禁煙して8年

平成20年9月3日(水)
禁煙してもう8年になるが、年に1回ぐらい「今一服したらうまいだろうな」と思うことがある。だいたいは食事のあととかアルコールを摂取している時である。
タバコなんて初めて吸ったときは全然うまいと思わなかったが、大学生になったら吸うのがあたりまえのような風潮があり、カッコ付けの意味もあって吸い始めたのである。動機はいい加減であったが、吸い始めると瞬く間に習慣になってしまった。ハイライト→セブンスター→マイルドセブンと銘柄は変わったが、マイルドセブンの時代が一番長かった。途中では、ロングピース、両切りピース(缶詰)、キャメル、ゲルベゾルテ、キセル(刻みタバコ)、葉巻、パイプなど色々試したが、やはり日本の生んだ傑作のタバコ、マイルドセブンに落ち着いたのである。
以後毎日2箱吸っていたのでかなりのニコチン中毒だったと思われる。それでも開業2年して止めたのは、ひとえに喫煙による体調不良のせいであった。やはり強い動機付けがないとなかなか難しいようである。だから喫煙のいいところも良くないところもすべてわかっている自分としては、禁煙推進論者のようにあまり人に禁煙を勧めようとは思っていない。どうなろうともすべて自己責任であるからだ。

秋の気配

平成20年8月30日(土)
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、お盆を過ぎてからは日中は少々暑くても朝夕に秋の気配を感じるようになった。空の青さもどこまでも深い秋の空である。ここ数日は各地で集中豪雨が発生しているようだが、これから台風のシーズンに突入するのだろう。まことに我が国は四季がはっきりしていて実に風情がある。
これからは、スポーツをしたり山歩きをするのに一番いい季節になる。近場でもいいから、天気のいい日にどこか適当なところで山歩きなど自然に親しんでみたいものである。

武田邦彦著「偽善コロジー」

平成20年8月23日(土)
文部科学省の専門委員でもあり大学教授でもある武田邦彦氏の「偽善エコロジー」(幻灯舎新書)によれば、家庭で出た生ゴミを堆肥として再利用するのは危険であるという。また、「リサイクル法案」は非常にまやかしであり、納税者に負担を強いるだけで一部の業者、天下りの官僚のみが利益を得ているとんでも法案であるそうだ。家庭で細かく分別しているゴミはほとんどリサイクルされておらず、むだなお金が消えているだけで、効率からいえばゴミは金属とそれ以外に分けるだけでいいという。
これらはすべて、きちんとしたデータに基づいたもので大いに納得した。それでも一旦決まったら、利権がある限りこのままムダが続いていくのだろう。まるで健康診断(ドックを含む)が有用だと信じられて行われ続けていることと同じようで、どの分野にも似たようなことはあるものだと思った次第である。

お盆休み明け

平成20年8月18日(月)
お盆休みが終わり今日から診療開始である。休みの間はちょうどオリンピックと重なったので、ビールを飲みながらのテレビ観戦はなによりの娯楽となった。スポーツは勝ち負けがわかりやすいので、観ていて面白い。ただし、判定などで決まる競技はかえってストレスが溜まることがある。やはり基本は早く泳いだり走ったり、飛んだり投げたり、誰にでも結果がわかるものがいい。
でも若くして頂点を極めてしまったら、後の生き方が結構大変だろうと思う。オリンピックで勝つこと以上の達成感を得られることは、その後の人生でそう簡単に見つけられるとも思えない。地道に一生掛けてやることを見つけてそれを実行していくことはすばらしいことではあるが、栄光を一旦味わってしまうと気持ちを切り替えるのは大変なことだろうと思う。
スポーツの世界でそのまま生きていく人もいれば、まったく別の世界で一生懸命頑張って、一定の地位を得る人もいる。オリンピックとは異なるけれど、かつて「帰ってきたヨッパライ」で一世を風靡したフォーク・クルセダーズの北山修氏は、グループ解散後は医師になり現在九州大学の精神神経科の教授である。これがどんなに難しく稀なことか想像できるだけに、北山氏は実にカッコいいと思う。才能ととらわれない精神、地道な努力の賜物であろうか。

北京オリンピック

平成20年8月11日(月)
いよいよ北京オリンピックが始まった。開会式の演出はすごかったが、なにしろ「わが中国はこんなにすばらしい歴史があり、世界に冠たる国なんだ」というメッセージをこれでもかというぐらい表しており、見ていていささか疲れた。それでも、オリンピックは国同士の距離を縮めるすばらしいイベントであることを、改めて思ったことである。日本のホープ、北島選手の100米平泳ぎ2連覇は見事だった。
当院は13日からお盆休みの予定であるが、この時期はどこも混むばかりで宿の値段も高く、いっそのこと休みをずらしたほうがいいのではないかと思ってしまう。墓参りと小旅行を予定しているが、あまり動かない方がいいのかもしれない。
先日、猛暑の中を久しぶりに昼過ぎまでテニスをしてビールを飲んだら、酔いが回ってヘロヘロになった。もう若くないのだから無理をしてはいけないということか。

昼食には肉を

平成20年8月5日(火)
暑い日が続くので、いささかばて気味である。
最近、肉が食べたくなることが多く、とんかつ、ステーキなどを結構食べている。ちょっと前までは魚ばかりだったのに、夏ばてのせいだろうか実に肉が旨く感じる。実は今日も昼とんかつを食べてしまった。お気に入りは「れんが亭」と「菊屋」だが、このところ「菊屋」の方へ足が向く。ここのとんかつは独自のソースとあいまって、後をひく味である。
大好きな「一楽章」のカレーにもビーフをダブルにしてもらっている。ビーフはサイコロステーキにして入れてくれるので、しっかりスパイスの効いた、深みのある味わいのカレーとあいまって、実にうまい。こんなことを書いていたら、また食べたくなった。

岡田正彦著「がん検診の大罪」

平成20年7月30日(水)
新潟大学医学部教授の岡田正彦氏による「がん検診の大罪」という著書がある。この中で氏は、がん、高血圧、糖尿病など死因の最も多い病気について、正しい統計的手法を用いて、現在行われている検診、治療がほとんど無意味であると提言している。
内容は正確で反論のしようがなく、逆にそれらの検診や治療を勧める側に分がないと思われる。これらのことは以前より慶応大学放射線科講師の近藤誠氏が縷々述べていることと一致しており、まじめに医療に取り組んでいる医師たちの中にも賛同者は増えていると感じられる。斯く言う私もその一人である。
医師の仕事は患者さんを癒すことであり、わずかに寿命が延びたとしても、それが耐え難い苦痛の末に得られるものであれば、すべてを患者さんに話して治療を受けるかどうか自分で選んでもらうべきものであろう。少なくとも自分について言えば、検診は受けたくないし、むだな治療もしたくない。
根拠のないメタボ健診についても言及しており、どうしてこんな無意味な、医療機関だけが利するようなことをするのか理解しかねる。間違いがないのは、医者にかかるのは体の調子が悪い時だけにして、薬もできるだけ使わないようにすることである。

国内産うなぎ?

平成20年7月25日(金)
昨日は土用の丑の日。例年なら暑い夏を乗り切るために、うなぎを食べることになるが、今年はその気になれない。
新聞によれば、国内産うなぎとして全国で昨年1年間に売られたうなぎの総トン数は、業者が申告した国内産うなぎの総トン数の倍近い量だという。つまり、「国内産うなぎ」と称して売られたうなぎの半数は中国その他からの輸入品なのだ。
「国内産」を名乗るには次のような取り決めがある。つまり、外国から輸入したうなぎでも、外国で育った日数以上に国内で育てられれば「国内産」を標榜できるのである。この取り決めすら守らない業者が多いのである。
「国内産」なら高く売れるから偽装するのだろうが、我々消費者が求めているのは、安全で質のよいものである。決して「国内産」にこだわっているわけではない。最近の中国産の食材に大いに問題があるのは報道でも明らかであり、中国の業者に質のいいものを提供してくれる誠実さがあるなら「中国産」のほうがより求められるだろうに。

連日の猛暑

平成20年7月19日(土)
連日の猛暑である。クリニックにいるとわからないが、患者さんや出入りの業者さんの暑そうな様子から、戸外の暑さが感じられる。クーラーがなければとても耐えられないだろう。
クーラーのない時代には、東京のお金持ちは軽井沢などに避暑に行っていたそうだが、確かに都会は田舎と違って緑も少ないし住宅も密集しているので特に暑い。以前、神戸市北区に1年だけ暮らしたことがあるが、そこは避暑地にふさわしい涼しさであった。裏六甲にあったその家にはそもそもクーラーがなかったし、別段それほど必要とも思わなかった。ただし、冬の寒さはこたえたので、ストーブを買い足したぐらいである。有料トンネルを使えば三宮まで10分ぐらいの立地なので、通勤できる避暑地として使っていた人も結構いたのではなかろうか。
広島で通勤もできる避暑地といえばどこだろう。今開発している西風新都は、立地と交通の便からは裏六甲に似ているように思う。

研修医制度の功罪

平成20年7月11日(金)
新聞によれば、小児科の研修医が大都市に集中し、地方には一人もいない県もあるという。現在の研修医制度が、厚労省の主導でできたときからこうなるのはあたりまえだと思っていた。
研修医は早く一人前の医師になりたい気持ちが強いので、最も勉強するし修練を積みたいと思っており、そのための最適の施設のある大都市の病院に集中するのは当然であろう。一体だれが、僻地の設備の少ない、充実していない施設を希望するだろうか。
今の研修制度ができるまでは、研修医の大多数は大学病院の自分の目指す科に入局してキャリアを積んでいた。歴史ある大学はいずれも研修制度が充実しており、何年間かかけてその人物に適した研修を行う。その大学が責任を持って派遣する病院が、大都市から地方までたくさんあり、それらの施設を過不足なくまわらせることによって、さまざまな経験をつませ、医師としてのバックボーンをつくるようにするのである。
明治以降、わが国に最も合うように長い時間をかけて作り上げられたこの大学医局制度を、厚労省は壊してしまった。小泉改革という名のもとに、アメリカの真似そのものの研修医制度を無理やり作ったのである。今になってあわてて医師を増やすとか、僻地に行くための医師を養成するとか、できもしないことを言っているが、もとの大学医局制度に戻せばいいのである。今ならまだ医局制度を経験した医師が大学にいるし、すぐに以前のようにできるだろう。でも、あと10年もすれば戻すことすらできなくなってしまう。厚労省は今こそ決断してほしい。