カテゴリー 好きなもの

フルートの練習

令和2年2月7日
最近フルートにはまっている。練習する時間がなかなか取れないのが難点であるが、少しでもヒマがあれば吹くようにしている。今は高音域の練習をしているが、指使いを覚えるのが大変で、さらに音楽にするにはどれだけの修練が必要だろうか。それでも少しずつでも進んでいるという手ごたえが快く、練習していても飽きない。小学時代のリコーダー、中学時代のギター、いずれもすぐにものにして飽きなかったがフルートもそうなってほしいと思う。
大学では軽音楽部に入ってフルートを吹こうと思っていたのだが、部室にいつ行っても誰もいない。きっと活動していないのだと思って友人のいた男声合唱団へ参加することになった。それはそれで面白かったし、いまだに合唱曲を聴いているが、フルートをやってみたいという思いはずっと胸の底にあったのだろう。五十の手習いで尺八をやってみたが、結局ものにならなかったのは残念であるけれど、遅ればせながらフルートを始めてよかったと思っている。

フルートの演奏会

令和2年1月24日
エリザベト音楽大学のセシリアホールでフルートの演奏会があった。フルートの演奏会に行くのは初めてである。広島を中心に活躍している16人のフルート奏者(主に女性)が中心になって演奏会を開いていることを初めて知ったのだが、今回はゲストにNHK交響楽団の首席フルート奏者で桐朋学園大学教授の神田寛明氏を招いての演奏会であった。
初めて聴いたがフルートだけでこれほど素晴らしい音を作り出すことができることに驚いた。圧巻は神田寛明氏のミニリサイタルで、一音もゆるがせにせずそれでいて流れるような演奏はただただ聞き入るのみだった。パガニーニの「カプリス第24番」は重音を駆使しての超絶技巧的な曲で、フルートで重音を使うことを初めて知った。最後のステージは16人のフルーティストと神田氏のコラボでグリーグの「ペール・ギュント第1組曲」、この曲は中学校の音楽の授業でレコード鑑賞で聴いたのが初めてで、好きな曲であったがフルートだけで(ピッコロ、バスフルートも含む)オーケストラに匹敵するような演奏ができることに感銘した。ソルヴェイグの歌のソロメロディを神田氏が吹くのを聴いていると、自分はこの歌が好きだったことを思い出して感慨深いものがあった。いい演奏会だった。

師匠の演奏会

令和元年12月20日
尺八の師匠のコンサートが平日の夜、東区民文化センターで行われた。個人コンサートは10年ぶりだそうで、古希の節目に今まで交流のあった人達に感謝の気持ちを込めてとのことで入場無料で行われた。自分は夏にめまいを起こして以来、尺八は一切吹いていないが師匠のコンサートには行かせていただいた。200人近い人で会場はほぼ満席、途中で退席する人もなく初めから終わりまで静かに耳を傾けている人がほとんどだった。師匠の人がらと尺八の音色にひかれて集まっている人ばかりのように思われた。久しぶりに聴く尺八の音は実に快く、こういう音を出せるなら尺八を再開してもいいかと思うのだが、10年以上頑張ったけれど自分には無理だと確信してしまったので、もっぱら聞くだけにするつもりである。
それにしても音楽は本当にいいものだと改めて思った。自分の中での音楽史を振り返ってみても、「こんなすごい音楽があるのか」と思ってのめり込むことが何度もあり、それは自分の記憶のなかに順を追って収まっている。そしてこれからもそのような感動が何度あるかわからないが、是非あってほしいと思う。

「かぜうどん」

令和元年10月4日
現存している桂枝雀のCD,DVDの中で一番気にいっているものを選ぶとしたら、平成9年9月に姫路市民会館で演じた「かぜうどん」は外せない。枝雀の「まくら」はユニークで面白いのだが、この時は低い調子で物売りの声などを披露して次第に本題の屋台のうどん屋に話を持って行き、屋台を担いで寒い夜に街なかでうどんを売って歩く情景を描写する。酔っぱらいとうどん屋の掛け合いも面白いが、ばくちを打っている連中に気にいられてたくさんのうどんが売れる様子もいい。最後に風邪をひいている客がうまそうにうどんをすすり食べ終わるまでの情景がじつに見事で、思わずうどんが食べたくなる。サゲのあと観客が立ち上がって帰りかける時のざわざわしたなかに、「〇〇ちゃん、帰りにおうどん食べに行こ」というおばちゃんの声が入っているところがいい。うどんが食べたくなった客が多かったのではないだろうか。
枝雀の落語では「代書屋」「蔵丁稚」「不動坊」「寝床」「住吉籠」「煮売屋」「愛宕山」などどれも外せない面白さがあるが、「三十石夢の通い路」は格別な味がある。50代の後半になり芸に一層凄みが出てきた枝雀が59歳で亡くなったのは返す返すも残念なことである。もっと聞きたかった。

虹の彼方に

令和元年9月27日
上達する見込みのない尺八は一旦中断し、性懲りもなくフルートを始めた。フルートは高校時代に音楽部の後輩に借りて吹いたことがあったが、精巧なメカニズムに圧倒されたけれど音は出しやすいと思った。大学に入った時には軽音楽部に入ってフルートを吹こうと思っていて、軽音楽部の部室をのぞいてみたけれどいつ部室に行っても誰もいない。仕方なく友人のいた男声合唱団に入ったが、ここで歌のうまい先輩の歌う「Over the rainbow」を初めて聞いていい歌だなと思った。合唱団でも歌ったが、それでこの曲が1939年のミュージカル映画「オズの魔法使い」の劇中歌だと知った次第である。
フルートの課題曲にこの曲があり、久しぶりに吹いてみたらはるか昔、多感な時代を思い出して音楽はいいものだと改めて思った。歌詞は、虹の彼方に望みのかなう素晴らしいところがあるというほどのことだが、桂枝雀の創作落語「山のあなた」と共通のところがあり、洋の東西を問わず人の考えることは同じなのだと納得。「山のあなた」はドイツの詩人カール・ブッセの詩を上田敏が日本語に訳して詩集「海潮音」に載せて有名になったのである。

山のあなたの空遠く 「幸い」住むとひとのいふ
噫われひとと尋めゆきて 涙さしぐみかへりきぬ
山のあなたになほ遠く 「幸い」住むとひとのいふ

枝雀十八番

平成31年4月12日
最近、しばらく遠ざかっていた桂枝雀の落語にはまっている。前にはまった時にそろえたDVD、CDがごっそりあるが、その中で表題の9枚組のDVDをあらためて見ていると実に面白い。これは枝雀の人気が絶頂を迎える頃の映像で、18話の落語を収録していて他のCDとかぶる内容もあるのだけれどユニークなのは、落語作家の小佐田定雄氏が枝雀の弟子と共に映像を見ながらおしゃべりしているバージョンがあることだ。小佐田氏はずっと上方落語に寄り添って生きてきた人で、枝雀のファンであり新作落語を提供したりで深くかかわってきただけに、弟子と共にいろいろなエピソードを紹介しているのが面白く、枝雀がいっそう身近に感じられる。
桂枝雀の落語のCD・DVDが氏の死後20年以上経つのにいまだに売れ続けているのは、すごいことである。上方古典落語を極めた氏の話芸は他の追随を許さないほどで、何度聞いても隅々まで気を配って作り上げた話には飽きが来ない。晩年近くになると一層凄みを増していて、鬱病さえなければ今も我々を楽しませてくれているに違いない。残念である。

向き不向き

平成31年2月7日(木)
何事にも向き不向きはある。スポーツでいえば概して運動神経のいい人はなんでもうまくできるけれど、どうしても苦手な分野もあるだろう。ボクシングでは国体に出られるくらいの能力があるのにゴルフは苦手な友人もいたし、他のスポーツはあまりできないのにゴルフはうまい人もいる。学問についても理数系は抜群でも人文系は苦手な人もいるしその逆もある。
楽器の演奏でも向き不向きは当然あるだろう。下手な尺八を吹いているが一向に納得する音が出ない。他の楽器はどれもこんなにとっつきにくいことはなかった。でも始めたからには「石の上にも三年」なのでもう少し頑張ろうと思いながらやってきたが、なかなか上達しない。向き不向きのせいにしたくないので努力してきたけれど最近、自分はこの楽器に向いてないのではと思い始めていることに驚いている。楽しむために始めた楽器であるが、楽しめないのは努力不足なのか向いていないのか。

キュリオス大阪公演

平成30年9月28日
連休を利用してシルク・ド・ソレイユの大阪公演「キュリオス」を見に行った。カナダのパフォーマンス集団シルク・ド・ソレイユが日本で初めて公演をしたのは1992年、「ファシナシオン」と題してのものだった。以後、今回で13回目の公演になるがほとんど見に行っている。毎回鍛え上げた体を使っての見事なパフォーマンスに十分満足しているが、今回の公演はテーマがややわかりにくかった。それでも美しい演技には魅了された。
例によって大阪・京都を観光したが、あべのハルカスの展望台からのながめはすごいもので、まさに大阪を一望していて電車・高速道路がジオラマのように見えた。京都は伏見稲荷大社の千本鳥居をくぐって四つ辻まで登ったが、さすがに頂上まで行く元気はなかった。東福寺の通天橋では、紅葉の時期ならどんなに見事だろうと思ったが、たぶん観光客が多すぎてゆっくり観賞できないだろう。
初日の夜は大阪玉造駅の近くにある「ながほり」、ここは居酒屋であるが食べログNo1でミシュランにも載っている店で、料理も酒も申し分なかった。翌日は京都先斗町の「酒亭ばんから」、魚料理にこだわった非常にリーゾナブルな店で京都の人が好む人気店で、やたらと値段の高い和食店とは一線を画した今回の旅の最大の収穫の店だった。帰りは「辻留」の弁当を仕入れて自宅で一杯、いい休暇になった。

「人生の結論」

平成30年9月21日
表題は漫画原作者として数多くの作品を送り出してきた小池一夫氏の著書である。氏は以前は小池一雄の筆名だったが、氏の原作の漫画は面白いので今でも結構持っている。さいとうプロ時代に手がけた「御用牙」、独立してからの「ブラザーズ」「オークションハウス」「弐十手物語」「上がってナンボ」「新上がってナンボ」「新新上がってナンボ」「魔物語」「実験人形ダミー・オスカー」「青春の尻尾」「クライングフリーマン」などほぼ全巻そろえていたが、「弐十手物語」だけはリホームの時になくなってしまった。氏の原作はアイデアがいいのと色々な分野に詳しく、裏社会にも通じている内容が実に面白く注目していた。
氏は現在80歳を過ぎているようであるが、表題の著書ではこれまでの経験をもとに様々な「言葉」を綴っている。こういう言葉はともすれば年寄りのたわごとのようにとられがちだけれど、表も裏も知り尽くした氏のような人生の達人の言葉として読めば共感することが多い。「過去が未来を決めるのではなく、未来が過去を決める」これは理論物理学者の佐治晴夫氏の言葉でもあるが、いい言葉だと思う。もう起きてしまった過去を変えることはできないけれど、これからのことが過去の解釈を変えることができるということで、希望の言葉である。興味深く読ませてもらった。

「最後の講義」福岡伸一

平成30年8月24日
NHKBSの番組に「最後の講義」というのがある。これは米国の同名の番組をまねたもので、各界の著名人に人生最後の講義をすることになったらどんな講義をするかということで、実際に講義をしてもらったものを編集・解説し放映したものである。
今回は生物学者で「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」などの著書でおなじみの福岡伸一氏が、現在教授をしている青山学院大学で講義したもので、解説は阿川佐和子氏だった。以前から福岡氏の著書を読んでそのユニークさと生物に対する理論への共感から注目していたので、興味を持って視聴した。まず、自分がなぜ生物学者になろうと思ったのかというところから語り始めて、京都大学時代に重要な遺伝子を欠損させたマウスを作ったけれど、外見も機能も寿命も全く変わらなかったという経験を経て、生命とは何かを一層考えるようになったと言う。そして生命とは動的平衡であるという結論に達したのである。生命の動きを的確に表現する手段として絵画があり、大好きなフェルメールの絵はその極致だろうと。
福岡氏の生物に対する考え方は、解説の阿川氏が「福岡先生は養老孟司先生と同じような印象がある」というように、的確に本質をついているのだと思う。脳死問題も氏が述べている通りだと思う。学生たちも真剣に聴講し質問も真摯なもので、面白く視聴させてもらった。