年度末になると増える子宮がん検診

平成25年3月28日(木)
毎年のことであるが3月後半になると、子宮がん検診に来られる人が増える。特に無料クーポン券持参の人が大半を占める。クーポン券の期限が3月一杯なのであわてて来院されるのだろう。現在、無料クーポン券は5年ごとに配られているが、一部有料(千円)の検診のハガキは2年に1回となっている。検診の間隔は米国では3年に1回を推奨しているが、実際のところ何年毎に行うのがいいのかはまだわからない。わからないが、年に1回よりも間隔をあけていいと思う。
ハガキやクーポン券による検診は、子宮がんの発見には有効であるが、超音波による検査が入っていないので子宮がん以外の婦人科疾患を見つけにくいことが問題である。内診その他で異常を認める場合は、そのことを告げて詳しい検査を勧めるが、超音波検査の情報量には及びもつかない。
今のがん検診体制は、早期発見・早期治療によりがんで亡くなる人が減るという期待のもとに行われているが、今のところがんの発見は増えたけれど年齢調節死亡数は変わらないようである。本当に必要な検査は何か、真剣に議論しなければならないと思う。

増崎教授の講演

平成25年3月22日(金)
長崎大学の増崎教授による「いのちの起こりー発生・遺伝・倫理ー」と題した講演があった。ダーウインの進化論から始まって「いのち」についての考えと研究、山中教授のiPS細胞へとつづく流れを説いて面白かった。通常の講演は病気についての治療法が中心で、それはそれで有用なのだが同じような話が多いので食傷気味になる。今回の増崎教授の話は、科学の歴史を追いつつ自身の考えを加えたユニークなもので、ほとんど居眠りせず聞くことができた。
それぞれの時代での生命に関する新たな発見の話を紹介されたが、妊娠中の胎児のDNAが胎盤を介して母胎の血中に入り、母体に影響を与えるという話には驚いた。科学者にとっては常識なのだろうが、知らなかった自分としては生命の流れの不思議さを感じたものである。まだまだわからないことは一杯あるのだろうが、生き物は実にうまくできているものだと思う。何一つムダなものがない。研究すればするほど、巧妙なしくみが解明されることだろう。われわれ産婦人科医は、妊娠という生命の流れにかかわることができて幸せである。

冠山の梅林

平成25年3月13日(水)
日曜日は曇っていたけれど暖かかったので、山口県光市の冠山総合公園になごり梅を観に行った。この公園には中国地方では最多の100種類2000本の梅が植えられている。折しも梅まつりの最後の日でそこそこの人出が見られた。何といっても小高い丘の上から瀬戸内海が一望でき、紅梅白梅が咲き誇り散り始めている様は、わが国の四季の移ろいの風情を感じさせてくれて実によかった。四国には1万本以上の梅林がいくつかあるようだが、ここでも十分楽しめた。梅の次は桜、桃と順に咲いていくこの時期は、一年を通して最もよい季節だと思う。
帰路、岩国に近い国道188号線沿いの「力寿司」でジャンボ寿司・天ぷら・メバルの煮つけなどを食べる。メバルは信じられないくらい大きかったが、寿司ネタの大きいこと。ハマチなどは添えられている包丁で4等分して1人前の大きさである。ネタは新鮮、安くてうまいのでいつも大入り満員の店である。こんな店も楽しい。

クリニックの変遷

平成25年3月6日(水)
暖かい日が続いて、春が訪れたようだ。今日は特に暖かく、気持ちの良い一日である。
最近、広島市内の産婦人科施設が閉院した。閉院の理由はわからないが、ここ数年だけでも他に数か所の施設が閉院しており、世の中の変化を感じる。閉院の理由は色々あるだろうが、年齢や病気によるものが多いと思われる。いずれにせよ閉院する時の寂しさは本人にしかわからないだろう。今でも思い出すのは開院の時の「やるぞ!」という希望に満ちた気持ちと、うまくいかなかったらどうしようかという不安感であり、これらの気持ちが渦まいてなかなか平静にはなれなかったものだ。
新たに開院した施設も少なからずあるが、いずれにしてもいつかは閉院しなければならなくなる。その時に何を思うかはそれぞれの立場・年齢などで異なるだろうが、感慨深いものがあるに違いない。うららかな春の一日、ふとそう思ったことである。

自転車通勤6年目

平成25年2月28日(木)
自転車通勤を始めてもう6年になる。高血圧対策で運動のために始めたのだが、往復6キロと距離も頃合い、道路も広くて快適、気分転換にもよいのですっかりはまってしまった。近頃はカッコいいスポーツサイクルで通勤する人が増えているが、最も乗りやすく機能的な自転車はママチャリであるとの信念から、チョッピりカッコ悪かったが結構高価なママチャリを買って機嫌よく使っていた。
3年前、偶然アシスト自転車に乗る機会がありその楽なことを経験してしまうと、運動のためという最初の目的はどこへやら楽チャリが欲しくなってしまった。ちょうど下肢静脈瘤が悪化して力を入れてペダルを漕ぐのがしんどくなっていたし、近所の開業医も楽チャリで通勤しているのを知ったこともあって、パナソニックの楽チャリを買ってしまった。楽チャリを使いはじめたらあまりの快適さに、もう普通の自転車には乗れなくなってしまった。静脈瘤も手術して良くなったけれど楽チャリをやめる気持ちはない。雨の日を除いて毎日機嫌良く通勤している。会合なども極力楽チャリを使うので、タクシー代がおおいに節約できる。だいたい1年で元を取っているのではなかろうか。
今日も気持ち良く楽チャリ通勤、2月にしては暖かな1日であるが、季節を肌で感じられるのはいいものである。

「夕顔」の稽古

平成25年2月21日(木)
琴古流尺八宗家が生田流白秋会の人たちと共に東京から来広され、尺八の演奏指導をしていただいた。今回は地唄「夕顔」を宗家の前で吹いたが、あとで録音したのを聞いてみて「進歩がない」と思ったことであった。
言い訳すると、前夜新年会で飲みすぎたせいか朝から唇が腫れていて、いつものような音が出ないので力みがあった。もっとも技能があればそのようなことは関係ないのだろうが。肩に力を入れないで自然にのびのびと演奏しないとダメである。
それでもプロの伴奏で尺八を吹くのはなんと気持ちのいいことか。日本の伝統音楽には汲めども尽きせぬ味があり、奥が深いものだと思ったことである。今は宗家の演奏をくりかえし聞いて、音の出し方や指使いなどをマネようとしているが、聞けば聞くほどすごい技術である。もっと練習しよう。

城下町へ行こう!

平成25年2月14日(木)
BS朝日に「歴史発見 城下町へ行こう!」という番組がある。全国に100以上ある城下町を俳優のピエール瀧が案内人となって紹介するという、歴史の好きな人間にはたまらなく面白い番組である。
以前から各地を旅する時にはできるだけ城を訪れるようにしていたが、この番組を見るようになってから一層興味がわいてきた。番組では各地の城にまつわる歴史、当時のありさま、現在の城下町の様子、食べものなどを現在そこに住んでいる人たちを交えて紹介している。以前訪れた城でも知らないことがたくさんあることがわかり、もう一度訪ねてみたくなった。最近では松山城に行ったが、歴史を調べて行けばより面白いだろう。以前に訪れた小倉城・熊本城・彦根城・松江城なども、もう一度行ってみたい城である。姫路城(白鷺城)は今改修中であるが、完成の暁にはあの優美な姿を見たいものだ。とりあえず次は鹿児島城(鶴丸城)を訪れようか。もっとも現在は焼失して城跡のみだそうであるが。

作家「団鬼六」と大崎善生著「赦す人」

平成25年2月6日(水)
NHKに「ファミリーヒストリー」という番組がある。著名人のルーツを調べ、映像にまとめて本人に見せて感想を聞くという趣向であるが、本人も知らなかった事実が発掘されたりして本人も驚くことがあり面白い番組である。
平成23年に亡くなった団鬼六氏は知る人ぞ知るSM作家であるが、将棋に精通しておりプロアマを問わず棋士たちとの交流を描いた秀逸なエッセイを数多く残している。氏のSM小説「花と蛇」は代表作と言われ映画化されてもいるが、私が興味を持ったのは氏のさまざまなジャンルの人たちとの交流を描いたエッセイ群である。ハチャメチャな父親とのさまざまなエピソード、大学時代のフランス語の教授との交流をはじめ、芸能人から裏社会の人まで相手を問わず面白く付き合っていく姿勢に、人間の大きさや懐の深さが感じられる。
氏が亡くなった翌年に、その生涯を描いた大崎善生著「赦す人」という優れたノンフィクション作品が出版された。著者の大崎氏は、広島出身の夭折した棋士村山聖氏の評伝、「聖の青春」で作家デビューした人である。大崎氏自身の作家になるまでの紆余曲折も興味深いが、なにより将棋を通じての団鬼六氏との交流があっての作品で、読んでいるとまさに「ファミリーヒストリー」を連想させる部分もあり実に面白い。大きな人間というものはまだまだ奥が深く、書かれていないこともたくさんあると思われるが、人の生きた軌跡は興味深いものだと思ったことである。

平松教授の講演

平成25年1月31日(木)
わが母校、岡大の平松教授の講演「たかが子宮筋腫、されど子宮筋腫」が行われた。子宮筋腫の手術は産婦人科医にとっては基本中の基本で、だれでも習熟しているはずの手術である。しかしながら、どの手術もそうだと思うが、難しいものはいくらでもありだれも引き受けられないような症例もある。わが平松教授はこれらの困難な手術に挑み、その卓越した理論と技術で成功させていることを示してくれた。
子宮筋腫の手術といってもさまざまなヴァリエーションがあり、筋腫ごと子宮を取ってしまう手術から妊娠できるように筋腫のみを取る手術、肥厚した筋層を均等に切除する手術まであり、妊娠できる可能性を残す手術の方が難しい。これらにも果敢に挑み成功させておられる。また、巨大筋腫があって妊娠した症例の帝王切開、筋腫核出術も提示されたがこんな難しい、一つ間違えれば母児ともに命にかかわるような手術をいったいだれが引き受けてくれるだろう。それでも医療の最後の砦としての責任感から、自分が受けなければと他県の機関病院から紹介されたこの患者さんを受け入れ、きちんと成功させている姿勢に頭が下がる思いであった。
この時ほど我が母校の産婦人科教室を誇りに思ったことはなく、これからもこの姿勢で頑張ってもらいたいと心から思ったことである。

1万時間

平成25年1月24日(木)
どんなことでも1万時間かけて努力すると一人前になるという。特別な能力を必要としない分野ではそうだと思う。でもスポーツや音楽、芸能の分野では、1万時間かければある程度はできるようになるだろうが、プロにはなれないと思う。
尺八を始めて10年になるが、上手い人の音を聞くたびに自分には才能がないのだろうかと思う。師匠は「いい音を出すための努力はずっと続けないといけない。指使いは訓練であり、筋肉が覚えるまで反復練習あるのみ。音楽性は持って生まれたもので変わらない」とおっしゃる。音楽性が生まれつきのもので変わらないのなら、音を出す能力も筋肉を上手く動かす能力も生まれつきのものではないかとつい、思ってしまう。ある人は「プロになっているような人は一時期、血を吐くような努力をしています」というが、確かにそうだとは思うがそのような心境になるのは、すでに高いレベルに達しているからではないか。そうでなければそのような心境になるはずがない。
いずれにせよこんなことを考えている間はレベルが上がるはずがない。1万時間かけてから考えよう。