タバコと飲酒と肥満の生命予後

平成18年11月15日(水)
タバコとアルコールと肥満はどれも体に良くないといわれているが実際のところはどうなのだろうか。
国立がんセンターの津金氏によると日本人の場合、タバコは1,6倍がんになりやすいそうである。ある調査によると、タバコを吸わない人100人とタバコを 吸う人100人を40歳から25年間追跡したとすると、74歳でタバコをすわない100人のうち20人ががんに、1人が肺がんになる。一方、タバコを吸う 人100人では32人ががんに、5人が肺がんになるという。タバコを吸うことにより肺がんは5倍になるということであるが、タバコを吸っても100人のう ち95人は肺がんにはならないとも言えるのである。
アルコールについては日本酒で2合、ビールでは大瓶2本までなら生命予後は変わらないようである。逆に日本人に多い脳梗塞には適量のアルコールは発生率を 減らすし、心筋梗塞のリスクも下げるそうである。アルコール好きの人にはなんともうれしい話ではないか。肥満もBMI30までならかわらないそうである。 太りすぎはよくないが、やせすぎはがんになる率が高いので問題である。
こうしてみると適度のアルコールと軽い肥満は問題ないとのお墨付き、5年前にタバコをやめた私にはなんともうれしいことである。今日もうまいつまみで晩酌をしよう。

名前のこと

平成18年11月11日(土)
来院される患者さんの名前はさまざまで、珍しものやなんと読むのかわからない姓もあって興味深い。うら若き女性の姓にはふさわしくない姓もあるし、字数の 多いものや簡単な一文字だけの姓もある。姓は先祖から受け継がれてきた歴史があるので、それぞれ愛着があると思われるが、難しくて人に読んでもらえないよ うなものは困るだろう。
私についていえば、「木山」という姓は字が単純すぎて名前にやや画数の多い文字を入れないとバランスがわるい。だからわが子に名前をつけるときには字画の やや多い字を選んでバランスをとるようにした。姓は先祖からのものでどうしようもないが、名前はその子だけが一生使うものだから①読みやすく②読み違えの ない③美しい④良い意味を持つ文字をつけてやりたいと思ったものである。
我が国の姓に使われる漢字で一番多いのは「田」で1300万人いるそうである。確かに「田」のつく姓はよく目にするが、わが国の基礎である稲作のための 「田」の文字が使われてきたのはもっともだと思われる。次に多いのは「藤」で700万人、以下「山」「野」「川」「木」「村」「大」「井」などがよく使わ れているようで、やはり我われのルーツは自然=農村であると再認識させられる。

病腎移植

平成18年11月8日(水)
このところ腎移植の問題で連日報道が行われている。宇和島の医師が病気により摘出した腎臓を透析患者に移植していたことが明るみになったからである。移植していた医師は正しいと信じて行っていたようで議論が湧き起こっている。
現在わが国では臓器移植はドナー不足のためわずかしか行われていない。一方移植を待つ人はどんどん増えている。日本移植学会に属している医師ならその倫理 規定に従わねばならず、なかなか移植できない。いま報道されている医師は学会に属しておらず、したがって会告に従う必要もないので多くの移植を手がけるこ とができたのである。グレイゾーンの移植もあったようで、どちらがよいのか難しい問題である。
手塚治の名作「ブラックジャック」はこの問題を主題にした作品である。目の前に苦しんでいる人がいる。自分はその人を助ける技術を持っていて、設備もそ ろっている。当事者同士の承諾がある。でも残念なことに彼は医師免許を持っていない。法を犯しても助けるべきなのか。作者はこの主題を単純な人道的問題だ けにせず金銭をからませたところが天才的である。
もちろん今回の問題は医師法違反などではなく倫理規定の問題であるが、永遠の課題であるのかもしれない。

臥竜山の紅葉

平成18年11月4日(土)
今年は例年になく暖かいが、さすがに今月に入ってからは朝夕の冷え込みが感じられるようになった。
昨日の文化の日は県北の「臥竜山」へ紅葉を見に出かけた。これから一ヶ月ぐらいが見ごろだろう。途中一面すすきの原があってなかなか風情があった。秋は収 穫と豊穣の季節であるが、他方では紅葉に見られるように冬に向かう前の炎のゆらめきの季節でもあり、消えてゆくはかなさを感じさせられるのである。とはい えまだまだ仙人の境地にはなれず、三越の地下で仕入れた「たこつぼ」のうな重に舌づつみをうったのは愛嬌であった。

セカンドオピニオン

平成18年10月30日(月)
セカンドオピニオンを求めて来院される人がおられるが、病気に対する考え方をどう説明しようかと迷うことがある。これは医療に対する一般の人の意識と我々医療者の感覚の違いだろうが、自分の場合はそれ以上に違いが大きくて困惑することがある。
たとえば子宮がんの検査で軽度の異型細胞が見られた場合、多くは放置しても正常に戻るが一部は悪性へと進む。悪性に進んだら困るので何度も検査して組織を 調べ、場合によっては円錐切除術を行うこともある。異型細胞が出ても自然に正常に戻る人にとっては意味のないことである。問題はどちらに進むか現代の医学 では見極めがつかないことである。たとえば100人に一人が悪性に進行し、そのほかの人は正常になるとしたら99人にはむだな検査と治療をすることにな る。比率がどのくらいなら許されるのだろうか。
このことは、がんの早期発見・早期治療が本当に生命予後を延ばすことに役立っているのかという、いまだにはっきりとは証明されていないという問題とも共通 して悩むところである。必要のない人にはむだな検査・治療で負担をかけたくないし、放置したことが原因で生命予後が短くなることは絶対にやってはならない し、その見極めのポイントが難しいのである。

ブランデンブルグ

平成18年10月25日(水)
秋も深まってきて、東北地方ではもう紅葉が見られるという。今年は近場でもいいからぜひ紅葉を見たいものだ。紅葉というとなぜか思い出す詩のフレーズがあ る。高村光太郎の「ブランデンブルグ」の「金茶白緑雌黄の黄」という一節である。彼の日本語をざっくりと削ったような表現は強く心に残るものである。
「ブランデンブルグ」の底鳴りする/岩手の山におれは棲む。/山口山は雑木山。/雑木が一度にもみぢして、/金茶白緑雌黄の黄、/夜明けの霜から夕もや青く淀むまで、/おれは三間四方の小屋にいて、/伐木丁々の音を聞く。

分娩中に脳出血で死亡

平成18年10月20日(金)
このところニュースに産婦人科の話題が多い。今度は、奈良で妊婦さんが分娩中に脳出血で亡くなられたとのことである。主治医は子癇と思ってCT検査をしな かったことと、受け入れ病院がなく8時間後にやっと病院がみつかったものの赤ちゃんは無事だったが母親は死亡したという。
ことの詳細は追ってわかってくるだろうが、お産に関して世間と我われ産婦人科医との間にある認識の違いがいつも問題になる。つまり、お産は無事に生まれて あたりまえ、何かあったら医師にミスがあったのではないかとの風潮がある。確かにお産の8割は何もしなくても、自然に生まれる。さらにいえば正常妊娠・分 娩には妊婦健診すら必要ない。なぜなら分娩は哺乳類の自然現象であり、人類発生の昔から医療の介入なしで連綿と続いてきたことであるから。問題は、正常に 生まれる8割以外のお産である。昔からお産で死亡する妊婦さんは実に多く、我が国の統計では西暦1900年(明治33年)には250のお産で1人が亡く なっていた。戦後になって減りはじめとはいえ1950年(昭和25年)で約600のお産で1人とまだ多かったが、現在では約20000のお産に1人となり 世界のトップになっている。いうまでもなくこの統計は新生児の死亡ではなく妊産婦の死亡である。
どんなに完璧に経過を診て治療しても不幸にして亡くなることは残念ながらある。それでも万一亡くなったら、ミスではないかと警察まで介入するのはやりすぎ ではないだろうか。原因がわかった後ではなんとでも言える。分娩時に異常がおきた時の主治医の心境が察せられるので、やりきれない思いがするのである。

根津医師の勇気

平成18年10月16日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津院長が、子宮を摘出して子供が生めなくなった娘の代わりに50歳を過ぎた母親が娘夫婦の受精卵を自分の子宮で育てて出産 したことを明らかにした。色々な意見はあるだろうが、すばらしいことである。根津氏の愛情に満ちた信念の行動にはいつも敬服しているが、今回もまことに理 にかなった問題提起でその勇気には頭が下がる。
根津氏は以前にも患者さんのために必要な医療を行った際、産婦人科学会から除名処分になったが、どう考えても産婦人科学会の裁定に問題があるように思え た。今回の問題提起も、かつて想像もつかないような「代理出産」が現実になったときに、従来の法整備ではだめであり変えなければならないのに、だれも変え ようとしないことが問題なのである。法は人の幸せを助けるためにあるのだから、現実にあわせて変えていかなければならない。すべてはその一点にあり、その 本質を見抜いて起こしている氏の勇気に満腔の賛意を表したい。

南木佳士氏の作品

平成18年10月11日(水)
現役の医師で作家の南木佳士の作品を愛読しているが、彼の作品に触れるたびに作家とはそうなるべく運命付けられた人だと思う。まず、ものを見る視点が違 う。そしてその視点は私自身が日頃忘れている、場合によっては無意識に考えないようにしていることがらを顕にし、日常生活の中で鈍磨した感覚を一時的にせ よ覚醒させてくれる。そうなんだ、自分もこういう感覚で世の中に相対していた頃があったんだとほろ苦い思いをよみがえらせてくれるのだ。さらに、作家は自 分の出自や思いを書かずにはいられない種類の人間である。どの作家もそうだろうが、生まれた環境と生い立ちは一人ひとり異なり、それゆえ一人の作家は広い 意味で一つの作品しか書けないしそれ以外は本物ではなく、それでいいのだと思う。
以前にも書いたが、下村湖人は戦前から戦後にかけて教育に携わったすぐれた仕事をした人であるが、やはり「次郎物語」に尽きるしこの作品は彼の全人生をか けた名著である。南木氏の作品もそれぞれのテーマは異なっているが底に流れる旋律は同じで、いつも静謐であたたかく、一方で繊細で危うさのある魂を感じさ せてくれる。優れた作家の作品に触れるのは幸せなことである。

腹立たしいレセプト審査

平成18年10月6日(金)
いままで一度も削られたことのなかった膣錠が7月のレセプトで削られた。保険の審査の係の医師が変わったらしい。一件で100円にも満たない額だが10件 以上あり、再審査の請求を出すほどの金額でもないし実に不愉快である。私としてはいつも必要最小限の検査をするように心がけており、いくら保険で認められ ているからといっても過剰な検査・治療はしていないことに自信を持っている。もちろん薬も本当に必要なものしか出さないようにしているし、どんなに一般的 に行われているやり方でも有用でない(実際のところ結構多いのである)治療はしない。どんな診療をしているかレセプトを見ればわかるだろうに実に腹立たし い。
愚痴をこぼしても仕方がない。気を取り直して診療に励むことにしよう。