平成27年7月24日(金)
表題は秋田大学産婦人科教授、寺田幸弘氏の講演である。内容は、福岡伸一氏の著書「生物と無生物のあいだ」を引用しての生殖の本質の問題から始まって、現在行われている生殖医療(ART)の安全性についての考察、妊娠について原点にかえって考えるなど新しい切り口の興味深い話であった。最後に、秋田大学での不妊症診療の実績と現在試みている新たな研究を紹介された。
確かに現在行われているARTは本当に安全なのか、あるいは50歳過ぎた女性に他の女性の受精した卵子を戻して妊娠・出産させることが正しいことなのか、など考えさせられることは多い。でもそれを言うと、そもそも医学は本質的に必要なのかというところまで議論しなければならなくなる。つまり、「自然」が最もいいのなら人間も生物であるから、他の動物のように病気やけがに対してもなにもせず様子を見るだけでいいということになる。結局、自然に対してどこまで医学が介入することが最適なのかを見極めることが最も重要なのだと思う。
原点にかえる不妊症治療
自転車のマナー
平成27年7月16日(木)
自転車通勤を始めて8年になるが、気持ちよく毎日通っている。初めは普通の自転車だったが、途中から電動アシスト自転車(楽チャリ)に変えてからは文字通り楽になった。楽チャリはペダルを踏む力を3倍に増幅するので、坂道でもほとんどストレスなしに乗ることができるし、長距離走っても疲れない。初めの頃はあまり見かけなかった楽チャリだが、最近では乗る人が増えたようで、あちこちでよく見かけるようになった。
自転車通勤をしていて思うことは、平気で信号無視をする人や見通しの悪い十字路を減速せずに走り抜ける人がいることである。もし車にひかれたらどうするのだろうと思う。自転車を一旦止めて、再び走り出させるのが面倒なのだろうが、接触事故でけがをするのは自分である。道路交通法では車が悪いことになっているが痛い目に合うのは自分である。また、高速で歩道を走り抜ける人もいるが、実に危ないことである。歩行者にぶつかったら大変である。他にはスマホを扱いながら乗る人も多い。罰則を設けるながれになっていることに納得している。
人生を変えた一局
平成27年7月9日(木)
表題の本は、囲碁・将棋チャンネルの番組「記憶の一局」をまとめたもので、囲碁の一流棋士がそれぞれ特に思い入れのある対局を3局ずつ選んで、解説したものである。以前、趙治勲の囲碁にはまっていた時があったが、最近ではあまり囲碁に接することがなかった。
偶々この本が目に留まり、読んでみると当時のスター棋士たちと今の旬の棋士たちの棋譜と解説が興味深く、久しぶりに趙治勲の打碁を並べてみる気になったが、勝負師たちの思いのこもった対局は彼ら自身の解説と共に棋譜を追っていて実に面白いものであった。小林光一、石田芳夫、王銘?、小林覚、片岡聡、などの当時から変わらず活躍している棋士、山下敬吾、吉原由香里、などそのあとの世代の棋士たちを合わせて10人の棋譜はそれぞれ味わい深く、囲碁というゲームは人類の発明したすばらしいものの一つであると改めて思った。
薬はできるだけ使わない
平成27年7月3日(金)
同じ症状に対して医師によって薬の使い方はずいぶん違う。たとえば妊娠初期に出血があった場合、「切迫流産」という病名がついて止血剤、子宮収縮抑制剤が処方されることが多い。かつてまだ超音波検査装置がなかったころは、入院・安静・上記の薬の点滴が治療の定番だった。研修医のときにはそのような患者さんが、大学病院でも個人病院でもいっぱい入院していた。今は流産は細胞分裂のミスによることがわかってきたので意味のない入院・治療はしなくなった。母親の妊娠時の年齢が上がるほど流産率は上昇する。私の場合、ずいぶん前から薬は出さないで経過を見守るだけにしている。
ウイルスによる感染症、ヘルペスなどに対しても一定の期間で必ず治るので副作用のことを考えれば内服薬を出そうとは思わない。痛みなどを緩和するための軟膏を出すぐらいである。そもそもウイルスに効く薬などないと思っている。
一事が万事で、当院では実際に処方する薬は実に少なくなっており、厚労省が薬剤費を抑えるために行っている姑息な政策に逆の意味で心ならずも貢献している。でも、長く診療にかかわっていると、薬はできるだけ使わない方がいいと改めて思う。
桂枝雀「落語大全」
平成27年6月26日(金)
桂枝雀のCD版「落語大全」は全巻そろえていて何度も聞いているが、枝雀の若い頃、小米から枝雀になった頃から爆笑王と言われるまでのNHKラジオアーカイブ「桂枝雀落語選集」を手に入れて聞いてみると、その頃はいわば楷書の落語でそれなりに面白く聞いた。
普通、芸人は受けたネタはあまり変えずに演じるものだが、枝雀はどんなに受けてももっと面白くできないかと考えていたようで、いつも試行錯誤していたふしがある。最近手に入れたDVD版「枝雀落語大全」はCD版とは異なった収録で、弟子たちの話やゲストとの対談などもあり実に興味深いものであった。収録の日付を見れば同じ話でも以前の演じ方とどう変わっているかわかるし、工夫やとらえ方の違いがなんとなく感じられる。
枝雀師が亡くなる直前の頃の落語は別の意味で迫力があり、もし生きていたら今どんな落語を演じていたかと思うと残念でならない。
遠藤滋著「中国人とアメリカ人」
平成27年6月19日(金)
表題の著者遠藤氏は、昭和33年に慶応義塾大学を卒業後三井物産に入社してアメリカに13年、中国に10年、ビジネスの責任者を歴任し、定年退社後は香港の華僑グループのサポートをしているいわばグローバル商社マンである。アメリカでの仕事を通じて得られた経験と中国での経験の両方から、それぞれの国の人となり・特徴を記しており興味深く読んだ。
中国人とアメリカ人は似ている点が多いという。それは「集団より個が原点、自己中心主義」「大局を語るが力点は短期の利害」「オープンでアバウト、後悔しない」「自己主張、自己弁護がうまい」「左手で殴りながら右手で握手できる」「人生は楽しむものと考えている」などで日本人とはずいぶん異なっているようだ。日本の良さは、社会秩序がしっかりして安全で平等な国であること、技術・工業力も高く、精神文明面でも抜きんでた静かながら一体感のある社会を作り上げていることである。ビジネスでの彼らとの折衝ではもっと自己主張をするべきだが、結局は「人となり」であるという。自分の経験したことのない世界の話なので、面白く読ませてもらった。
「福太郎」の衰弱
平成27年6月12日(金)
このところ朝夕の散歩のとき、ぶさいく犬「福太郎」はしばしば足を止めて動かなくなっていた。それでもしばらくするとまた普通に歩きだして、公園の中の草花のにおいをかいだりマーキングにいそがしそうだった。ところが4~5日前から少し歩いてもしんどそうで、今まで通っていた公園にはもう行くことができなくなった。そこで近所の小さな公園をぐるっと回ることにしたが、それもできなくなってしまった。
推定年齢14歳なので仕方ないと思うが腹水がたまっているらしく、何も食べず水を少し飲んでじっとしている。今朝は玄関を開けるといつもの散歩を思い出したのだろうか、よろけながら立って尻尾を振っているがそれ以上は動けないようだった。かわいそうだが見守るしかない。苦しんでいるようには見えないのがせめてもの慰めである。亡くなったら骨の一部を田舎の父の墓の近くに埋めてやろうと思っている。父が10年以上飼って一人暮らしの時期も支えあっていた愛犬だったから。
入梅
平成27年6月5日
一年のうちで最も好ましい若葉の季節があっという間に過ぎて、とうとう梅雨入りしてしまった。「とうかさん」は今日から始まるが朝から雨模様で、例年この祭りの3日の間には1日は必ず雨が降るという私的ジンクスが、今年も証明された。今日から3日間、中央通りから本通り、胡通り・流川のあたりは浴衣の女性、若者、家族連れの人たちで大いににぎわうだろう。「とうかさん」のことをつい忘れて、飲みの約束をして後悔したことが何度もあるが、今年は家でおとなしくするつもりだ。それでも夕方、仕事が終わって帰宅途中に見かける浴衣姿は風情があっていいものである。
二十数年前、中電病院に赴任して初めて病院官舎の人たちと「とうかさん」に家族で行った時も雨が降ってきたことを覚えているが、月日のたつのは早いものである。そして人生はどのように展開するのかわからない。当時、二十数年後の自分がこの地に開業してこのような文章を書いているとは、夢にも思わなかった。
なぜ日本人は横綱になれないのか
平成27年5月29日(金)
表題の本は角界最小兵ながら「平成の牛若丸」「技のデパート」の愛称で活躍し、小結まで昇進した力士、舞の海秀平氏の著書である。現在はNHK大相撲の解説やテレビ、講演など幅広く活躍されている。
氏は相撲の盛んな青森県出身で小学時代から相撲が好きで強く、将来は大相撲の力士になるのが夢だったが、身長が伸びず随分苦労したことが書かれている。中学時代に一度相撲をあきらめかけたことがあったが、それ以降はどんなことがあっても決して諦めず、人一倍の努力と工夫でプロになり活躍するようになったことが、淡々と綴られている。これを読むと、スポーツに限らずどんな分野でも素質よりも精神のありようが最も大切であることを教えられる。
舞の海氏の著書を読めば、なぜ日本人は横綱になれないのかが分かる気がする。精神のありようが白鳳関の方が日本人力士より強いのだろう。そういえばテニスの錦織圭選手のランキングが上がったのも、マイケル・チャン氏がコーチになってメンタルの強化があったおかげだと言われているが、真実なのだろう。
舞の海氏のような精神のありようなら、どの分野でもきちんとやっていけるに違いない。
先輩の送別会
平成27年5月23日(土)
古巣である中電病院のH先輩が定年のため病院を退職することになり、病院産婦人科の送別会にO.B.として出席した。先輩は私が病院を辞めて開業する1年前、今から約19年前に赴任して来られた。誰に対しても態度を変えない、誠実でフレンドリー、実力のある人物で、開業後ずいぶん助けていただいた。すぐに入院が必要な患者さんや、診断の難しい患者さんなど困った時に先輩であるH先生に相談すると、快く引き受けてもらって実にありがたかった。
現部長が企画して開いたこの送別会は心のこもった素晴らしい会であった。病院のスタッフにH先輩がいかに頼りにされ慕われていたかが感じられて、気持ちよかった。
周辺の病院から一人またひとりと先輩たちが定年で退職して行く。これで各病院の部長は同期か年下になってしまった。開業してもう18年になろうとしているのだから皆年を取るのも無理ないことである。
年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず