ボケ?

平成22年4月28日(水)
あまり興味ない会議や仕事を完全に忘れてしまって、あとで「しまった」と思うことがよくある。若いころは特に多かったが、年とともにそういうことは減ってきたと思っていた。
ところが先週、公的な仕事を完全に忘れてしまい、日曜日の早朝思い出して蒼くなった。9割は終えた仕事ではあったが、木曜日には会議があり出席の予定だったのに、それも忘れて能天気に遊んでいたとは何たることか。そういえば最近物忘れもあり、ボケが出てきたのかといささか心配になった。
このところ結構気を使う案件が多かったので、緊張と気の緩みで失念したのだと自分をなぐさめている。

中区医師会

平成22年4月20日(火)
昨日は中区医師会第4支部の会合があった。今年は世話人になったので連絡網や会合の準備など結構大変である。新規開業順に世話人の係が回ってくるのだが、何しろ広島で一番開業医の多い地区だから開業13年目にしてやっと順番がきたのである。
以前にも何回も触れたが、この地区には45の開業施設があり、加えて企業の医務室などもあり、勤務医もいるので結構な人数である。私の出身地笠岡市の医療施設数とほぼ同じ数である。人口6万人弱の広い笠岡市全域にある医療施設と同じ数がこの狭い地区にひしめいているわけである。袋町の美容院の数は日本一といわれているが、この地区の医療施設の数もそれに近いと思われる。激戦区であるが、それだけ人々が集まってくるのだろう。この地でやっていけるのはありがたいことである。

ヒマな当番医

平成22年4月12日(月)
昨日は日曜日だったが当番医のため一日中クリニックを開けていた。雨のせいもあるのか患者さんは4人だけだった。当番医は半年に1回まわってくるが、こんなに患者さんが少なかったのは初めてである。おかげでたまっていた書類や雑誌の処理、掃除などしっかりできた。
それにしてもいらないものがなんと多いことか。本もいつの間にかたまってきて本棚に入りきらなくなっている。一度ならずブックオフに持って行って売っているけれど、買うスピードが早いのですぐにたまってしまう。ネットで本の内容を有料で配信していて何度か利用したことがあるが、パソコンの画面ではどうも落ちついて読めない。やはり本は、自分でページをめくりながら読まないと読んだ気がしない。出版産業は決してなくならないと確信する次第である。

春爛漫

平成22年4月5日(月)
桜も満開になり一挙に春になったようだ。昨日の日曜日は平和公園、比治山、黄金山など花見で大賑わいだった。
巨人対カープの試合もあり、広島駅~球場周辺は人の波であった。この日、息子は大学生活を始めるべく旅立って行った。私は人の波に逆らうように、友人・知人の出演する「邦楽のつどい」に行き素晴らしい演奏を堪能した。
春は卒業、入学、入社など出会いと別れの季節である。今年はどんな出会いがあるのか楽しみであるが、いつも一期一会を肝に銘じていきたいと思う。

枝雀の落語

平成22年3月30日(火)
最近、桂枝雀にはまっている。折々に買いためていたCDを暇さえあればとっかえひっかえ聞いている。小米時代から枝雀になったばかりの頃の噺もあれば晩年に近い頃の噺もある。ある頃からマクラに「一生懸命のおしゃべりでございます」というようになったが、なるほど面白さの中に懸命さがちらちら感じられて、そこまでしなくてもと思わせるようなところがあった。
思いつめる性質のようで、そのことが早すぎる一生になってしまったのだろう。そういえば加藤和彦も同じぐらいの年の一生である。男性の還暦の頃は心が萎えやすいのだろうか。やはり枝雀にはもっともっと生きてすばらしい話芸を楽しませてほしかった。

紀三井寺と京都の桜

平成22年3月23日(火)
急な用事があったので連休を利用して和歌山へ行ってきた。今までに何度か南紀、伊勢などの旅行を考えたことはあったが、交通の便が良くないためにいつも却下となっていたので初めてである。
今回は和歌山市に行ってきたが、ここは大阪府との県境に近く関西空港にも近い。和歌山県というより大阪のはずれのような位置関係である。のんびりしたところで、紀三井寺では桜が咲き始めていてなかなか風情があった。
用事をすませて大阪に泊まり翌日は定番の京都へ行った。地下鉄で東山まで行き、法然上人開祖800年のイベントが近い知恩院から円山公園で三分咲きの桜を見て、ゆっくり市内を散策してきた。昼食は木屋町の大正5年創業のそば屋「大黒屋」でゆっくりと。いつもながら京都の町を歩いていると、色々な発見があって楽しい。「俵屋旅館」「炭屋旅館」のたたずまいも歴史が感じられていいものである。またぜひ来ようと思いながら帰宅した。

巣立ち

平成22年3月22日(月)
昨日は産婦人科医会総会があったが、役員以外の参加者が少なく来賓や講演の先生方には申し訳ないことであった。
先週から我が家はめでたいけれどもさびしいことが重なって、久々の激変であった。末っ子の長男が大学に入学して家から出ることになった。近くに勤めていた次女も遠からぬうちに家を出ることになるだろう。どちらもめでたいことではあるが、今までいるのがあたりまえだった子供たちが巣立っていくのはきっとさびしいに違いない。
贅沢を言ってはいけないが、これも世の流れなのだろう。

松本方哉氏の「妻が突然倒れたら」

平成22年3月9日(火)
今日は朝から雨が降っている。寒さがぶり返してみぞれ交じりになったようだ。明日は雪になるかもしれない。
少し前までフジテレビの「ニュースJAPAN」のキャスターだった松本方哉氏の「突然妻が倒れたら」という本を読んだ。最近テレビで見かけないなと思っていたが、奥さんが最重度のクモ膜下出血で看病、介護など大変だったことがわかった。核家族化が進んだ今の社会では、家族にこのような事態が起こったら、仕事をやめるか制限しないと介護はできないということがよくわかった。
病気にせよ事故にせよ、いつでも誰にでも起きることである。人ごとだと思ってはならない。だからといってどのような準備をしておけばいいのかわからない。これからも「介護」が最も必要な社会になっていくことは間違いないことだと思う。次の参議院選挙では介護をまじめに考えている人に投票しよう。

中村明一のコンサート

平成22年3月2日(火)
先日、久しぶりに尺八の演奏会に行った。前から一度は聞いてみたいと思っていた演奏家「中村明一」のコンサートである。
岡山の「月の舞台」で行われた和の空間での演奏と舞踊は、限定60名の観客との間に一体感をもたらした不思議な演奏会であった。演奏の超絶的技巧は名曲「鶴の巣籠」の親子の鶴が鳴き交わす場面で、別々の鳴き方を同時に演奏するという、バイオリンの名手パガニーニもかくやという凄味があった。
終わって座談会形式で中村氏と言葉を交わすことができたのは、思いがけないプレゼントであった。

浅田真央選手とキム・ヨナ選手

平成22年2月25日(木)
春のように暖かい日々が続く。梅も咲き誇って桜の開花が待たれるような、そんな季節だ。折しも大学入試の真っ最中で、受験生は皆頑張っていることだろう。
冬季オリンピックももう終盤である。女子フィギアはどうなるか、とくに浅田真央選手とキム・ヨナ選手に世界中が注目している。キム選手の「オリンピックは何が起こるかわからない、優勝は神様が決めることだから気が楽です」という言葉は、真央選手の「全力でパーフェクトの演技をします」という言葉と対照的である。きっとキム選手はそう思うことで重圧をしのいでいるのだろう。本当に大変なストレスがあることだろう。才能のある人に与えられた責任なのかもしれない。われわれは楽しんで見ているだけなのだが。