元安会

令和5年10月20日
中電病院OB会の名称を「元安会」といって、元院長のM先生が20数年前に始めた会である。現会長は2代目のF先生であるが、世話人のひとりに指名されたため毎年1回開かれる会合に出席していた。コロナのために3年間会が開かれなかったが、今年からまず人数制限して始めることになった。結局、OBが世話人を含めて20人、病院から6人が参加するこじんまりとした会になった。
久しぶりに会うOBの先生方は初めは老けて見えたけれど話しているうちに昔の若々しさが戻ってきて、懐かしく当時の思い出を語り合うことができた。なにしろ中電病院を辞めて開業したのは26年以上前である。自分を含め皆も年を取るはずである。現院長の話では7年先には中電病院は駅北にできる県病院を中心にした新基幹病院に吸収されることになるそうである。手術件数が減ったことや分娩を辞めたことなどで収入が減ったことも原因とのことで、OBとしては非常に残念なことである。かつて勤めていた時は年間600から700件のお産をしていたが、ある時からお産をやめてしまったのである。安全で安定したお産ができる施設を作るまでには先輩たちの大変な時間と努力が必要だったはずである。それを失くしてしまうとは…
「元安会」がいつまで続くかわからないが発展性はないかもしれない。寂しいことであるが。

「世にも危険な医療の世界史」

令和5年10月13日
表題はアメリカの内科医リディア・ケインとジャーナリストのネイト・ピーターセンの共著で、昔から世界で行われた医療で今では信じられないような間違ったものをとりあげている。
秦の始皇帝にも使われた「水銀」これはずいぶん長い間使われていて、リンカーンも常用していたという。「ヒ素」も太古の昔から皮膚の潰瘍やいぼなどの治療に使われてきた。毒薬なので毒殺のためにも使われてきたが。「瀉血」は血液を抜く治療法で欧米では日常的に行われていた。あのモーツアルトは死ぬ前の1週間で2リットルもの血液を抜かれたという。マリー・アントワネットやジョージ・ワシントンも瀉血されたそうである。医師たちは大まじめにその治療を行い、死期を早めたのである。
翻って現代の医療にも後世では間違っていたとされるものもあるのではないか。抗がん剤は毒薬であり、白血病など1割ぐらいの病気に有効なだけであるという。それでも他に方法がないということで、高価な抗がん剤が競って作られている。そのことに警鐘を鳴らし続けた近藤誠医師も今はいない。いずれ真実は明らかになるだろうが、歴史を見るといろいろなことがわかってくる。あとになって間違ったとわかるようなことだけはしたくないと思う。

休日に訪れる店

令和5年10月6日
月日の経つのは早いものでもう10月、今年も残すところあと3か月である。
休日・午後休診の日にドライブを兼ねていく店はいくつかあるが、最近の定番は「手打ちそばながお」「リトルセイロン」「サカナヤ」「宮島達磨」「饂飩屋幸兵衛」ごくたまに「豚笑」などにも行くが、どの店もそれぞれ特徴があって飽きない。すべて予約なしでふらっと行ける気軽な店である。以前は「蕎麦切り吟」によく行っていたが水曜が休みなので行けなくなった。昔のブログを読み返してみるとずいぶんいろんな店に行っているが、最近は少し食べただけで体重が増えてしまうので重いものはなるべく控えるようにしている。
それにしてもいろんな店で食べたものである。生きることは食べることであるとの名言があるが、まさにその通りでいくつになっても変わらないし、食欲がなくなるのは命が絶えるときだろう。コロナで重症化していた時は全く食欲がなかったことを思い出すと、今の状態は本当にありがたいと思う。次はどの店に行こうかな。

医者が「言わない」こと

令和5年9月29日
表題は昨年亡くなった近藤誠医師の著書である。2,022年7月5日発行だからほぼ最後の著作と思われる。内容は今まで主張してきたことをさらにわかりやすく書いているので、新しい知見はないけれど実のその通りだと思って読んだ次第である。
医者だけが知っている秘匿事例として、
「医者は人間ドックを受けたがらない」「血圧を無理に下げると脳梗塞を起こしやすい」「がん検診では、転移を防止できない」「子宮がん検診を導入したら、死亡率が増えてしまった」「胸部エックス線撮影は、発がん率を上げてしまう」「抗がん剤は効かないと知っている」「CT撮影はエックス線の300倍も被爆する」「早期がんの発見は欧米に比べて多すぎる」「手術すると癌の再発リスクは激増する」「病院では安楽な最期は迎えられない」など今までの常識をひっくり返すような記述が満載である。
それにしても惜しい人を亡くしたものである。再び合掌。

N先生の閉院

令和5年9月22日
ほぼ同じ時期に開業されたN先生の診療所が今日で閉院となる。
出身大学が違うので開業してから知り合いになったが、素晴らしい人と知り合えたことを感謝している。1,997年に開業して26年余、診療上のことも含め色々お世話になった。ご一緒した飲み会は多かったが、いつも気持ちよく飲ませてくれる雰囲気があり、また一緒に飲みたくなる人柄である。
自分で決めたことは確実に遂行し、すべての責任を自分で背負う強さがあり、堅苦しいことは嫌いでお酒が大好き。
昨年コロナで重症化して入院せざるを得なくなった時もずいぶんお世話になった。患者さんをどうしようかと思っても隔離されていてどうにもならなかったが、N先生にお願い出来たので安心して療養することができた。
今後はもっと充実した人生があるようでうらやましいが、自分はもうしばらく診療を続けていくつもりである。
N先生、長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

忘れた

令和5年9月15日
最近、2つの講演をスルーしてしまった。一つは広大で行われた講演で、WEBで視聴する予定で、当日(日曜日)朝からクリニックに出かけパソコンを開いたが、視聴するための案内メールがなくなっている。間違えて消去してしまったようだ。あらかじめ「間違えて消去する人がいますので注意を」とのメールがあったのに…
昨日は夜7時からの講演で、これもWEBだけれどしっかり視聴できるように準備していたにもかかわらず、午後の外来が終わってほっとしてそのまま帰宅。食事を終えて入浴した時に、何か忘れていたような気がすると思っていて「そうだ!講演があったんだ」と気づいたが後の祭り。ボケが始まったのかと思ってしまった。カレンダーにはスケジュールを書いていて毎日見ているにもかかわらず失念するのはいかがなものか。困ったものだ。

「妻の肖像」

令和5年9月7日
表題はジャーナリストで作家の徳岡孝夫氏の作品である。愛妻家である氏の70歳で亡くなった妻・和子への思いが淡々と綴られていてしみじみとした感動を呼ぶ。大阪生まれの氏は京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社するが卒業前から高松に配属され、木造二階建ての古ぼけた支局に赴く。そこで働いていた事務員が和子である。徳岡25歳、和子24歳で結婚し、以後45年間男の子2人を育て仲睦まじく暮らしてきたが、和子69歳のときに腎臓がんの骨転移が見つかり70歳で亡くなったのである。
徳岡氏は妻とのなれそめから結婚生活、子育て、やっと家を持てたことなど、たくさんのエピソードを交えて綴っているが、妻に対する深い愛情が大きな河のように底を流れていて暖かい気持ちになる。
臨終の和子夫人に徳岡氏は「和子、また会おう。近いうちに」と呼びかけているが心の底からの言葉であろう。氏は山代春日さんから贈られた油絵の板絵「徳岡和子像」を眺めるたびに「生きている」と感じて帰宅すると必ず「和子、ただいま」と声をかけている(石井英夫氏の解説)。愛しき人を持つすべての人に読んでもらいたい作品である。

フルートについて

令和5年8月31日
フルートを習い始めて5年になり一通り教わったので一旦レッスンをやめた。加藤克朗氏のFlute Method1,2,が終了し、フルート曲集を使ってレッスンするようになって限界を感じたからだ。教わるよりも自分で吹き込んでいく以外にはうまくならないと思ったのである。納得がいったら改めてレッスンをお願いしてみたいが、今はひたすら練習しようと思う。
尺八は10年余りやったがものにならず、フルートもそうなるかもしれないがもう少しやってみたいのである。考えてみれば楽器は小さい頃から興味があったけれど、ものになった楽器はない。ハーモニカ、リコーダー、バイオリン、ギター、とりあえず演奏できるが素人の域を出ない。バイオリンに至っては持っていただけというありさまである。尺八もフルートも指導してくれる先生は素晴らしい技術を持っていて、いつも感心しながら教わっていた。どうすればあのように演奏できるのか、才能の問題なのだろうと思うのだが仕方ない。もう少しだけやってみようと思う。

ARTによるお産の後の自然妊娠

令和5年8月24日
英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのAnnette Thwaites氏らの研究によると、体外受精以外では妊娠出来ないと言われてARTを行って妊娠・出産した後、自然妊娠するケースが5人に1人あるという。実際に6回の体外受精によって妊娠して子供を授かった女性(当時43歳)がその後に自然妊娠して「自然妊娠する可能性は1%以下だと言われていたから驚きだったが準備不足を感じ呆然とした」という。
Thwaites氏らによるとARTによる妊娠・出産の後に自然妊娠した女性の割合は、対象者5,180人で追跡期間は2~15年で調べたところ20%だったという。
我々の周りにもそういったケースを見かけるが、そもそも原因不明の不妊は50%あるということは、わかっていることのほうが少ないのである。医学・生物学はわからないことが多すぎて、現在行われている治療も「あれは間違っていました」ということが今までもあったしこれからもあるだろう。医療者はこのことを肝に銘じて日々の診療に当たらねばと心から思う。

孫たち集合

令和5年8月17日
台風の合間を縫って次女が信州から帰省した。一日、長女と長男の孫たちも我が家に集まって宴会となった。中3の女の子を筆頭に1歳の男児まで総計6人の孫たちが一堂に会したが、このような機会はなかなかないだろうと思うと、感慨深いものがあった。いつの間にか1歳の子も皆の中に溶け込んで、いとこ同士のつきあいの始まりである。
田舎育ちの自分の家は親戚同士3軒が固まっていて、いとこ、又いとこなど6人がいて遊んだりしたものだ。今は核家族になってこんな集まりはなくなってしまった。今回のような集まりは孫たちの記憶に残るだろうと思うと貴重である。
途中から一人離れて録画しておいたゴッドファーザーの第一作を観ながら感慨にふけっていたが、昨年のコロナで命を失くしていたかもしれなかったことを思えば本当にありがたいと思ったことである。