令和元年

令和元年5月10日
連休が終わり「令和」の元号になっての診療が始まったが、つい「平成31年」と書いてしまいそうになる。訂正印をハンコ屋さんに注文しているが、「平成」と印刷してある書類もまだたくさんあるので当分の間は一々訂正しなければならない。
一番長く続いた元号は「昭和」、二番が「明治」だそうであるが、「平成」は四番目とのことで、こんなに長く元号を使った歴史のある国は世界中でもまれなことだという。学生の頃は西暦の方が各国との比較で使いやすいと思っていたが、歳をとるにつれて元号を使う方がしっくりすると感じられるようになった。ただ年齢を計算するには元号は難しく、一度元号を西暦に直して計算しなければならないので少々面倒である。今年は昭和94年、平成31年と記憶しておき、昭和40年生まれの人であれば誕生日に94-40で50歳、平成5年生まれの人なら誕生日で31-5で26歳ということになる。令和2年になれば、昭和95年、平成32年ということになる。当院ではさすがに「大正」生まれの人は来られないので「昭和」「平成」だけ覚えて置けばいいけれど。

「尿管結石」体験記

令和元年5月3日
大型連休の4月28日から、次女が住むことになった松本へ出発、家に2泊して長野に1泊、金沢に1拍することにしていた。家に着いて軽食直後から胃部不快感あり徐々に増悪、背部痛も起き耐え切れず当番医を受診、原因がはっきりせず夜間救急病院を確かめて帰宅した。横になったが痛みに耐えきれず、聞いていた「あいざわ病院」を受診した。ここはスピードスケートの小平奈緒選手をバックアップしている病院で、松本市内で3次救急を受けている地元で頼りになる病院だそうである。医師・スタッフ共に丁寧な対応で、CT,血液検査等スムーズに行い、結果待ちの間も次々に患者さんが来てまさにERの様相を呈していた。院内トリアージも行われているので、重症患者が待たされることもないようだ。
待つ間も痛みは一向に治まらず、「なんでもいいから痛みを取ってくれ」と叫びたくなっていた。待つこと暫しようやく呼ばれ「尿管結石」の診断を聞く。CTには5㎜ぐらいの石がはっきりと写っており尿管下部まで下りていた。あと少しで自然に膀胱まで下りるだろうからそれまで痛み止めで様子を見ることに。帰りの途中、突然背部痛が薄らいできた。まさにこの病気の経過通りで、なぜ初めからこれを疑わなかったのか恥ずかしい限りである。尤も当番医の内科のDr.も疑わなかったので典型例ではないのだろう。
翌日からは完全回復、スケジュール通りに旅ができたのは幸運だった。

日本の人口はどうなる?

平成31年4月26日
平成という年号を使うのもあとわずかになった。激動の昭和、じり貧の平成、さて令和はどうなるのだろう。確実なことは人口が減ることに歯止めが効かないことである。
厚労省は平成30年12月21日付で平成30年人口動態(推計値)を発表した。対象は日本で出生した日本人であるが出生は92万1000人で前年より2万5000人減少、死亡は136万9000人で前年より2万9000人増加した。自然増減数は44万8000人減で前年より更に5万4000人減少、離婚件数は59万組で前年より1万7000組減少だった。
平成28年に出生数が100万人を切り、婚姻数も減少を続けている。婚姻数は5年で7万1000組減り、出生数は10万9000人減っている。
毎年50万人近くの人口が減っているうえに結婚が減り離婚が増えれば人口減少はいっそうすすむ。冷静に考えれば我が国の将来は非常に厳しい。それでもこの流れを変えることは難しいのだろう。一つの国の興亡は人間の一生に似て、なるようにしかならないのだろうか。ゴールデンウイークを前にして、暗い話である。

懲りない日々

平成31年4月19日
この季節になるといつも胃の具合が今一になって、アルコールを控えるようになる。何かの会合でつい飲み過ぎてしまって普段なら何日か控えれば回復するのに、飲む機会が増えると飲んでしまって回復に時間がかかるようになる。今までに何度も繰り返しているのに今また同じになっている。春になると桜も咲いて気分が浮かれてつい飲み過ぎてしまうのである。毎度懲りないことである。
胃の具合が今一の時の定番は、昼食をうどんにすることである。いつも利用しているのが「讃岐屋」で、カレーうどん・特えび天うどん・天ざるうどんのどれかを食べる。「太閤うどん」にも行くが、ここではカルボナーラうどんしか食べないので調子が悪い時には行かない。ちなみにこれはカルボナーラとうどんのコラボでしっかり旨い。ここ10年ぐらい、だいたい年に1~2回は同じことをくりかえしている。元来、胃が悪くなったことはなかったのにこうなるのはアルコールのせいだと思うが、食事をおいしくするために欠かせないのもアルコールである。困ったものだ。

枝雀十八番

平成31年4月12日
最近、しばらく遠ざかっていた桂枝雀の落語にはまっている。前にはまった時にそろえたDVD、CDがごっそりあるが、その中で表題の9枚組のDVDをあらためて見ていると実に面白い。これは枝雀の人気が絶頂を迎える頃の映像で、18話の落語を収録していて他のCDとかぶる内容もあるのだけれどユニークなのは、落語作家の小佐田定雄氏が枝雀の弟子と共に映像を見ながらおしゃべりしているバージョンがあることだ。小佐田氏はずっと上方落語に寄り添って生きてきた人で、枝雀のファンであり新作落語を提供したりで深くかかわってきただけに、弟子と共にいろいろなエピソードを紹介しているのが面白く、枝雀がいっそう身近に感じられる。
桂枝雀の落語のCD・DVDが氏の死後20年以上経つのにいまだに売れ続けているのは、すごいことである。上方古典落語を極めた氏の話芸は他の追随を許さないほどで、何度聞いても隅々まで気を配って作り上げた話には飽きが来ない。晩年近くになると一層凄みを増していて、鬱病さえなければ今も我々を楽しませてくれているに違いない。残念である。

「いらない保険」

平成31年4月4日
表題はオフィスバトン「保険相談室」代表の後田亨氏と長浜バイオ大学教授の永田宏氏の共著で、生命保険・健康保険・貯蓄保険などについてこれらの保険が必要なのか、契約者が損をしていないかなどを解説している。生命保険は子供が小さい頃や家のローンが残っているときには必要だが、その心配がなくなれば必要ないものがほとんであることが結論であるが、保険会社が薦める他の保険についても詳しく述べている。
これらの内容は、生命保険に関して自分が思っていたこととほぼ同じだった。著者の後田氏は日本生命で営業職を10年勤めた経験もあり説得力のある内容であった。生命保険は特約の付かない掛け捨てが良い、最強の医療保険は「健康保険」である、貯蓄・運用目的の保険はいらない、介護保険に勝る現実的方策、など不安をあおって売り上げを伸ばしている現在の保険業界への対処法をわかりやすく解説している。不安をあおるのは現代の医療と同じ部分があり、がん検診や健康診断などはまさにそうである。がんの死亡数はほとんど変わっていないのに検査したために発見が増えているのが男性では前立腺がん、女性では乳がんと子宮がんである。多く見つかるのなら死亡数が減るべきなのに変わらないとはどういうことか。医療の世界を念頭におきながら興味深く読ませてもらった。

花見日和

平成31年3月29日
すっかり暖かくなって桜も咲き始めた。昨日は午後から休診なので平和公園を望む元安川河畔のベンチでビール、弁当。桜は2~3部咲きといったところだろうか、日差しも頃合いでじつに気持ちがよかった。ハトが寄ってきたのでつまみにしていた枝豆をやると、どこからともなくいっぱい飛んできてハトだらけになった。これと同じ風景があったことを思い出して後で調べてみると、5年前の診療日誌に場所はやや違うが同じようなことを書いている。今回はスズメの方が多く集まってきた。ハトよりもエサを取るスピードが速い。だから生き残ってきたのだと納得。さらに白鷺が一羽降りてきて目の前をゆっくり歩いてしばらくたたずんでいた。通りがかった外国人観光客が喜んで写真を撮っていたが、のんびりした平和な風景である。このような気持ちのいい時間を過ごすことができたのは、本当にありがたいことだと思った次第である。

なつかしいもの

平成31年3月22日(金)
学生時代に一時所属していた男声合唱団で歌った「子どものうた」をふと思い出して、そのときの楽譜を探してみた。当時は謄写版で自分たちで刷って使ったもので、押入れの奥の段ボール箱に入れていたはずだと探してみた。小学生たちが書いた詩に曲を付けたもので、子供たちの本音が見えて定期演奏会の面白いステージになった。たとえば「たいそう」は「たいそうのじかん せんせいがシャツいちまいで むねをはりなさいというちゃった シャツにおちちがうつった ふくれたうえにもうひとつ ちっちゃこいまるこいもんがついとった」これをラジオ体操第1のピアノ演奏に合わせて歌うのである。「お金持ちのお客さん」では「お金持ちのお客さんがきやはった お母ちゃんはとっきゅうでええふくに着がえて そうでございますねえとすましたはる お母ちゃん京都べん使いよし むりして東京べんつこたらおかしいわ お客さんも京都の人やんか」他にもたくさんなつかしい楽譜がでてきて当時のことを思い出して、これらを捨てなくてよかったと思った次第である。

「産前産後のメンタルケア」

平成31年3月15日
医療法人愛育会福田病院、河上祥一院長による表題の講演があった。福田病院は熊本市にあるお産を中心にした病院で、100年以上の歴史を誇る。平成30年のお産の数は3900を超えているという。中四国で一番多い施設でも2000ぐらいだろうから、おそらく日本で一番多い病院ではないだろうか。産婦人科の医師は18人、当直の翌日は休めるようにしているそうである。外来は6診まであり、大勢の妊婦さんの診察ができるようにしている。外国にはこのようなメガ施設がたくさんあるけれど、我が国では多いところでも1000ぐらいで、個人の施設ではもっと少ないところも多いがその分、それぞれきめ細やかな対応をしている。ちょうど大きなホテルと旅館のようなものだろうか。
産前産後のメンタルケアであるが、我が国では妊産婦死亡の第1位は自殺である。それだけ産科医療が成熟してきたわけである。つまり、お産が原因で亡くなるのは全国で年間50人ぐらいまでで自殺の方が多くなったのである。つい100年ぐらい前までは300お産があれば1人の母体死亡があったことを思えば隔世の感がある。世界の中ではまだそのような国もあると聞くが、我が国はメンタルケアが最も大切になるほど産科医療は良くなっているということである。その分、産科医に重い責任がかかり、昼夜の別なく働くストレスから、産科志望の医師が減っている現状がある。妊産婦だけでなく産科医のメンタルケアも必要ではなかろうか。

「孤独の価値」

平成31年3月8日
表題は工学博士で小説家の森博嗣氏の著書である。最近、本屋で立ち読みをしていて見つけた(2014年刊)。氏は名古屋大学で建築の研究と教育をする傍ら、96年「すべてがFになる」で作家デビュー、その後は着実に固定ファンを増やして2010年にはAmazon10周年記念の行事、国内でよく売れた作家20人の中に入りAmazon殿堂入りしている。現在は大学も辞めて山間の広い土地を購入して、趣味三昧の生活を送っているという。
ほぼ2年半電車には乗っていない、毎日ほとんどの時間一人で遊んでいる、家には家族も住んでいるが顔を合わせるのは食事の時と犬の散歩に出かける時ぐらい。仕事で人に会うこともめったになく、ほぼメールで済ませる。買い物は95%は通信販売、電話が鳴ってもでない(ほぼ間違い電話だから)、手紙も来ない(みんな住所を知らない)。年に数回は友人が訪ねてくるが、それはそれで楽しい。一人でする活動は、自分の庭で(林もある広大な庭でレールを敷いて、模型列車を走らせている)工事をしたり、ガレージで工作したり、書斎で読書をしたりで、日曜もなければ盆や正月もない。外泊、外食もせず徹夜もしない。
氏は時間をかけてこのような生活ができるようになり毎日楽しく過ごしているが、周りからは孤独にみえるだろう。でも実際は豊かな満足した生活を送っていることを、「絆」にとらわれてかえって不自由になっている人々に説いているユニークな著書である。