平成28年7月29日(金)
慶応義塾大学産婦人科、阪埜浩司講師による講演があった。最近では子宮内膜症の治療は手術よりも薬物療法が中心になっているというが、それは病気の性質上手術しても再発が多いからである。薬物療法のメインは低用量ピルを中心としたLEPであり、リュープリンやディナゲストなどのホルモン療法である。これは子宮内膜症が病気として認識され、病因が解明され、治療法が確立され始めたころからあまり変わっていないようである。
かつて1980年代に「子宮内膜症研究会」が発足し、いまは一学会に昇格しているが、子宮内膜症は不妊との絡みもあり女性にとって重大な疾患に位置付けられていた。私自身も初期の頃から研究会に参加していて治療に関していろいろ試みた結果、十数年前に我が国でやっと低用量ピルが解禁された時から私自身は子宮内膜症に対する第一選択の治療法として皆さんに勧めてきた。つまり、現在のLEPを中心にした治療をずっと前から最も副作用の少ない最善の治療としておこなってきたわけである。また、生理痛が強い女性に対しても、子宮内膜症や子宮筋腫がなくても低用量ピルを勧めてきた。さらに避妊に対して最も有効で副作用の少ない最良の方法であることを話して極力ピルを推奨してきた結果、当院では現在多くの人がピルを服用するようになっている。
今になってピルの連続使用も推奨され始めているが、当院では以前から連続使用しても問題ないと説明している。連続使用というのは、3週間飲んで1週間休むという従来の飲み方ではなく、休薬期間なしで3ヶ月以上飲んで1週間休むことで、生理は休んでいるときに起きるので3ヶ月に1回になり子宮内膜症にはいっそう有効で、避妊が目的の人にも有用である。
今まで私自身が考えた結果当たり前だと思いずっとやってきたことを、遅ればせながら学会が推奨し始めたという印象の話であった。
子宮内膜症治療の講演
夏休み
平成28年7月23日(土)
先日届いた広島市医師会だよりに「夏休み」をテーマにした随筆が載っていた。このコーナーは月毎にテーマを決め、会員の医師たちが指名により寄稿することになっているが、お題によっては原稿の集まりが少ないときもある。今回のお題はさすがに皆思い出が多かったと見えて10編の随筆が集まった。
なんといっても多かったのは、子供時代に祖父母の田舎の家で過ごした思い出を綴ったもので、読んでいると「となりのトトロ」を思わせる内容で、宮崎駿監督のアニメにノスタルジーを覚えるのは、あの世界こそが我々日本人の原風景だと思っている人が多いからだと感じた次第である。私自身は田舎育ちなので自然の良さは十分認識しているけれど、生活の不便なことや大変さがわかっているので短期間の滞在なら十分楽しめるだろうが、ずっと住めと言われるともろ手を挙げて賛成というわけにはいかない。
昭和30年代の当時、トイレは水洗ではないし冷蔵庫がないので食べ物の保存が難しかった。家の土間にはカマドがあり煮炊きはカマドと七輪で行っていた。風呂は薪で沸かす五右衛門風呂、クーラーは当然どの家にもなく、夜は暑いので窓を開けて虫が入らないように明かりを消して蚊帳をつって寝る生活である。昼間は農家なので仕事はたくさんあり、いかに手伝いをせずに遊びに行くかが子供にとっては最大の関心事であった。トマト、キュウリ、ナス、スイカなどは庭の畑に植えているので、いつでも新鮮なものが食べられる。川や池で水遊びができるし裏山に行けばセミやトンボ、カブトムシなどはいくらでもいる。「トトロの世界」は半分はそのとおりだったと納得する随筆であった。
「建築家のすまいぶり」
平成28年7月14日(木)
表題は主に住宅建築を手掛けている建築家、中村好文氏の著作で、6年間に24軒の建築家の住宅を訪ねて家と住まいぶりを紹介したいわば住宅見学記である。氏は幾多の住宅の設計をしてきたが、50歳を前にして学生時代に憧れた20世紀の住宅を訪ねてみたいと思っていたところ、それを聞きつけた住宅雑誌の編集者が中村氏に「住宅巡礼」と題したルポを連載したらと勧められ、6年にわたって世界各地に現存する氏の意中の住宅を訪れこの本が完成したわけである。
それぞれの家の正確でわかりやすい設計図(イラスト)と外観・内部の写真・住まいぶりがきちんとまとめられていて、活字を追っているとその家にいるような気持ちになるすぐれもので、住んでいる人の暮らしぶりも垣間見える非常に濃い内容の本である。これらの家の多くは建築家自身が設計し自分で住んでいるもので、建築家の自邸には傑作が多いことがわかる。自宅であれば依頼者の顔色をうかがうことなく自分の思い通りに設計でき、自分の全知識・思想・センスなどを表明できるからだろうとのことである。文章の中に今は亡き住宅建築の星、宮脇檀氏の名前が出てきたりして、ファンとしてはうれしいことであった。
のどもと過ぎれば
平成28年7月8日(金)
昨年の11月には胃痛のためアルコール禁止するつもりでいたが、胃の具合が回復したらまた飲みだしてしまった。夜はビール→日本酒→焼酎のお湯割りという順で、量もいつの間にか復活していたようである。以前とどこが違うのかといえばウイスキーの水割りが焼酎のお湯割りに替わっただけである。こちらの方が胃にやさしいのでつい飲み過ぎてしまう。結果、今週から調子が悪く、なんとか調整して昨日の飲みは何とか大丈夫だったが今日は朝から調子が悪く、今日の飲み会は無理である。しばらくはおかゆとうどんで凌いでいくしかない。アルコールに弱いくせに旨いのでつい飲み過ぎて何度も同じことをくりかえしている。お前はニワトリかと言われそうである。ちなみにニワトリは3歩あるけばもうそれまでのことを忘れるというが、自分もそういわれても仕方がない。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざ通りで情けないことである。
医薬分業の功罪
平成28年6月30日(木)
院外薬局が隆盛をきわめているが、以前は医者にかかるとその医院で薬を出してもらうのが普通であった。なぜ今、医院で薬を出さなくなったのか不思議に思う人も多いだろうが、これは厚労省が医療費を抑えるために行った政策のせいである。
以前は、薬はそれぞれの医院が製薬会社から購入して患者さんに出していたが、仕入れ値と薬価に差額があり、それが医院の収入の一部にもなっていた。ただし、在庫などの問題もありわずかな収益しかなかった。ところがお役人たちは、薬の使用量が増えているのは医者が差額を儲けるために必要以上に出しているせいだと考え、薬品メーカーに仕入れ値を安くしないよう通達を出した。さらに院内で薬を出すより院外処方箋を出す方がわずかに有利になるように決めた。医者たちは院内で薬を出すと赤字になるので、仕方なしに院外薬局に薬をゆだねることにしたのである。
ところが日本のお医者さんたちはまじめな人が大半で、薬の処方量はほとんど減らなかったのである。つまり、儲けるために余分な薬を出す医者は少なかったので医療費の抑制にならなかった。優秀なはずのお役人たちは大きな間違いをしたわけである。そして誰が得をしたかといえば、製薬会社の一人勝ちになったのである。製薬会社は卸値を下げる必要がない分、丸儲けであり、医者に接待をしてはならぬという通達のため経費がかからない。今日の新聞に某製薬会社の社長の役員報酬が9億円と書いてあったが、うなずける話である。また、院外薬局を増やすための優遇政策により院外薬局はコンビニ以上に増えた。そして一番割を食っているのが患者さんである。患者さんの多くは院内で薬をもらった方が楽だと思っているのに処方箋を持って院外薬局に行かなければならないのである。
このような愚策を行った厚労省は責任を取るべきではなかろうか。
梅雨
平成28年6月24日(金)
このところ雨の日が続き市内でも避難警報が何度も出るようになった。今週になって二日間、深夜にスマートフォンのけたたましい音に快適な眠りを中断されたが、増水による河川の氾濫を警戒したものであった。この時期は雨が降るのはあたりまえだが、それにしても降り過ぎである。
梅雨時になると思い出すのは小学生の頃の「田植え」である。自分を含め同級生はほぼ全員農家の子供だったので、梅雨になると一斉に田植えを行う。今のような田植えの機械はないので、近所同士が手伝いあって一株ずつ手で植えて行くのである。小学生といえども貴重な働き手であるから、小学校は農繁休暇ということで何日間か休みになる。田んぼの泥の中にくるぶしまで埋まりながら田植えをするのは結構つらいことだった。いつの間にかヒルに血を吸われていることも多く、数少ない農家以外の子供がうらやましかったものだ。さすがに中学時代は農繁休暇はなかったが、稲刈りは手伝っていた。当時はあまりうれしいことではなかったが、今では四季を体で感じることのできた貴重な子供時代だったと思う。
藤原教授の講演
平成28年6月17日(金)
「腫瘍と生殖医学における手術アプローチ法の相違点ー生殖機能の再建を目指してー」と題して金沢大学産婦人科、藤原浩教授の講演があった。初めに子宮癌の手術の映像の供覧があり、表題との関連がよくわからなかったが、妊孕性の保存の観点からその意味がはっきりしてきた。受精する場所は子宮の裏側、腸に邪魔されない場所で行われるので腹膜を傷つけないことが肝要でありそのために手術方法を工夫すること。子宮内膜症による癒着がある場合は丁寧にはがし、内膜症組織を取り除くことにより生理痛は改善し、妊孕性も保存されること。受精と着床にかかわる内分泌と免疫の関係では、これらが複雑に絡み合って妊娠が成立することを仮説も含めて腑に落ちるように説明された。
生物学は実に奥の深い学問でわからないことだらけであるが、様々な面からのアプローチにより現在の生物学・医学が成立している。医学は病気を治すために仮説に基づいた治療を試みざるを得ないところがあり、そのために治療がうまくいかないことがある。でも、目の前に病んでいる人がいたら何とかしてあげたくなるのが人情だろう。不完全なことを承知で、負担のかからない意味のあると思われる治療を試みるしかないのが現実である。そのことを改めて思わせてくれた講演であった。
行きつけの店
平成28年6月10日(金)
料理をおいしく食べるために欠かせないのが酒であるが、晩酌をするようになったのは開業してからである。開業前は夜はお産で呼び出されることもあり、元来アルコールには強くないのであまり飲まなかった。開業後は次第に食事内容がつまみ中心になり、ビール・日本酒がおいしくなってしまった。
飲み(食事)に出るときは鮨屋・居酒屋が多くなり、せっかく行くのならおいしい店にしようと試行錯誤ののち、現在の状態に落ち着いている。平成22年からは行った店はほぼ記録することにしているが、2回以上行ったのは80軒ほどあり、その中で何度も訪れている行きつけの店は20軒ぐらい、鮨屋・魚の旨い料理屋・居酒屋・蕎麦屋・焼き肉店・天ぷら屋・イタリア料理店などが多い。初めは良く通っていたけれど次第に行かなくなったり、気に入っていたのに店がなくなったために行けなくなったり、いろいろ変遷はあったが今はだいたい固定している。それでもいい情報が入るととりあえず行ってみるようにはしている。思わぬ「当たり」の店に出くわすこともあるからである。
尾道・福山にも何軒か行きつけの店があるが休日の昼しか行けないのが残念である。いずれの店も一度は夜行って腰を落ち着けてアルコールと共に料理を楽しんでみたいと思っている。
ウオーキング
平成28年6月3日(金)
腰痛のため週1回のスポーツクラブのテニスもできなくなり、体を動かしたくて仕方ない時は歩くようにしている。元来、健康には自信があったのだが、自分には向いてないゴルフの練習のし過ぎから腰痛になり、二度とゴルフはしないと誓っていた。ところが、のど元を過ぎればのことわざもあるが、ゴルフ自体が面白いスポーツなので再開しようとしたら一層腰を痛めてしまった。この学習能力のなさはニワトリ並みだと自嘲しつつ今は歩くことだけが唯一の運動になっている。情けないことであるが仕方がない。
先日は比治山に登り、京橋川沿いに北上して二葉の里から常盤橋を渡り白島から川沿いに南下、カノーバカノーバでランチを食べて帰宅、合計12キロ歩いたことになるがこれぐらい歩くと少しは運動したかなという気持ちになる。京橋川の東側遊歩道には泰山木の白い花が咲いており、実に気持ちがよかった。自転車通勤は続けているがそれとは別に、なるべく歩くようにしたい。
平松洋子著「食べる私」
平成28年5月28日(土)
著者は料理や食、生活文化などの執筆活動を行っているエッセイストで、表題の本は2012年から足かけ3年かけて29人の著名人に「食」を中心にした話を聞いてまとめたものである。
まず、ひきつけられたのは、それぞれの人に食べ物を語ってもらうことを通して、いつの間にかその人の真実に触れてしまうようになる著者の力量である。もちろん話を聞く前にはその人のことを著書も含め詳しく調べているけれど、本音を引き出す力は著者のこれまで生きてきた総合力だと読みながら納得している。映画「かぞくのくに」で数々の賞を受賞したヤン・ヨンヒ映画監督の章では、一家の過酷な運命に驚き涙しそうになるが「疲れたときは、オモニ手製の鶏のスープを飲むと元気が出て、ほっとします」という言葉に救われた気持ちになる。マラソンの高橋尚子氏の章では、「食は私の命そのもの」と言い切る氏のこれまでの選手生活と今のスポーツキャスターとしての生活が、食を通して語られマラソンに対する思いが伝わってくる。圧巻は芥川賞作家でのちにポルノ小説家に転じた宇能鴻一郎氏の章で、著者が話を聞いた時70代後半だった宇能氏のこれまで公表されていない少年時代の「食」と「官能」の一体化の記憶が語られていて、息をのむ思いがした。
著者の作品は本屋ではよく目にしていたが、読んだのは初めてだった。これを契機に他の作品も読んでみたいと思う。



