看取り先生の遺言

平成28年2月5日(金)
表題はフリージャーナリスト奥野修司氏が、末期がん患者のための在宅ケアに邁進していた岡部健医師が進行した胃がんで亡くなるまでの9か月間にわたる聞き取りを、岡部医師の遺言として著したものである。
1950年生まれの岡部医師は宮城県立がんセンター呼吸器科医長、肺がんの専門医として腕を振るっていたが、治すことのできない多くの患者に出会い病院での治療に限界を感じたため1997年に岡部医院を設立、がんや難病患者のための在宅緩和ケアを始めた。設立時は数名のスッタフだった医院も、岡部医師が亡くなる2012年には医師や看護師、ソーシャルワーカー、鍼灸師、ケアマネージャーなど95名のスタッフが宮城県名取市、仙台市などを中心に年間300名以上を看取るようになって、国内でもトップクラスの在宅緩和ケア専門の診療所に育っている。
肺がんの専門家でありながら在宅緩和ケアのパイオニアとして2000人以上を看取った岡部医師が自ら「死の準備」をするかのように9か月間語った内容は非常に重くて深い。死を覚悟せざるを得なくなったときに、死という闇へ降りて行く「道しるべ」がないことに気づき愕然としたという。医療者だけでなく宗教者と共に「道しるべ」を示そうと臨床宗教師を創ろうとした。末期の患者の多くが「お迎え」という不思議な現象を体験することに興味を持ち、グループと専門家で調査をして論文として表している。氏の遺書ともいうべきこの著書は、志を同じくする医療者のためだけでなく、一人ひとりがいずれあの世に旅立つときの道しるべになると思われる。

「談志が死んだ」

平成28年1月30日(土)
表題は立川談志の初期からの弟子、立川談四楼の著書で、著者の惚れぬいた談志師匠が平成23年、75歳で亡くなるまでのあれこれを小説の形で書いたもので、このたび文庫本になったので早速買い求め読んでみた。
立川談志は参議院議員を務めたこともあり、落語界だけでなく政界財界芸能界など幅広い人脈を持った、芸人として魅力的な人物である。売り出し中の頃、紀伊国屋書店主の田辺茂一氏や作家吉行淳之介氏たちとの交友は、中公文庫の「酒中日記」に何度も出てきて、当時の文壇サロンの状況が見て取れる。談志が落語協会を飛び出して「立川流家元」になる前からの弟子である著者は、談志を最も長く見つめてきた弟子であり、ある意味では親子のような関係であった。その「親」である談志の行状の良いところや思い切り理不尽なところなどは、小説の形でなければ書けないだろう。談志についての本はたくさん出版されているが、小説の形で書いたこの本は読後感の良い優れた作品だと思う。

帝王切開瘢痕症候群と不妊症

平成28年1月23日(土)
滋賀医科大学産婦人科の村上節教授の講演があった。帝王切開瘢痕症候群とは最近の概念で、術後に子宮を縫い合わせた部位が瘢痕化して不都合を生じた状態のことである。そのために不妊症になったり、生理痛が増悪することがあるという。
以前は帝王切開は今ほどは行われていなかった。産婦人科医にとって自然に産んでもらうのが腕の見せ所で、帝王切開は最後の手段であった。だから帝王切開率が低いことは産科医の技術の高さの指標でありプライドでもあった。ところが最近はアメリカ訴訟社会の影響なのか、新生児に異常があると産科医の責任になり多額の慰謝料を払うような風潮になってしまった。だから少しでも心配な点があると、ぎりぎりまで自然分娩になるように頑張るよりも、早いうちに帝王切開してしまうのである。逆子は今ではすべて帝王切開になってしまったので、若い産科医は逆子の経膣分娩は見たことがないはずだ。
最近になってやっと帝王切開のやり過ぎについての反省が議論され始めたが、道は遠いと思う。自分が開業するまでの15年間、約3000のお産を行ったが母子にトラブルなく帝王切開率が5%だったことは本当に幸運でありがたいことだと思っている。

超音波研究会

平成28年1月16日(土)
広島県産婦人科医のための超音波検査技能向上を目指して開催されている「広島産婦人科超音波研究会」も今回で18回目を迎えた。この会は広島の産婦人科医有志が立ち上げたもので、主に妊娠中の胎児の状態を正確に診断することを目的としている。中心となるのは正岡病院の正岡博先生で、氏自身もそうであるが毎回日本中の超音波診断のエキスパートを呼んだり、超音波検査についての講義をしたり、我々産婦人科医にとってまことに有意義な会である。
今回も教わることは多かったが、驚いたことは別の施設で画像診断をしながらリアルタイムでネットにつなぎ、遠隔地で同時にその画像をエキスパートの医師が見て、指導・説明するシステムができ始めていることである。このシステムがあれば普段はあまり経験のない稀な胎児の先天異常などが、妊婦さんをその施設に紹介しなくても診断してもらえることで、妊婦さんの負担を軽減できる優れものである。問題は今のところシステムの値段がやや高価なことであるが、いずれ普及すれば安い値段で、あるいはレンタルで使用できるようになるかもしれない。もちろんエキスパートの医師は少ないだろうからその人たちは多忙になるだろうが。

休日当番医

平成28年1月10日(日)
今日は休日当番医のため日曜日なのに診療している。広島市では日曜・祝日には医療機関が休みになるため、持ち回りで各診療科が診療することになっている。内科は患者さんが多いので数施設が開いているが、産婦人科・眼科・耳鼻科・皮膚科などは1施設のみ開く。ほぼ半年に一回順番が回ってくるので、開業以来40回近く当番をしていることになる。
産婦人科の場合、妊娠関係の患者さんの受診が最も多いと思われるが、ほとんどの妊婦さんはお産する病院に通院しているので、何かあってもその病院が対応することになるから、当番医に来られる妊娠関係の人は意外に少ない。それでも10年以上前までは妊娠が最も多かったがここ5~6年は緊急避妊ピルを希望してくる人が増えている。
緊急避妊ピルは排卵を遅らせることによって妊娠率を下げるということであるが、効果はそれほど強いものではない。やはり低用量ピルを毎日内服すること以上に確実な避妊法はないと言ってもいい。いつもそれを説明するようにしているが、実際に低用量ピルを飲み始める人はあまり多くはないようである。

謹賀新年(平成28年)

平成28年1月4日(月)
明けましておめでとうございます。
毎年、4日より診療開始することにしているが今年はたまたま月曜日なのできりがいい。ただし、同じビルにある内科は明日から、耳鼻科はあさってから開始のようである。
元旦にはお屠蘇と雑煮、このところおせちを取り寄せているが家族の評判はいまいちである。それでもめげずに今年は今までで一番よかった「古串屋」から取り寄せた。ここのおせちは日本酒に合うのがいい。護国神社まで歩いて初詣、喪中のため年賀状は少なかったけれど、礼を失さないように返信を確認する数が少ないのは結構楽だと思った次第である。夜は長女一家と一瞬帰っていた長男と自宅で鍋を囲む。今年も平穏な一年であればいいと思ったことである。

仕事納めの日

平成27年12月28日(月)
今日は今年最後の診療日、他の産婦人科クリニックは半分くらいは休みに入っているようだが、当院は例年どおり今日までである。今年一年間、診療に関して特に問題なく終えられたのはありがたいことである。ここ数年は新患が増えていて、ネットを見てこられる人と口コミで来られる人が大半なのはネット社会を反映しているのだろう。患者さんの負担をなるべく少なくし、何度も通わなくてすむようにしているのは開業当初から変わらない当クリニックの方針であるが、18年間この方針が貫いてこれたのは本当によかった。今後もこのままでやって行きたい。
今年は郷里の父が診療開始日の1月5日に他界し、父の飼っていたぶさいく犬「福太郎」を引き取ったけれど6月に後を追うように死んだ。昨日郷里で父の一周忌の法要をおこなったが、墓地の片隅に埋めてやっている「福太郎」も今頃はあの世で父母と一緒にいることだろう。

超音波検査は聴診器のようなもの

平成27年12月24日(木)
朝、クリニックに到着したらスタッフから「超音波の画面が出ません」とのこと。すぐに調べてみたら本体のスイッチはオンになっているのにモニター画面にはなにも映っていない。これは大変だと調べてみたがわからない。産婦人科にとっての経膣超音波検査はかつての内科の聴診器のようなもので、なくてはならぬものになっている。超音波検査自体は他の科でも行われているが、重要度が産婦人科で特に増したのは経膣超音波検査ができるようになってからである。腹壁から調べる場合は、超音波の減衰が大きいため細かいことはわかりにくいが経膣エコーなら子宮・卵巣は細かいところまでわかる。特に妊娠初期の胎児の状態は侵襲のない経膣超音波検査に勝るものはないといっていい。
以前にも書いたが、かつては内診技術は産婦人科医の最も大切な習得すべきもので、まさに職人芸といううべき先人たちの技術が受け継がれてきたのである。それが経膣エコーのおかげで誰にでも当時の名人芸をしのぐほどわかるようになったのは、まさに革命といってもいいのではないだろうか。そのエコーの画面が映らないとは!幸い電源スイッチのオン・オフで事なきを得たが、早速エコーを増設すべく検討することにした。

冬らしくなった

平成27年12月18日(金)
12月になっても暖かい日が続き、自転車通勤の防寒対策は例年になく軽めだったが、今週に入ってやっと冬らしくなった。久しぶりに薄めのダウンのコートを着て自転車に乗ったが、まだ最強の服装ではない。最も寒い日は厚手のダウンジャケットにスキー用の手袋、マフラーに帽子であるが、昨年はそんな日は数えるほどしかなかった。今年は暖冬のようなので最重装備は必要ないかもしれない。
昨年の今頃は英語の特訓連続30日というのをやっていたので、寒い中暮れも正月もなく毎日クリニックに通って課題を解いていたが、今になって振り返ってみると英語力はちっともついていないようである。やはり実践で鍛えないとダメなことがよく分かった。でもこの年になって一時的にとはいえ結構熱中できたのは、楽しかったしいい経験になったと思う。
アシスト自転車で通勤を始めて6年を過ぎた。パナソニックの自転車は頑丈に作られているので調子がいいのだが、以前雨の日に滑って自転車が横倒しになった時、スポークが2本折れていたのを気づかずに乗っていたため、後輪が少しよれているようである。とりあえず修理してもらうことにしたが、そろそろ買い替えかなと思っている。

日本語の特異性

平成27年12月11日(金)
「ことば」は人類に特有のものであるが、それが脳の中でどのように成り立ってきたのかは、興味深いことである。養老孟司氏の脳に関する一連の著書を読むと、難しいのだけれどわかりやすく解説しておられるので、なんとなくわかった気持ちになるのが不思議である。視覚からの情報と聴覚からの情報を統合させる脳の分野に言語が発生するが、視覚は絵画の、聴覚は音楽の領域にある。漢字は象形文字からできたもので絵画の領域に属するが、平仮名はアルファベットと同じ領域に属していて、日本語は両方同時に働かせることによって成立する世界でも珍しい言葉である。
他の国の言葉は聴覚の領域がメインで、聞いて話す、話して聞く、の繰り返しで成立していくが、日本語は漢字という準絵画を使うことによって読む(視覚)ことが話すこと以上に重要になっている。そして漢字の読み方には音読み、訓読みなど何通りもの読み方があり、それらを習得しなければ日本語を読むことができない。昔から「読み書きそろばん」と言われていたのはそのことを象徴している。日本では漫画がよく読まれているが、吹き出しの部分がすべて平仮名であったらこれほど普及していただろうか。日本の漫画は日本語の音訓読みを利用したものであるというのは納得できる。脳の働きは実に不思議であり汲めども尽きせぬ面白さがある。