カテゴリー 日々是好日

中区4支部忘年会

令和5年11月18日
コロナ禍のため会合がほとんどなくなっていたけれど、4年ぶりに地区忘年会が開かれた。中区第4支部は医療施設が50あまり狭い地域にひしめきあっているが、普段はほとんど顔を合わせることがない。久しぶりに会うと懐かしい気持ちになる。クリニックを始めて27年目になるが、若い人が増えて自分より年上の先生は少なくなってしまった。クリニックをやめたり世代交代を計る先生など、時代は変わって行くのだなと思った次第である。
出席者は20数人だったが、一人一人が近況などスピーチしてなかなか面白かった。中には「初めて参加した時は先輩ばかりで何をしゃべっていいかわからず、小さくなっていたけれど、10年経ってみると自分が中堅どころになっているのがうれしい」という人もいて、まさに自分も同じだったと思った次第である。やはりこういった会合がないとつまらない。コロナが5類感染症に移行してよかった。もっと早く移行すべきだったと思う。

元安会

令和5年10月20日
中電病院OB会の名称を「元安会」といって、元院長のM先生が20数年前に始めた会である。現会長は2代目のF先生であるが、世話人のひとりに指名されたため毎年1回開かれる会合に出席していた。コロナのために3年間会が開かれなかったが、今年からまず人数制限して始めることになった。結局、OBが世話人を含めて20人、病院から6人が参加するこじんまりとした会になった。
久しぶりに会うOBの先生方は初めは老けて見えたけれど話しているうちに昔の若々しさが戻ってきて、懐かしく当時の思い出を語り合うことができた。なにしろ中電病院を辞めて開業したのは26年以上前である。自分を含め皆も年を取るはずである。現院長の話では7年先には中電病院は駅北にできる県病院を中心にした新基幹病院に吸収されることになるそうである。手術件数が減ったことや分娩を辞めたことなどで収入が減ったことも原因とのことで、OBとしては非常に残念なことである。かつて勤めていた時は年間600から700件のお産をしていたが、ある時からお産をやめてしまったのである。安全で安定したお産ができる施設を作るまでには先輩たちの大変な時間と努力が必要だったはずである。それを失くしてしまうとは…
「元安会」がいつまで続くかわからないが発展性はないかもしれない。寂しいことであるが。

休日に訪れる店

令和5年10月6日
月日の経つのは早いものでもう10月、今年も残すところあと3か月である。
休日・午後休診の日にドライブを兼ねていく店はいくつかあるが、最近の定番は「手打ちそばながお」「リトルセイロン」「サカナヤ」「宮島達磨」「饂飩屋幸兵衛」ごくたまに「豚笑」などにも行くが、どの店もそれぞれ特徴があって飽きない。すべて予約なしでふらっと行ける気軽な店である。以前は「蕎麦切り吟」によく行っていたが水曜が休みなので行けなくなった。昔のブログを読み返してみるとずいぶんいろんな店に行っているが、最近は少し食べただけで体重が増えてしまうので重いものはなるべく控えるようにしている。
それにしてもいろんな店で食べたものである。生きることは食べることであるとの名言があるが、まさにその通りでいくつになっても変わらないし、食欲がなくなるのは命が絶えるときだろう。コロナで重症化していた時は全く食欲がなかったことを思い出すと、今の状態は本当にありがたいと思う。次はどの店に行こうかな。

忘れた

令和5年9月15日
最近、2つの講演をスルーしてしまった。一つは広大で行われた講演で、WEBで視聴する予定で、当日(日曜日)朝からクリニックに出かけパソコンを開いたが、視聴するための案内メールがなくなっている。間違えて消去してしまったようだ。あらかじめ「間違えて消去する人がいますので注意を」とのメールがあったのに…
昨日は夜7時からの講演で、これもWEBだけれどしっかり視聴できるように準備していたにもかかわらず、午後の外来が終わってほっとしてそのまま帰宅。食事を終えて入浴した時に、何か忘れていたような気がすると思っていて「そうだ!講演があったんだ」と気づいたが後の祭り。ボケが始まったのかと思ってしまった。カレンダーにはスケジュールを書いていて毎日見ているにもかかわらず失念するのはいかがなものか。困ったものだ。

孫たち集合

令和5年8月17日
台風の合間を縫って次女が信州から帰省した。一日、長女と長男の孫たちも我が家に集まって宴会となった。中3の女の子を筆頭に1歳の男児まで総計6人の孫たちが一堂に会したが、このような機会はなかなかないだろうと思うと、感慨深いものがあった。いつの間にか1歳の子も皆の中に溶け込んで、いとこ同士のつきあいの始まりである。
田舎育ちの自分の家は親戚同士3軒が固まっていて、いとこ、又いとこなど6人がいて遊んだりしたものだ。今は核家族になってこんな集まりはなくなってしまった。今回のような集まりは孫たちの記憶に残るだろうと思うと貴重である。
途中から一人離れて録画しておいたゴッドファーザーの第一作を観ながら感慨にふけっていたが、昨年のコロナで命を失くしていたかもしれなかったことを思えば本当にありがたいと思ったことである。

梅雨明け

令和5年7月20日
正式に発表されていないが自分の感覚では今日から梅雨明けだ。朝からの日差しが違うし、自転車通勤での肌間隔ではまさに夏である。子供の頃からこの季節は泳ぎに行くのが大好きで、近くの川や池に昼食後泳ぎに行ったものである。さすがに今は泳ぎたいとは思わないが、その感覚はしっかり残っている。それにしても最近の夏の暑いこと、猛暑と呼ぶにふさわしい。田舎にいたころはこんなに暑くなかったように思う。朝涼しいうちにスイカ畑に行って、よく熟れていそうなスイカを取って深い井戸に入れておく。この井戸は深いので水が冷たいのである。昼ごはんの後井戸から取り出したスイカを切って食べる。スイカが大好きな自分の至福の時である。時には泳ぎに行く池に持っていって泳いだ後で食べる。あとは昼寝。今から考えると、小さい頃は田舎の生活の方が良かったと思う。高校生以降は都会が魅力的だけれど。まさに「夏が来れば思い出す」である。

梅雨と雨漏り

令和5年7月6日
今日は晴れているが梅雨の晴れ間で、このところ梅雨のどんよりした天気が続く。
先日の雨でクリニックの窓から雨漏りがするのを発見。わずかな量だけれど一日中雨なのでそこそこ溜まってくる。建物のメインテナンスはしっかりしているが、築32年経っていればこんなこともあるのだろう。家主に相談するとすぐに施工業者に連絡してくれて、近々修理してくれるそうだ。
ビルに入居して26年目になるのでさすがに内装も古くなってきた。壁紙やカーペット、天井の一部は何回か変えたが、それ以外は変えてないのでそろそろ一新が必要かもしれない。特にトイレが問題である。下の階からの施工になるので、簡単には出来そうもない。カルテ庫もいっぱいになっていて整理が大変である。今のところ電子カルテにする気はないので、これからもカルテ庫の整理は毎年の必要事項になるだろう。仕方ないとはいえ気が重いことである。

産婦人科医会300回記念

令和5年6月23日
広島市を中心にした産婦人科の研修会が、めでたく300回を迎えた。年に5回程度の開催なので50年以上の歴史を持つ勉強会である。会長は従来は県の産婦人科医会の会長が兼任していたが、広島市以外の医師が会長の場合があるので、2001年から新たに広島市の医師を会長にして運営することになった。それまでは当番幹事2名が会の準備などを行っていたが、新たに数名の理事が加わることで非常にやりやすくなった。その時の当番幹事が自分で、それ以来ずっと理事としてかかわってきた。コロナ感染を機に辞めさせてもらったが、いい経験をさせてもらったと思う。
講演に来る先生方は教授か講師、部長クラスの人たちで、講演の後の食事会で親しく話ができる。100人くらいの先生方と話ができたと思う。さすがに講演に来られる先生方はその道のプロなので、話も面白いし魅力的な人ばかりである。興味深いエピソードなど聞かせていただき本当によかった。今回はその記念の集まりで、関係者一同盛り上がって祝うことができたのはありがたいことだった。

広島G7サミット

令和5年5月24日
広島G7サミットが無事終わった。岸田首相をはじめ関係各位は心からほっとしたことだろう。サミットのだいぶ前からクリニック周辺に警官の姿が増えてきて、私服の警官と思しき人も見られるようになった。毎日自転車で往復する平和大通りは警察車両がびっしり並び、バイデン大統領が泊まったヒルトンホテルの周囲は警官がびっしりで、まさにアリの子一匹通さないとの気構えを感じさせられた。
日曜日は車で出かけると規制にかかると思ったのでカミさんと京橋川をさかのぼるウオーキングをおこなった。どの橋にも警官の姿が見られ、いろんな県から応援に来ていることがわかり「ご苦労様です」と声をかけるとにっこりあいさつしてくれて、ほっこりした気持になる。縮景園を対岸に眺めながらさかのぼると、園内の川沿いに警官が50メートルごとに立って警護している。園の周辺は警察車両や白バイが見られ、警官の数もびっしりで園に要人が来ていることを思わせる。猿猴川を下って駅前を通って帰ったが、パトカーに先導された要人の車が通過するのを見た。
広島県警が3,000人、警視庁を含め他県からの応援が21,000人、合計24,000人の警官による警備は史上初ではないだろうか。こんな光景は二度と見られないだろう。いい経験をさせてもらったと思う。

第4支部「春の会」

令和5年5月17日
サミットが近づきクリニックの周辺には警察官の姿がいっぱい見られるようになった。通勤の道にも交差点にも必ずいて、広島の街は今が一番安全なのではないだろうか。コロナも5類に変更になってマスクも不要になった。暑い日が続くのに意味のないマスクをするのは身体によくないのでいいことである。そうした中で3年ぶりに中区医師会第4支部「春の会」がアンデルセンで開かれた。
久しぶりに会う先生方ばかりでそれぞれの近況を話すのを聞いていると、このような会合は必要だと思った次第である。驚いたのは出席者の中で自分は上から4番目の年齢になっていることだった。今から25年前に初めて参加した時は一番若手のグループの中にいたのにいつの間にかこうなってしまった。そのころ先輩だった先生方は亡くなられたり、子供さんが後を継いだりでほとんど来られなくなってしまった。そう思うといっそう感慨深い会になった。