令和7年12月12日
休日にドライブをしていたら偶然「伊藤公資料館」の案内板があった。早速行ってみたら旧伊藤博文邸に隣接して資料館があり、駐車場には10台くらい車が停まっていた。広い敷地には明治43年に建てられた邸宅(平成16年大規模な補修工事が行われた)があり、公開されていたので中に入ってみた。和洋折衷の建物で、伊藤公みずから設計したというが、大勢の人を集めて法要を行うこともできる造りであった。
隣の記念館はシアタールームなども備わっていて、コンパクトだけれども内容の濃い展示室があり、充分楽しむことができた。手紙なども展示されていたが、さすがに達筆であったが我々には何が書いてあるのか読めなかった。敷地の裏は小高い丘になっていて伊藤公の銅像があり、わき道を抜けると小さな児童公園が備わっていた。
伊藤公は明治42年ハルピン駅で狙撃され、邸の完成を見ないまま生涯を終えたが、果たした仕事は明治維新に名を遺している。氏のような人物が我々日本人の先祖にいることはありがたいことである。いいものを見させてもらった。
カテゴリー 日々是好日
伊藤公資料館
ハイボール
令和7年12月5日
「ハイボール」という言葉を初めて知ったのは小学時代で、白黒テレビの寿屋(現サントリー)トリスのコマーシャルからである。父親はアルコールが全く飲めず家にはビールも日本酒もなかったが、地区の集まりなどで大人たちがうまそうに酒を飲む姿を見て自分も飲んでみたいと思っていた。たまにその機会があった時に酒を口に含んでみたが、ちっともうまくなくて「ワタナベのジュースの素(古い!)」の方が甘くていいと思っていた。
大学時代はビール、ウイスキーの水割り、たまに日本酒を好んだがなにしろ遺伝でアルコールに弱く、少しの量で満足していたがアルコールはうまいと思っていた。焼酎を好んだ頃もあったがこのところウイスキーの炭酸割「ハイボール」がメインになり、ほぼ毎晩飲んでいる。つまみはやや甘めのもので、ちびちび飲(や)りながら貯めていたテレビの番組を観るのは至福の時である。ビールもそうだけれどウイスキーは刺身以外のほとんどのつまみに合うので実にいいのである。3~4年前からこのスタイルであるが、しばらく続きそうだ。
国宝
令和7年11月13日
朝夕冷え込むようになり、冬が近づいている気配がある。10月の前半までは真夏日もあったというのに、今年も短い秋になりそうだ。
先日クリニックから家まで早歩きで帰ってみたら、3kmを35分で帰れた。自転車通勤を止めたが、たまには歩きもいいかもしれない。
午後休診の水曜日、八丁座で「国宝」を観た。興行収入170億円の大ヒット作で、平日の午後だったが客席は7~8割がた埋まっていた。約3時間の長丁場だったが、客はほとんど動かず、映像に引き込まれていたようだ。なんといっても吉沢亮の演技が光っていたし、横浜流星もいい味を出していた。歌舞伎の世界の伝統の奥深さを垣間見たような気持がしたが、役者さんの演技はすごいものだと改めて思った。たまには映画を見るのもいいものだ。
西田俊英「不死鳥」展
令和7年10月17日
新見(にいみ)美術館で開かれている開館35周年特別展に行ったが、その絵のすばらしさ、凄さに言葉もないほどだった。西田俊英氏は現代日本画壇を牽引する名前通りの俊英で、2,000年には広島市立大学芸術学部の教授を務めながら、数々の作品を発表している。2,012年からは武蔵野美術大学の教授を務めている。
今回の作品は、西田氏が屋久島に1年間移り住んで取材し、人間と自然の共生、生命の循環をテーマにした巨大日本画「不死鳥」を制作している途中までの成果を、ひと続きの絵の中で表している。完成すれば縦2.5メートル、長さは100メートルになる大作である。全部で六章からなる壮大な絵巻物で、今回の展示は第一章「生命の根源」第二章「太古からの森」第三章「森の慟哭」までであるが、心を鷲摑みされるような凄さに圧倒された。新見美術館は岡山県の西北部、小さな美術館なので、ありがたいことに観客も少なくじっくり鑑賞することができた。六章すべてが完成したらおそらく東京の美術館に展示されるだろうが、多数の人が押し寄せると思われる。今が絶好のチャンスである。ぜひ行ってほしい。
やっと秋になった
令和7年10月2日
連日の猛暑が去って、朝夕は過ごしやすくなった。昼間はまだ暑い日もあるが、しのぎやすくなったのはありがたいことである。それにしても今年の暑さは異常だった。クーラーがなかったら熱中症になる人が後を絶たなかっただろう。昼間は屋外に出るとそれだけで汗が噴き出すので屋内にいるしかなかった。やっと昼間野外活動ができる。運動不足を解消したいし散歩・山歩きなどもしたい。
最近アルコールが増えて、カミさんからレッドカードが出ていたので今週から控えるようにした。なんと翌日から空腹感がよみがえり、ごはんがおいしいこと。そのうえ体重の増加も止まったようなのだ。恥ずかしいことだが「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を実感している。ちょっと意味が違うかな。でもこれでいいのだ。
久闊を叙する
令和7年9月26日
猛暑の日々が続いていたが、やっと秋の兆しが感じられるようになった。最近、大学時代の友人と一夕を共にし、大いに語り合えたのは実にうれしいことだった。また、予備校時代の友人とも酒席を共にできたことも感慨深いことであった。どちらの友も人生を全うしている姿を見ると本当に良かったと思うし、友人であったことを誇らしく思ったことであった。まさに「久闊を叙する」である。考えてみれば若い日々のことは、恥ずかしいことや未熟だったことばかり思い出されてしまうが、いろんなことに真摯に向き合ってきたことも確かなことである。旧友に会うとその頃のことが思い出されて、自分の原点はここなんだと知らされる。そして人生の終焉になって自分を肯定できるのは幸せなことである。願わくば自分がかかわってきた人たちもそうあってほしいと心から思う。
感傷的になったのは秋になったからなのかな。
開院28周年
令和7年9月12日
平成9年9月10日に開院してから28年経ち29年目に入った。早いもので四半世紀以上この場所で診療をしてきたことになる。その間、最大のピンチはコロナに感染し、重症化したため県病院に入院したことである。挿管まで行われたが幸い回復して3週間の入院で済んだ。他にも市民病院に入院したり、静脈瘤の手術で逓信病院の杉山先生にお世話になったりなどがあったが、おおむね元気で仕事ができたのはありがたいことであった。
今まで続いたのは患者さんが来院してくれることが第一であるが、支えてくれる家族・スタッフのおかげである。深く深く感謝している。医会などの手伝いもさせてもらったおかげで、美味しい店もいっぱい教えてもらった。この頃は美味しい店を新たに見つけようという情熱が衰えてきたように思うが、アンテナはいつも張っている。
いずれにしても現在元気で診療できていることはありがたいことだと思っている。さあ今日も頑張ろう!
盆休み
令和7年8月22日
今年の夏の暑さは異常で、今年の盆休みはどこかに出かけようという意欲もなくゴロゴロしていた。以前は「休みしか行けないところを」と考えて、ミシュランなどを参考にして食事の店を予約し、そのうえで宿を予約して行ったものだ(予約の順序が逆のようだがこれでいいのだ)。
2,017年は仙台から東北に出かけ、松島・瑞巌寺・平泉・中尊寺などを訪れた。もちろん鮨屋の予約も忘れずにした。2,018年は鎌倉・箱根に行き、鶴岡八幡宮、箱根の森美術館などを楽しんだ。2,020年は四国から高知に行き、祖谷のかずら橋や仁淀ブルーを見ることができた。2,023年は大分県立美術館で行われていた養老孟司氏の「虫展」を見て湯布院に行き、翌日は佐賀県の武雄温泉に泊まり県立熊本美術館の「ホキ美術館」を鑑賞してきた。
もう少し涼しくなれば出かけてもいいかと思うのだが、この猛暑だとおっくうになる。年のせいもあるのだろうが、旅にも美食にも意欲的だったころが懐かしい。
日々是好日
令和7年8月1日
灼熱ともいうべき日々が続いている。地球はどうなってしまうのか、はなはだ心配である。湿度が高いのでいっそう暑さがこたえる。
気分転換に、ひさしぶりに尺八を吹いてみた。なんと!尺八らしい音が出るではないか。初めからこの音が出れば、今頃は普通の尺八吹きになっていたのにと思うとくやしい。初めから正しい吹き方を理解していなかったのである。楽器はどれも難しいが、少しでも上達すれば実に楽しいことである。
今から時間を戻すことはできないが、少しずつ吹いてみようと思う。暑い日、涼しい室内で昔の楽譜をとりだして、記憶をたどりながら練習するのもなかなかいいものである。今は尺八の世界から完全に足を洗ってしまったが、少しやってみてもいいかなと思わぬでもない。当時は真剣に練習していたことが、遠い夢のように感じる。また吹いてみよう。
道後温泉
令和7年7月25日
去年の8月に九州の温泉に行って以来どこにも行ってなかったので、土曜日の午前の診察を終えた後、カーフェリーで宇品港から松山に行った。いつも旅する時はまず、美味しい店を見つけて予約してその後で宿をとるのが通例だったが、最近は面倒なので食事付きの宿をとるようになっていた。今回は食べログの上位に載っていた温泉宿が目に留まったので行ってみたわけである。
温泉宿の食事は見た目は派手だがそれほど美味しくないことがあるが、「道後温泉御湯(みゆ)」は部屋も居心地よく、なによりさりげない距離感の対応で、気に入った。部屋についている露天風呂も適温で何度でも入りたくなる。そのかわり大浴場はあまりいいとは思わなかった。食事はさすがに美味しく接客も丁寧で充分満足できた。開業7年目だそうだが、また行ってみたい宿だった。
翌日は愛媛県内をあちこち巡り、しまなみ海道を通って帰宅、その翌日(祝日)は当番医として診療したが、久しぶりの温泉でリラックスできた。



