中国漁船追突に思う

平成22年11月6日(土)
尖閣諸島での中国漁船追突の映像が流された。政府がひたすら隠そうとしたが、これは内部告発だろう。命をかけて国を守ろうとしている海上保安庁の職員に対して、現政府の態度は最低である。管、仙石の両名は本当にわが国の人間だろうか。国益も国民も守れない、守ろうとする気概のない人間は、政治家になるべきでない。ましてそれが首相、官房長官では国民にとって疫病神以外のなにものでもない。即刻辞任するのが人間としてのすじであろう。
いずれにしても戦後、アメリカの云うままになっておんぶにだっこ、自国を守ろうとする気概も力もなくなった現状を表していることは本当に悲しいことである。今からでも遅くない、憲法を改正し、教育勅語を復活させ、徴兵制も復活させ、自国は自分たちの力で守ろうとしなければ、命をかけて国を守ってくれた先人に申し訳ないし、子孫たちにも言い訳ができない。

中屋のあなご丼

平成22年10月30日(土)
天高く馬肥ゆる秋というが、今年は食べ物がないためにクマやイノシシが山から下りてきて、民家に被害が出ているそうである。双方にとって気の毒なことだ。これだけ被害が報道されているということは、山には結構な数の動物がいるのだなと改めて思う次第である。われわれ人間はありがたいことに飢えなくてすむばかりか、好きなものを食べられる。さらに巷にはグルメ本がいっぱい出版され、よく売れている。
かく云う私もうまいもの情報にはアンテナを張り巡らせているが、なかなかないのが真実である。どうしても行きつけの店になってしまう。貴重な1食が「はずれ」だと大いに損した気持ちになるからである。昼は行く店は決まっていて毎日ローテートしているが、週1回、2週に1回、月に1回などそれぞれ好みに応じて決めている。「中屋」のあなご丼は炭火で焼いたあなごが香ばしく、吸い物も旨い。半分食べたところで出汁を加えてぶぶづけにしてもらえる。1杯で2度楽しめる優れものである。

縮景園での邦楽鑑賞会

平成22年10月23日(土)
先日、縮景園で邦楽鑑賞会が行われ、天気も良くまことに「和」の一日を堪能した。中国の「反日デモ」の不快な映像をニュースで見た後だったので、一層その対比があざやかで、この素晴らしい伝統文化を持っているわが国が、あの野蛮な国に負けるはずがないと思ったことである。
縮景園の明月亭と清風館で篠笛・琴・三弦・尺八・琵琶の演奏が行われ、それを畳に座って聞くという趣向である。戸を開け放って演奏するので、チケットを持っていない人もふと立ち止まって聞くことができ、邦楽の普及に役立ったことだろう。年を取るにつれて「和」の世界に親しみを感じるようになってきたが、先祖帰りということなのだろうか。

忘年会の準備

平成22年10月16日(土)
朝夕は冷え込むようになり季節が変わったことを感じるこの頃である。今年は地区の医師会の世話人なので、忘年会の準備をしなければならない。30人を超える出席が予想されるので、夏ごろから会場をいくつか仮押さえしておいた。9月にほぼ決定して某ホテルを押さえておいたのが、宴会担当者と料理長との打ち合わせの行き違いがあったのか会場がとれないかもしれない事態が起きて困っている。
あまり早くから準備しすぎるのも、安心してしまうのでかえってよくない。やはり常識的な時間の流れに合わせて事を運ぶのがいいと思った次第である。

アシスト自転車

平成22年10月8日(金)
雨の日を除いて相変わらず自転車で通勤しているが、最近カミさんの自転車が壊れたので、カミさんはあまり乗り気ではなかったようだが説得してオシャレなアシスト自転車を買ってしまった。ハンドルは一文字で色は赤、ちょっと見にはアシスト自転車に見えない。今使っているのより軽いし、バッテリーも長持ちしそうである。
朝、その日の気分で適当に使い分けているが、なかなかいいものである。アシストに乗りはじめたら、もう普通に自転車に乗りたくなくなる。こんなに楽をしていいのだろうかと思わないでもないが、もう年だしまあよかろうと無理やり納得している。

中国との関係

平成22年10月1日(金)
先週から尖閣諸島での中国との摩擦が問題になっているが、歴史的にみて日本が中国、朝鮮、ロシアといい関係であったことはない。中国との関係では、古より朝貢外交か関係断絶か戦争状態の歴史しかない。きちんと相手との距離感を持って対等に接したことはないのである。戦後は贖罪外交しかしていないから、現在の状態になっても仕方がないのだ。
島国で他国と接することがなかったわが国は、他国との付き合い方がわからないのだから、長い目で見た真の専門家を育てないと仕方がない。その任である外務省も昨今のていたらくを見れば今だしの感は否めない。できないのならできるようにしなければ、世界の中で生き残れないのは当然である。わが国には優秀な人材が多いのだからどんなことをしてでも自国の利益を守れるようにすべきである。
外交には武力という後ろ盾がなければ意味がない。いつまでも「平和」の題目だけ掲げて現実を見ないのはやめて、冷静に必要なことを準備していかないと、この国はなくなるかもしれない。そうなったら今まで頑張ってやってきた先祖に申し訳ない。マスコミはずいぶん日中友好を垂れ流してきたが「憲法改正」とか「核武装」とか言っただけで大騒ぎしてどうするのだろう。

高野山

平成22年9月24日(金)
昨日の秋分の日を境に突然涼しくなった。今朝などは寒くて目が覚めた。前日まではクーラーをつけることもあったというのに。
先日、連休を利用して弘法大師の高野山へ行ってきた。実家の菩提寺は真言宗で、その総本山のある高野山は一度は行ってみたいと思っていた。標高1000メートルの盆地のようなところに一大宗教都市があり、世界遺産にもなっているが、ケーブルカーで急斜面を登るときはさすがに怖い思いがした。奥の院にある弘法大師の廟の前には灯明と線香が絶えることがなく、額づいてお経をあげる人の姿も見られた。廟の前に佇むと敬虔な祈りを捧げたくなり、大いなるものへすべてをゆだねたくなったことである。
翌日は例によって京都に泊まり、観光と食を満喫できたことはありがたいことであった。

鮨大好き

平成22年9月15日(水)
食をテーマにした本が好きでよく読むが、世の男たちの中には鮨大好き人間がなんと多いことかと思う。かく言う自分も大好きで、毎日食べても飽きない自信がある。故里見真三氏の名著「すきやばし次郎旬を握る」は何度読んでも面白く、鮨と鮨職人のすごさが伝わってくる。早瀬圭一氏の「鮨を極める」、嵐山光三郎氏の「寿司問答」なども良い本である。
これらの本や雑誌、人から聞いた情報などから、行ってみたい店はたくさんあるが、休みがとれないので実際はほとんど行けないのがつらいところである。金沢の「みつ川」、神戸の「又平」、博多の「河庄」、尾道の「蔵鮨」には行くことができたが、東京方面にはなかなか行く機会がない。ありがたいことに広島市内にはいい店があるので、禁断症状が現れるまでに行くようにしている。「すし福」系列の職人さんの店はレベルが高いが、なかでも「とくみ鮨」はすばらしい。他にもいい店はたくさんあるので折に触れ、利用させてもらっている。

健康診断

平成22年9月8日(水)
作家の曽野綾子氏が新聞や雑誌などに載せているエッセイや論文は、わが意を得たりという内容が多く、面白く読ませてもらっている。さらに氏のいささかの揺るぎもない信念に基づいた行動は、立場や地位によってしたくもないことをしている世の男たちにはうらやましいことだろう。
私は健康診断やドックは意味がないことをいつも言っているが、もし自分が検診センターの所長の立場だったらそんなことは言えないだろう。また、保健行政の立場にいても言えるわけがない。ありがたいことに自分はそういう立場になれないし、なろうとも思わないのでその点で気が楽である。
日大の医学部教授で検診センター所長の久代氏は、アサヒメディカルに控えめながら健康診断やドックによる寿命の延びはないことや、CTなど取り入れたさらに詳しい検診についての疑問を述べている。私の深読みかもしれないが、最も検診を推進しなければならない立場の人がこのように述べているということは、本音では「百害あって一利なし」と思っておられるのではなかろうか。

畳の生活

平成22年9月1日(水)
立春から数えて二百十日、そろそろ台風が発生する時期になった。まだまだ日差しは強いけれど、雲を見れば秋になったと感じられる。寝室の障子が明るくなって朝になるが、その時間が遅くなっている。四季を感じるには、畳と障子は欠かせない。
農家で育ったからなのか、畳のある生活が一番落ち着く。スリッパをはいてソファーでくつろぐより、畳に座ったり寝転んだりできる方がいい。さらに尺八を吹くのでまさに江戸時代の日本人である。気質というものは簡単に変わるものではないので、自分の中に脈々と続いている先祖からの血がさせることなのだろう。明治以降、欧米から大きな刺激を受けてきたわが国であるが、色々な考え方を取り入れた上で、結局わが国独自の考え方、やり方でいくしかないし、それが一番いいと思う。