同門会の季節

平成28年11月11日(金)
毎年この時期に岡山大学産婦人科医局所属の同門会が教授臨席のもと各地で開かれる。現在は一つの県に医学部が一つはあるが、30数年前までは医学部は中国地方では岡山、広島、鳥取、山口、にあったけれど島根県にはなかった。四国では徳島のみであとの3県には医学部はなかった。医学部のない県の公立病院には大学が医師を派遣していたので、歴史が古い岡大が最も多くの医師を中四国の各地へ派遣していたわけである。その積み重ねから各地に現地同門会ができて、毎年会を開いているというわけである。広島県には広島市と福山市の2か所に同門会組織がある。
広島市には現在29名の会員がいるが、若い人は少ないというか、ほとんどは広島市民病院の若手の医師たちであり、そのまま広島に定着する人は果たして何人いるだろうか。何しろ自分はこの年でまだ29名中15番目である。上が多くて下が少ない。岡大も各地に医師を派遣する力がなくなっていて、各県の大学出身の医師が地域をしっかりとカバーするようになっている。我々の世代がいなくなれば現地同門会そのものがなくなってしまうかもしれない。

弥山に登る(再)

平成28年11月4日(金)
11月3日文化の日、弥山に登った。ロープウェイを使ったり片道だけ歩いたりの弥山登頂は何度かしているが、全行程歩きは平成25年10月以来2回目である。このところ休日はあまり天気が良くなかったが、久しぶりの晴天で紅葉の具合も気になったのでカミさんと広島駅でお気に入りの駅弁を買って、JRで宮島口→フェリーで宮島へ渡った。ビール、つまみなどをリュックに詰めて紅葉谷コースを登ったが、昼近くだったので降りてくる人たちとすれ違うことが多かった。前回もそうだったが外国人カップルの多いこと。休み休み1時間半で頂上へ到着、前回の時は展望台は工事中のためトイレも使えなかったが、今回は心置きなくビールと弁当に舌鼓を打ち、大聖院コースは階段ばかりで膝に来るので再び紅葉谷コースを下山した。
紅葉はこれからだったが神の山からの景色も堪能して余裕で往復できて、帰りのフェリー→JRの連結も1分の無駄もなく広島駅に到着。いつもお客さんが一杯でなかなか入れない駅ビルの居酒屋「千代の春」にも無事に滑り込むことができておでんと新鮮な魚で一杯やって帰宅。いい休日になった。

将棋界の危機

平成28年10月27日(木)
プロの将棋棋士が公式対局の際、将棋ソフトを使って勝ったという疑惑が持ち上がり、疑惑の棋士は今年いっぱい出場停止になり、その真偽が問われることになった。最近の将棋ソフトのレベルはプロの棋士を超えているそうで、プロ棋士との公式対戦でも勝ち越している。だから難しい局面になったらそれをソフトに打ち込み、出てきた答えを実際の対戦に使うことも可能である。疑惑の棋士は対戦中何度も席をはずし、ソフトを使って調べていたのではないかと疑われたのである。
将棋というゲームは頭脳だけではなく気力・体力など全人的な力がないと勝てない。特にプロ同士の力の差は紙一重なので、対局には人間力が試されそこにドラマが生まれ我々ファンが注目し贔屓の棋士に声援を送る。勝負事はどんなものでも人と人が全力を尽くして戦うから面白いのである。そもそもヒトが機械と戦って勝てるわけがないのだ。疑惑が本当だとは信じたくないが、棋士として人間として絶対やってほしくないことである。

地震

平成28年10月22日(土)
昨日午後2時過ぎ、診療開始前にパソコンに向かっているときに突然、揺れを感じた。すぐに思い出したのは今から15年前に起きた芸予地震で、それに比べたら大丈夫そうだとそれほど動揺せずにすんだが、そのあとも余震がくりかえされ地震の怖さをしみじみ感じた。震源は鳥取で震度6弱、広島は震度4だそうである。芸予地震の時は土曜日の午後3時半ごろで診療中にものすごい揺れが起き思わず机にしがみついたが、棚は倒れガラスが割れて壁にひび割れができ後片付けが大変だった。今回は被害はなかったが突然起きる地震はおおむね「忘れたころにやってくる」し、警戒していても防ぎようがない。
昔から怖いものを「地震、雷、火事、親父」と言ったが、地震と雷は自然のものでどうしようもないが、火事はある程度は防ぐことができる。封建時代の「親父=家長」は権威があり怖かったかもしれないが、昨今は「オヤジ」より「カミさん」の方が強い世の中になっているのではなかろうか。今のことわざは「地震、雷、火事、カミさん」が適切だろう。

 

秋深き

平成28年10月14日(金)
10月も中旬になると急に肌寒くなり、朝夕の自転車通勤の服装も今までの軽装ではつらいようになった。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、秋分の日の頃はまだ暑い日の方が多く秋を感じることは少ないが、さすがに今はこの言葉を実感するようになった。
豊穣の秋というが新米が出回り栗や柿、マツタケも今からで、一年の中で一番いい季節だ。今年はふるさと納税でマツタケが届けられることになっていたが、不作のようで来年になるかもしれないとの連絡があった。残念だが仕方がない。子供の頃マツタケは田舎の裏山で結構採れていてすき焼きなどに入れていたが、子供は肉の方が好きなので土間にマツタケが何本かあるのを見ても少しもうれしくなかった。それが今ではとびきり高価なものになってしまった。
暑い夏があるから秋が満喫できるし、寒い冬があるから春が待ち遠しいのである。まことに我が国の四季のありようは、汲めども尽きせぬ風情がある。良い国に生まれたことに感謝である。

「アメリカ臨床医物語」

平成28年10月7日(金)
著者の中田力氏は東大医学部を卒業した2年後に渡米し、カリフォルニアで臨床医の修練をしたのちカリフォルニア大学の大脳神経学の教授として活躍、2002年に新潟大学統合脳機能研究センター長に就任、米国と日本を往復しているMRIの世界的権威である。医事新報に「フィロソフィア・メディカ」と題した氏のエッセイの掲載が始まり、そのレベルの高さと面白さ、奥行きの深さに注目していたが、今月でもう4回目の掲載になり他の著書も読んでみたくなった。
アマゾンで調べたところいくつかの著作がヒットし、すぐに手に入れることができた。便利な世の中になったものである。表題の著書は、氏がアメリカに渡り臨床医としての修練を始めて様々なことを経験しながらキャリアを積んでいく様が淡々と語られている。医療は誰のためにあるのか、医療者のあるべき姿はどうなのか、日米の医療に対する考え方の違いを検証しながら、我が国の医療の足りない点や改善すべき点を提示している。アメリカの「ER」というドラマがかつて日本でも評判になったが、まさにあの世界と同じ経験をして教授にまでなったわけである。さらに氏の思索の深さはその臨床能力の高さと同格で、これほど能力のある人は稀だと思う。久しぶりにすごい人に出会ったような気がする。

ポドフィリンとHPV

平成28年9月30日(金)
コンジローマと呼ばれる小さなイボが男女の性器とその周辺にできることがあるが、これはHPV(ヒトパピローマウイルス)によるもので、性交など接触で感染する。放置しておくと数も範囲も広がってくることが多い。ヨーロッパなど諸外国ではポドフィリンという植物の根から抽出した溶液をこのイボに塗ることで治療してきた。諸外国ではすでに一般薬として薬局で売られているので手軽に使えるようになっている。
ところが我が国では毒性が強いという理由で、一般薬としては使用できないことになっている。現在我が国で行われているのは、イボを焼く・切り取る・硝酸銀棒(かつて)→イミキモド塗布(現在)であるが、ウイルスの感染が原因であるために再発が多い。焼く・切るという外科的処置よりも塗り薬で治るならそれが一番いいだろう。イミキモドクリームはやっと我が国でも承認された塗布薬であるが、やはりポドフィリンの方がキレが良いという印象である。
子宮頸がんの原因とされているウイルスは、コンジローマのウイルスの仲間であり子宮頚部に感染したためなので、ポドフィリンを塗布することで治療する試みがいくつかの大学で過去に行われた。一定の成果は見られたようだが、治療法として定着するほどではなかった。それでも治るのなら手術よりはるかに負担が少ない方法だろう。私自身はハイリスクHPVに限定して試みたらどうかと思っている。

「トーテム」大阪公演

平成28年9月23日(金)
久しぶりの自由に動ける連休を利用してシルク・ド・ソレイユの大阪公演を見に行った。人間の優れた運動能力を駆使したこのサーカス集団は、そのすばらしいパフォーマンスで世界中にファンが多い。1992年に日本で初めて「ファシナシオン」と銘打った公演が行われたが、広島でたまたま行われたのを偶然見に行ってすっかりファンになってしまった。以後何年かおきに日本で公演が行われるようになったが、東京・大阪・名古屋・福岡が中心で、広島にはこの時以来一度も来ていない。だから大阪か福岡で公演があるときはいつも見に行くようにしている。今回のテーマは「不可能を可能にする人類の進化」でこのサーカス集団が見せるアクロバットにはいつもながら感嘆の言葉しかない。
真田丸の特別展が大阪市立博物館で開かれているので、はじめての大阪城散策の流れで行ってみたがさすがに大河ドラマ人気で人が多かった。夕食は三ツ星レストラン日本料理「太庵」、翌日の昼はスマホで検索して「うな次郎」でリーゾナブルなうなぎ、夜は広島駅ビルの「千代乃春」でおでん、気持ちのいい骨休めになった。

女性は長寿

平成28年9月16日(金)
政府の発表によれば2015年の平均寿命は、男性80.79歳、女性87.05歳で我が国は長寿大国になっているが、いつものように女性の方が男性より6歳長生きである。広島県では9月1日現在で100歳以上の高齢者は1946人(男性250人・女性1696人)で圧倒的に女性が多い。戦前(昭和20年より前)の平均寿命は男性が42歳で女性が44歳でこれが何十年も続いていたことを考えると、驚異的な寿命の延びである。かつては還暦は当時の平均寿命からいえば珍しいことで、皆で祝うべきめでたいことであった。さらに古希の70歳は文字どおり「古来稀なり」だったのが、今では多くの人が通過するのが当たり前になってしまった。
男女の平均寿命が2歳しか違わなかった時代からは、今のように男女の寿命が延びることと、女性が男性より6歳も長生きするようになることをだれが予想しただろうか。平和で衣食住が足りていれば女性の方が長生きするようにDNAで決まっているのだろうが、女性は生物として男性より強いのである。それにしてもこんなに長寿の人が増えてくると今までのように祝100歳の銀杯が贈れなくなったので、政府は予算の関係で銀メッキの杯にするそうである。

優勝前夜

平成28年9月9日(金)
昨夜は久しぶりに魚の美味しい店「とみ助」で一杯飲んだが、流川界隈はいつもに増してにぎわっており、スポーツバーにはカープの赤いユニフォームを着た若者が店外まであふれていた。カープが勝って巨人が負ければ25年ぶりのリーグ優勝が決まるのでテレビカメラもその様子を撮影していて、優勝の瞬間を待っていた。残念ながらカープは勝ったけれど巨人も勝ったので優勝は今日以降に持ち越しになった。
いつも思うのだが優勝してもクライマックスシリーズなる視聴率稼ぎの戦いがあり、リーグ1位から3位までのチームが何回か試合をしてその勝者が日本シリーズに出場し日本一が決まる。いつからこんなつまらないことを始めたのだろうか。リーグ優勝するためにはリーグ内で125試合、他リーグと18試合、合計143試合をして初めて1位が決まるのである。数試合行うだけのクライマックスで1位がひっくり返されるとしたら、1年間の戦いは意味がなくなる。クライマックスだけはやめてもらいたいものである。