天国に行った麻呂

平成21年8月5日(水)
我が家の愛犬「まろ」が腎不全で亡くなってそろそろひと月になる。息子は朝夕散歩に連れて行って、同志のようにかわいがっていたから、亡くなる1週間のあいだは本当につらそうで、ごはんがのどを通らない時もあった。カミさんは3キロやせた。娘も目を真っ赤にして悲しんだ。
亡くなって、仮住まいのリビングルームに遺骨を遺影とともに飾って朝夕偲んでいるうちに、皆だいぶ落ち着いてきたようだ。息子は今でも毎日、なにかお供えの菓子を買ってきて遺影に供え、翌日自分で食べているようである。私は院長室に飾っている「まろ」の小さい時の写真をときおり眺めている。
入院していた動物病院に会いに行くと、ふらふらになっても家へ帰りたがって、病院の出口のドアのところでじっと待っていた。我が家にすばらしい思い出と癒しをくれた「まろ」はきっと天国から家族を見ていて、リフォームが済んで皆が家に帰ったらいつも寝ていた玄関で迎えてくれるにちがいない。

中国の核実験

平成21年7月31日(金)
今朝の産経新聞の記事によると、米国で最も人気の高い科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」に、中国が過去40年にわたって今話題になっているウイグル自治区でおこなってきた四十数回の核実験による放射能汚染のために19万4千人が死亡し、120万人が白血病などを病んでいるという記載があったとのことである。
この科学雑誌は米国だけでなく国際評価が高く、今回のシルクロードの核汚染の記事はそれを否定してきた中国にとっても厳しい詰問となるそうである。
この記事の真偽のほどはいずれわかるだろうが、問題はこういう事実を産経新聞以外は載せないことである。以前より中国に対しての記事は「日中友好」一色であった。中国の悪い部分は一切言わず、ひたすら「仲良くしてください、日本が悪うございました」としか言わなかった。本当の「友好」とは事実を見つめ、相手が間違ったことをしていると思ったらそのことをきちんと伝えて一緒に解決を図ろうとすることである。
NHKも長年の「シルクロード」の取材で実情を知っているはずなのに、一切知らぬ存ぜぬである。「シルクロード」の放送は、ブームを巻き起こしそのために汚染された地域へ日本人の旅行者が大勢訪れている。一般の人は新聞やテレビでしかわからないのだから、報道の仕事をしているのなら事実を伝えねばならない。産経新聞だけが一貫して事実は事実だと伝えている。中国の核実験と覇権主義を報道しないマスコミが、北朝鮮の核実験をことさらに非難するのはダブルスタンダードである。それとも中国は別だというのだろうか。

食事をおいしくするアルコール

平成21年7月24日(金)
晩酌のあと締めにウイスキーを飲むと酔いがいっそうまわって、大いびきをかいてしまうようだ。先日もかなりひどかったようで、仮住まいのマンションの隣室にまで聞こえたのではないかと心配である。アルコールに弱いくせに好きで、ついつい過ごしてしまうのだ。困ったものである。外で飲む時は時間をかけて飲むので、結構飲んでもなんとかだいじょうぶだが家では短時間に飲んでしまうので酔いが廻るのも早いようだ。
食事の初めにビールを少し飲むのは、食欲が増して料理がおいしく食べられる。特に暑い日や汗をかいた時の一杯のビールは実においしく、幸せを感じるのである。さらに、いちばん好きなそば屋「はっぴ」のつまみがあれば言うことはない。この店は、そばのうまさはもちろん、つまみもじつに安定しておいしい。惜しむらくは店の場所が己斐駅の近くにあるので、クリニックからも自宅からも遠いことである。もっと近くにあれば通い詰めるようになると思われる。これを書いていたらまた行きたくなった。

平均寿命世界一

平成21年7月16日(木)
わが国の女性の平均寿命は86歳で、今年も世界で第一位だったそうだ。男性は残念ながら第四位である。昭和20年代の平均寿命は50数歳だったことを思えば、30年も延びたことになる。
わずか半世紀で急に30も時間が使えるようになったからといっても、手放しで喜べるわけではないようだ。年をとればそれだけできることが限られてくるし、故障個所も増えてくる。若い時のように、健康で元気なまま30年延びたのなら幸せなことだろうが、そうではない。かつては一生懸命仕事をして子供を一人前に育て、それほど間もないうちに亡くなるのが普通であったから、惜しまれつつ世を去るという言葉がぴったりだった。
今は寿命の延びた30年をどう過ごすかを考えなければならない。いい知恵があるわけもなく「生きがい」などという、昔ならわざわざ考えなくてもすんだ言葉が切実な問題になっている。おまけに、要介護の状態にでもなったら、人に迷惑をかけまくりになる。そしてそのことをすまないと思ってもどうしようもないのである。

日本語はすばらしい

平成21年7月8日(水)
大学教授で思想家の内田樹氏が新潮45に、「日本語は学術論文であれ法律の文であれ、英語やフランス語を使わずに的確に表現できる多様さと高い質を持った稀有な言葉だ」と書いている。
たしかに日本語は、主に漢字の単語と、ひらがなで表す助詞を使った地の文から成っていて、かつては中国からとりいれた漢文を見事に日本語に翻訳して使いこなしていた。現代では英語がその立場に置き換えられたが、英語と漢文は語順がほぼ同じなので、日本語の地の文はそのままで単語を漢語から英語に置き換えればいいのでスムーズに取り入れられたのである。
そのおかげで、江戸時代末期に黒船や欧州の国々がやってきても、言葉を守ることができたのだという。言葉を継続させることは歴史を継続させることで、故山本夏彦翁が看破していた「日本とは日本語のことである」は至言だと思う。

久しぶりの引っ越し

平成21年7月1日(水)
家のリフォームのためにプチ引っ越しをすることになった。気が重いことである。広島に落ちつくまでに大学の医局の命令で、中四国のいくつもの病院に赴任させられさんざん引っ越しをしたが、最後に引っ越しをしたのは開業する直前だったから12年以上前になる。
若い頃は元気もいいし引っ越しはそれほど負担に感じなかったが、今回はリフォームのためなので必要なものだけ持って、近くのマンションに3か月だけの予定であるが実にイヤである。いちばん気になるのが愛犬「まろ」のこと。玄関につないでいるので、リフォームの間もそのままつないでおいて、朝晩散歩に連れて行く計画にしているが工事中に職人さんたちとうまくやっていってくれるだろうか大いに心配なのである。
「まろ」は最近食欲がなく、ドッグフードはほとんど食べないし好物の納豆やソーセージもしぶしぶ食べているようである。毎年夏になると食欲が落ちるので今年もそうなのかとは思うが、これから家に自分たちがいなくなり、見知らぬ職人さんたちが出入りするようになったらストレスで血を吐きはしないかと思う。リフォームで住みやすくなる喜びよりも、こっちの方が心配である。

使いたくない言葉

平成21年6月26日(金)
違和感を持ったり使いたくない言葉はそれぞれの人にあると思う。自分の場合、職業柄よく聞く言葉では「看護師」という言葉と「患者様」という呼び方に違和感を覚える。明治時代(もっと前かも)以降百年以上定着していた「看護婦さん」を今の言葉に変える必要があるのだろうか。「患者様」は今までどおり「様」と言わず「さん」と言えばいいのだが、「看護師」は言葉自体を変えてしまったのでどうしようもない。
自分が病院を受診したとして、医師や看護師、受付の人から「○○様」と呼ばれたらぞっとする。銀行や高級サロンではあるまいし、やはり「○○さん」がいちばんしっくりする。また「看護婦さん」という呼び方には、病んだ心身を癒してもらえるような安心感があるが、「看護師さん」ではよそよそしさを感じるのである。こんな呼び方にわざわざ変えた人たちの見識を疑う。

臓器移植法案

平成21年6月20日(土)
臓器移植の法案が衆議院で可決された。脳死をヒトの死と認めることを多数決で決めたことになる。
以前にも書いたが、ヒトの死という根源的な問題を国会議員に多数決で決めてほしくない。臓器移植をするために仕方なく決めたと思われるが、そもそも医療は個人的なものである。臓器移植にせよ借り腹問題にせよ他人がとやかく言う問題ではない。お互いが納得できていればいいと思う。
犯罪や金儲けは絶対にできないように監視することは必要だが、日本人の死生観からはこれらの行為がエスカレートするとは思えない。もっと議論を深めて、脳死をヒトの死とわざわざ言わなくても可能な方法もあるだろう。真理は多数決とはもっとも遠いところにあると思う。

サイモンとガーファンクル

平成21年6月10日(水)
サイモンとガーファンクルが来日して大阪でコンサートをするそうだ。同世代の友人知人が何人も行くそうである。高校時代にはじめて聞いた「サウンドオブサイレンス」は衝撃的であった。以来、彼らの創り出すメッセージを含めた高い音楽性の曲たちは、我々を魅了し続けた。そういう人たちでコンサート会場は埋め尽くされることだろう。
青春期に影響を受けた音楽は、いつまでもその人にとって魅力を持ち続けるものである。最近よしだたくろうが復活しているし、矢沢栄吉も健在である。一方、かつてファンだった歌手が年をとって衰え、声が思うように出なくなったのにテレビのリバイバル番組で歌うのを見るのは無残である。大切にしていた思い出が壊されるようで、きっとその歌手も自分の衰えがわかっていると思われ、お互いにつらいことだ。サイモンとガーファンクルはどうなのだろうか。

5年日記

平成21年6月3日(水)
朝から雨が降っていて、6月になったばかりなのに梅雨を思わせるような天気である。昨年の今頃は何をしていたか思い出せないので、そのような場合はこの診療日誌を見ることにしている。細かいことは思い出せないが、その頃の心境や雰囲気は伝わってくるからだ。ついでに一昨年、その前の年の日誌なども見ると毎年同じようなことをやっていることがわかる。
私の父親は今86歳になるが以前は5年日記なるものをつけていた。この日記帳は、同じページが5段に区切られていてそれぞれの段毎に年が変えてあるので、前の年は何をしていたかすぐわかるようになっている。今は3年日記にしているようであるが、毎日書くのは大変ではないかと思うが習慣になっているのだろう。
一日一日の積み重ねで時が過ぎて行くのだから、これから先もあまり変わり映えしないことだろう。でも、平穏な日々が続くことがなによりのことだと思う。