、筝の演奏家で、邦楽の曲も多く作曲している。明治生まれ、5歳で失明して東京盲学校卒業、後に東京教育大学の教授も務め、幅広く活躍した音楽家である。曲は洋楽を取り入れた独特のもので、根強い人気があり現在でもよく演奏されている。早速吹いてみよう。