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「帰れないヨッパライたちへ」

平成30年3月15日(木)
表題は学生時代に「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットし、フォークの神様といわれ、その後精神科医になりロンドンに留学した後、北山医院を開設、その後九州大学の教授になるなど活躍を続けている北山修氏の著書である。思い起こせば2002年にザ・フォーク・クルセダースの新結成記念・解散音楽会が東京で開かれ、其の後大阪でも追加で行われた時に行くことができて、二度と見ることのできない貴重な演奏会を楽しむことができた。その際に北山修氏の歳を重ねて一層魅力を増した姿を見て、充実した人生を送ってきたのだろうなと感心したものである。
表題の本は、北山氏がどうして精神分析医になったのか、フォークルとして一世を風靡した後どのような人生を歩んできたのかを述べながら、同時に精神分析を通して我々の心のあり方についての見解を示し、これからどのように進んでいけばいいのかなどを、「表と裏」「二人だけの関係と三角関係」「嫉妬」などのキーワードで真摯に語っている。
氏は作詞家としても優れていて、心に響く詩をたくさん書いている。はるか昔、学生時代には「きたやまおさむ詩集」は座右の銘とまではいかないが、よく読み返していたものである。やはりいつになっても氏は我々のあこがれとなるスターなのだと思ったことである。

めぐり合わせ

平成30年2月23日(金)
車に関しては不思議と買った車種が製造中止になることが多かった。初めは研修医になってすぐに買った中古車で三菱ギャラン・ラムダ、金がないので頭金なしで24回分割払いだった。次に買ったのは自分にとって初めての新車、日産ブルーバード・マキシマV6ターボだったが5年で故障したので次は日産マキシマ3000㏄にしたが、これも5年で調子が悪くなった。以上の車種はいずれも早いうちに製造中止になっている。次は製造中止にならないことをディーラーに確かめて買ったトヨタ・アバロンだが、なんと買って半年もたたないうちに製造中止になった。いい車だっただけに残念だったが長く快適に乗ることができた。
買ったとたんに製造中止になるということは、人気がない車種だということになる。今はクラウンに乗っているのでまさか製造中止になることはないだろうと思うが、レクサスにとってかわられるかもしれない。車以外にもテニスの会は参加して数年で発展的解消になったし、以前所属していた尺八の会は主催者が亡くなって会そのものの活動がなくなっている。こういうのは単なるめぐり合わせなのかと考えることがある。どうなのだろうか。

減り続ける本屋さん

平成29年12月15日
だいぶ前から新聞の書評などで興味を持った本は、アマゾンで買うようになった。本屋に行く時間が限られている上に、せっかく行っても目的の本がないこともあるが、アマゾンなら数日で確実に届くからである。今から20年前、開業した頃はすぐ近くに2軒の本屋があり(丸善と金正堂)それぞれ特徴があって昼休みによく立ち寄っていた。どこにどんな本があるか把握していたので変わった部分だけ確認すればよく、新たな本を見つけるのは簡単だった。基本的には丸善に行くが、金正堂には店主の意向を示したようなコーナーがあり、自分の趣味とも合っていて新刊を楽しみにしていた。近くに開業している本好きの先生ともよく顔を合わせ、情報交換したものである。
それから10年位の間に2軒ともなくなってしまった上に、別の店(積善館)も移転したため気軽に立ち寄れなくなった。丸善は天満屋のあったビルに復活したがここも昼休みに立ち寄るには少し距離がある。アマゾンは古書を含め何でもそろうが、やはり本というものは実際に手に取ってみないとわからないものである。立ち読みの楽しさは独特のものがあるので町の本屋さん減るのは困る。町の本屋さんが存続できるような制度・価格操作はできないものだろうか。

18時開演

平成29年11月2日(木)
今、手元に「18時開演 TKURO YOSHIDA」という3枚組のCDとおまけのDVD1枚のアルバムがある。平成21年に吉田拓郎が4回だけステージ活動を行った時の東京でのライブ収録盤である。最初から最後まで一切カットなしで録音されているので、まさにライブ気分を味わえる貴重なアルバムになっている。偶然手に入れて時折聞いているがその度に青春時代に拓郎の音楽に熱中していた頃のあれこれを思い出す。
高校時代に、ラジオの深夜放送で聴いた曲をすぐにギターで再現しようとしたり、テープレコーダーに録音して何度も聴いたりしたものである。「旅の宿」「結婚しようよ」などはギター譜を手に入れて同じように弾き語りができるように練習したものである。今からみれば結構ガキっぽい歌詞の曲もあったが、当時は心底傾倒していた。今回のライブ盤では会場から自分と同じ年代と思える人たちの「拓郎コール」が聞こえて、伝説の中津川フォークジャンボリーを彷彿させる雰囲気が伝わってくる。吉田拓郎の歌もしゃべりも当時とあまり変わらず、すばらしい才能の持ち主であることがうれしい。

梅雨入り?

平成29年6月9日(金)
例年より少し早い「とうかさん」も終わり、7日には中四国地方も梅雨入りしたとの報道があった。7日は雨だったとはいえもう梅雨入り?ほんとかなと思ったが、今日は一転して夏のような日差しだ。先日故郷へ帰った時に見ると、平地に広がる田んぼは一面耕されていていつでも水が入れば田植えができるように準備されていた。広島の北部ではほとんど田植えは済んでいるようだけれど、故郷では梅雨を待って田植えを行っていたことを思い出した。梅雨入りしたのなら今頃は田植えが始まっているのかなと思ったが、こんなに天気が良い日が続くと田植えができるのか心配になる。水がなければ田植えはできないからだ。
今は機械で田植えをしているが、自分が小中学生の頃は稲の苗を一株ずつ手で植えていた。小学校の同級生のほぼ全員が自分も含め農家の子なので、この時期は田植えの手伝いのために「農繁休暇」があり学校が休みになった。梅雨の雨降りに合わせて一斉に行われるので3日ぐらい休みになっただろうか。田植えは結構きつい仕事でイヤだったが仕方ない、早く終われと思いながら手伝いをしたものである。クラスに一人くらいは勤め人の子供がいて田植えをしなくていいのをうらやましく思ったものである。それも今は昔、故郷では田を作る人がいなくなって一部の人に頼まざるを得なくなっているようだ。

ゼルダの伝説

平成29年4月21日(金)
ニンテンドーのファミコン復刻版が発売されたという話は昨年から知っていたが、とうとうアマゾンで手に入れた。早速「ゼルダの伝説」をやってみたがなかなか面白い。30年以上前にドンキーコング、スーパーマリオなどのゲームを携えてファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場した時は衝撃的だった。日本中さらに世界中の若者の支持を得てファミコンは売れに売れ、発売元の花札などを売っていた京都の小さな老舗「任天堂」は大企業へと変身していった。当時勤務していた某町立病院でも院長が医局兼食堂にファミコンを置いていて、院長を始め医師たちが発売されたばかりのファミコンで遊んでいたのを思い出す。
当時は家でもずいぶんやったが上記の「ゼルダの伝説」は、謎解きと経験によりレベルが上がるという2つの特徴に加え、画面が当時としては綺麗だったので結構はまった。週に1度大学へ通って学位論文のための研究することが義務付けられていたが、同じ研究仲間たちとアイテムの隠し場所などの情報交換をしたものである。あとは「メトロイド」「ドラゴンクエスト」もよくできたゲームでドラクエはⅥぐらいまでやっただろうか。いつの間にか興味を失ってしまったが、久しぶりにやってみると当時の状況などが思い出されてなつかしいものである。

日本産科婦人科学会

平成29年4月14日(金)
急に暖かくなった桜吹雪の舞う広島で上記の学会が開催されている。大学にとってこの学会を主催することは名実ともに一流の大学であると認められたことで、名誉なことである。日本中から教授、講師、基幹病院の部長など第一線級のドクターが今、広島に集まっている。関係者は疲れるだろうなと思うが、かつて岡山で学会が開かれた時は大変だった。岡山には当時「良い」といわれるホテルは2つしかなく、そのうちの一つは山の上にあった。会場はその2つのホテルと市民会館の3か所を使ってシャトルバスで行き来するようにしていたが、不便極まりない。今でこそコンベンションセンターとホテルが駅のそばにできて大きな学会も開きやすくなっているが、当時はちゃんとした会場がないのだから仕方がなく、それこそ罰ゲームのようだった。
それに比べて広島はさすが政令指定都市、国際都市である。学会場はリーガとグリーンアリーナ、クレドホールで十分まかなえているし、これらの施設は隣接しているので移動に便利、加えて周辺には繁華街があり平和公園もある。これほど全国大会の開催に適した都市は多くはないのではなかろうか。他にも国際会議場やアステルプラザ、旧厚生年金会館などもあり、同時に別の学会があっても開催できる余裕がある。内外の観光客も多くホテルの数も多い。そういえば昨年はオバマ大統領も来広した。「おしい!広島」ではなく「余裕の!広島」である。

きたやまおさむ著「コブのない駱駝」

平成29年2月10日(金)
上記の著者は伝説のグループ、ザ・フォーク・クルセダーズで一世を風靡し、その後精神科医となり診療所を開業、九州大学の教授も務めた北山修氏が、専門の精神分析を駆使して著した自伝である。京都駅前の開業医の長男として生まれた著者の心の軌跡を余すところなく述べていて、フォーク全盛だった当時の空気を思い出して懐かしく、共感できる部分も多かったがそれ以上に北山氏の懐の深さに尊敬の念を覚えた。
自分より6歳年上の北山氏が大学生の時に結成したグループによる「帰って来たヨッパライ」が深夜放送を中心に若者に受け大ヒットしたのは自分が中学から高校生になる多感な頃であった。当時はラジオの深夜放送「ヤンリク」「ヤンタン」「パックインミュージック」などを聴くのが日常生活の一部になるほどで、自分たちの音楽を自分たちで作り演奏することが最高だと思っていた。北山氏の詩集は共感する内容が多く、いくつかの詩に勝手に曲を付けて歌っていた記憶がある。
北山氏と加藤氏は2002年に期間限定でフォークルを再結成、坂崎幸之助氏を加えて演奏会を開いたが、大阪での演奏会のチケットを手に入れることができ実に懐かしく十分楽しませてもらった。会場で売っていた二度と手に入れることができないこの演奏会のCD「新結成記念・解散音楽會」は私の宝物である。

恩師の通夜

平成29年1月13日(金)
私が産婦人科の医師として一人前になるよう指導していただいた大恩ある岡山大学名誉教授のS先生が亡くなられ、お通夜に行ってきた。会場には懐かしい顔が多数みられ、長いこと医局に無沙汰していることをあらためて思った。
S先生は私が医学生の時に教授に就任され、卒業後医局に入った時には名実ともに名教授でおられた。手術の腕は超一流で、国内はもとより他国からも見学に来るほどであった。医局制度は充実しており、皆が公平に修練できるように配慮されていた。教授回診は週に2回あり、ちょうどドラマ「白い巨塔」と同じで主治医は受け持ちの患者さんの回診が終わるとほっとしたものである。当時は中国・四国のほぼすべての県に関連病院があり、そこへ医局員を派遣していた。それぞれの県の主要な病院はたいてい関連病院だったので、私も四国は徳島県以外はすべて赴任したし、中国地方は鳥取・島根以外は在職した経験がある。S先生は研究もされたが臨床を最も大切にされていたように思う。だから、私のように研究にはあまり興味がなく臨床が一番と思っている医局員にもやさしく接してくださったのだと思う。いずれにせよ今があるのはS先生と岡大医局のおかげであり、そのことを一層感じさせられたひと時であった。最後にS先生のご尊顔を拝見したが本当にきれいだった。享年92。合掌。

「十一月にふる雨は」

平成28年12月22日(木)
表題は明治生まれで大正から昭和時代に活躍した詩人、堀口大學の詩である。この詩に男声合唱で有名な多田武彦氏が曲を付け、合唱組曲「雨」の中におさめられており、初めて聴いた時からいい曲だと思ったし、学生時代に定期演奏会のための練習を重ねる度に詩の味わいを感じて気に入っていた。同じように思っている人は多いと見えて、ネットでもこの詩についての記載も多数みられる。YouTubeでいくつかの合唱団の演奏が聴けるのはうれしい。ところがある時からこの曲は公式には組曲から外され、代わりの曲が入りCDでも「十一月にふる雨は」はなくなってしまった。原因は詩の中に「コジキ・ヒニン」という言葉があるため、作曲者がこれを演奏する学生たちに迷惑が掛かってはいけないと考えてなくしたのではないかと思われる。
文学作品の中の言葉が、現代では使えないとはなんという不便なことであろうか。曽野綾子氏はエッセイの中で、これらの言葉狩りに対して反対されており、特にマスコミの自主規制に不快感を表明しておられる。かつては学生時代に買ったLPレコードで何度も聴いたこの曲をもう聴くことができないのかと思っていたが、YouTubeで聴けるとはありがたいことである。
「十一月にふる雨は」
十一月はうら悲し 世界を濡らし雨がふる!
十一月にふる雨は あかつき来れどなお止まず!
初冬の皮膚にふる雨の 真実冷たい悲しさよ!
されば木の葉の堪えもせで 鶫(つぐみ)、鶉(うずら)も身ぶるひす!
十一月にふる雨は 夕暮れ来れどなお止まず!
されば乞食のいこふ可き ベンチもあらぬ哀れさよ!
十一月にふる雨に 世界一列ぬれにけり!
王の宮殿(みやゐ)もぬれにけり 非人の小屋もぬれにけり!
十一月にふる雨は 夜来れどもなお止まず!
逢引のみやび男(をとこ)もぬれにけり、みやび女(をんな)もぬれそぼちけり