令和3年12月22日
今年も年賀状を書く時期になった。例年、クリスマスまでには書き終えたいと思うのだが、生来の悪筆もありなかなか作業が進まない。最近、プリンターを変えたので宛先の印刷がうまくいくか心配だったが、案の定うまくいかない。散々試行錯誤した結果、印刷できるようにはなったが昨年の診療日誌を見ると、筆ぐるめに入れていた住所が消えていたという記述が。年に一回しか使わないので細かいことをほぼ忘れているのだろう。
毎年思うのだが、会うことはもうないと思われる元職場の先輩や同僚、もうやめてもいいのではと思う人などに対して、だらだらと出し続けるのはお互いによくないので止めようとする。でも相手からいただくと返信するとまた翌年は出さないと失礼に当たると思って出す。おそらく相手も同じようになっているのではないだろうか。来年は「これで最後にします」のメッセージを入れた賀状をつくろうかと思っている。
年賀状
「カリ・モーラ」
令和3年12月16日
表題は「羊たちの沈黙」「ハンニバル」で一世を風靡した作家、トマス・ハリスの13年ぶりの作品である。訳者はもちろん高見浩氏である。ハンニバル・レクターという怪物を生み出した作者が今度はどんな作品を世に送り出すのか、世界中のファンが注目していたと思われる。自分もその一人であった。「ハンニバル」では主人公のハンニバルとクラリス・スターリングが最後には結ばれることで、心地よい読後感があった。
今度の作品は、コロンビアからアメリカに移住し、将来獣医になることを夢見て、いまは傷ついた野鳥などの保護に情熱を傾ける25歳のカリ・モーラが主人公で、子供好きの優しい心映えの女性だが、ひとたび悪党どもに挑まれると、一歩も引かずに手慣れたガンさばきで窮地を脱してゆく、という話である。アメリカの暗黒社会の描写が巧みで、思わず引き込まれてしまう。惜しむらくはヒロインにふさわしいヒーローがいればいいのにと思ったが、これがシリーズ化するなら登場するかもしれない。ただ、作者のトマス・ハリスは現在81歳、寡作であることを考えると新作は無理かもしれない。
近水園(おみずえん)
令和3年12月8日
週刊新潮のグラビアに「その後の織田家・豊臣家の知られざる名園」と称して岡山県の備中足守にある近水園(おみずえん)を紹介していたので行ってみた。
大坂夏の陣で淀君と秀頼は自害し、豊臣家は根絶やしになったと思えるが、秀吉の正妻、寧々の実家の木下家は徳川の世になっても豊臣姓を名乗ることを許されていた。寧々の兄、家定を藩祖とする木下家が支配していたのが備中足守2万5千石、その地に6代目藩主、木下きん定が18世紀に幕府の命を受けて京都御所の普請を行った際に、使われずに残った材木を持ち帰って造ったとされている。足守川の水を引いて池泉回遊式の園池を設け、池内に蓬莱島を兼ねた鶴島・亀島を浮かせ、御殿山(宮路山)を背景に、池のほとりには数寄屋造りの吟風閣が建ち、風情のある大名庭園である。グラビアの写真は紅葉がきれいなので期待して行ったけれど、残念ながらその季節は過ぎていた。近くに旧足守藩侍屋敷遺構もあり、歴史を感じさせられる一日になった。
師走
令和3年12月1日
今日から師走、月日の経つのはなんと早いことだろう。「光陰矢の如し」とはまさに言えて妙である。漢詩にはこのことに類した言葉が沢山あるようだが、洋の東西を問わずヒトの感覚は変わらないのだろう。
人生の残り時間が多いほど時間が経つのが遅く感じられ、残り時間が少なくなるほど早く感じられる、ということだと思う。自分の残り時間がどれくらいなのかを知りたければ、月日の経つ速さの感覚から推し量ればいいのではないだろうか。それが正しいなら、自分はあまり長くないことになる。
立川談志没後10年で発売された「作家と家元」に石原慎太郎氏との対談集、交流の様子が描かれているが、追悼文「さらば立川談志、心の友よ」に、死の直前に息遣いしかできなくなった談志に石原氏が電話の受話器を向けてくれるように家人に頼んで一方的にしゃべり、言葉はなくても二人だけで会話できたと思った、とあったが感動的である。こうして時代は過ぎてゆくのだろう。
人出が増えた
令和3年11月24日
毎年この季節は祝日も多く、国内旅行するのが常であったが、この2年ほとんど出かけていない。昨日の京都の人出は外国人なしでコロナ前ぐらい多かったそうだが、県内も人出が戻っているようだ。車で通過しただけだが、宮島も駐車場は一杯で「うえの」前も多くの人があなご弁当を求めていた。岩国の吉香公園に行ってみたが、駐車場が一杯であきらめた。以前は結構すいていたのでやはり人出が戻ってきたのだろう。じつにいいことである。
コロナ第5波の時の緊急事態宣言は、オリンピックに備えて、まだコロナ感染者が増える前から発令したにもかかわらず、ぐんぐん増えていって自然に減っていった。緊急事態宣言は何の効果もなかったということである。分科会の尾身会長をはじめ有識者たちは「なぜそうなったのかわからない」と言って、何の反省もしていないように見える。緊急事態宣言と禁酒令によってどれだけの人たちが職を失い、経済的犠牲を被ったかを考えると、責任を取るべきである。もちろんマスコミも同罪である。早急にコロナを5類感染症にすべきである。
WEB講演会
令和3年11月17日
「女性外陰部における潰瘍性および腫瘍性病変の鑑別ー性ヘルペスと梅毒を中心にー」と題した愛知医科大学の野口靖之准教授のWEB講演があった。例年なら県医師会館に行って講演を聞くところであるが、講演の出席の可否を問う時期がコロナ第5派の最中だったので、WEBになったわけである。ヘルペス感染症はごく普通に見られるが、梅毒は以前はほとんど見たことがなかった。それが最近はずいぶん増えてまれな疾患ではなくなった。でも発見できればペニシリンが効くので治療できる。細菌に抗生物質を投与していくと耐性ができて効かなくなることが多いが、梅毒にはしっかり効くのである。
ヘルペスはウイルス感染症なので、発症して治癒するまでの経過はわかっている。薬は一応あるがあまり効かないけれど、一定の日数が過ぎれば風邪と同じように自然に治る。再発するが2度目以降は数日で自然に治るので、あわてて医療機関を受診しなくてもいい。これらの疾患は開業医が一番診ているだろうなと思った次第である。
久しぶりの弥山
令和3年11月10日
コロナも落ち着き紅葉も始まったので久しぶりに弥山に登った。と言ってもロープウェイを往復利用したのだけれど。場合によっては下山は歩こうかと思っていたが、気力が萎えたのである。何しろ獅子岩から展望台に登るだけで大汗をかくくらいだから、急峻な登山道を降りるのは無理だとあきらめたわけである。それでも紅葉の始まりかけた景色は素晴らしく、展望台からは瀬戸内海の島々が望め、疲れが取れる気がした。楽しみはなんといっても弁当とビールである。炊き込みご飯のおむすびを用意して、セブンでつまみとビール、酒を仕入れて頂上で食べるのは実に気持よく美味しい。弥山に登る最大の楽しみと言ってもいいだろう。以前はふもとからリュックを背負って登ったこともあったが、この時のビールは一番うまかったと思う。
ともあれ久しぶりの弥山、良い休日になった。
「京大おどろきのウイルス講義」
令和3年11月4日
表題は京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授、宮沢孝幸氏の著書である。氏は東大農学部畜産獣医学科で獣医師免許を取得し、大学院で動物由来ウイルスを研究、東大初の飛び級で博士号を取得、一貫してウイルス学の研究を続けている。ウイルス学は学生時代に習ったが、せいぜいヒトに感染するウイルスと予防や治療についてで、本質的なことは理解していなかったが、この本を読むと実にわかりやすくウイルスの由来、生物との関わり合い、歴史などが簡潔に書かれていて目からうろこが何枚も落ちた。近年まれな名著だと思う。
この2年間はコロナで大変だったが、ウイルスについてのこのような本質的な情報を教示されると、政府はこのような人物の意見こそ取り入れるべきで、○○の一つ覚えのような意見しか言わない(言えない)O委員長は解任すべきだったのではないだろうか。マスコミも同罪で、なんちゃって専門家を並べて人々に不安をあおりまくった。氏の著書を読めば、基本的にウイルスは生物発生とともにあり、ウイルスのおかげで人類が生き延びることができたこともあり、簡単には対処できないことがわかる。表層海水1ccに1億のウイルスが含まれているそうだが、あらゆるところにいるウイルスをどうこうできないだろう。
結婚式
令和3年10月27日
秋も深まった日曜日、シェラトンホテルで息子夫婦の結婚式が行われた。このご時世、果たして大丈夫かと思っていたが、幸い第5波がおさまっていたので滞りなく開催できたのはありがたいことだった。すべて息子夫婦(新婦)の企画なので我々は出席するだけでよかった。
初めは身内だけでとも考えていたようだが、やはり友人には祝ってもらいたいということで、コロナ第5波が猛威を振るい始める前に案内状を出したようである。出席できない友人たちもいたようだったが、第5波がおさまり禁酒令も解けていたのは幸いだった。
式の後半には、式場の中央にしつらえたグランドピアノやギター・サックス・ドラムを据えた舞台で、新郎とその仲間がジャズセッションを披露し、新婦と妹さんが本格的な連弾を披露したのは圧巻で、拍手喝采を浴びた。
最後に新郎父親(自分)のあいさつがあるのでアルコールを控えたのは残念だったが、暖かいいい結婚式だった。
ムツゴロウの地球を食べる
令和3年10月20日
表題は畑正憲氏の著作で2011年発売の文春文庫本である。久しぶりに本棚から取り出して読んでみたが、世界中を歩いて様々な食材と食文化を徹底的に調べ、味わい、自分で再現することなどをエッセイ風にさらりと書いている。自分の青春期に畑正憲氏(通称ムツゴロウ)の「われら動物みな兄弟」を読んではまってしまい、以後「ムツゴロウシリーズ」の本は発売と同時にほぼすべて買った。ちょうど自分が20代から30代の頃で、氏の生きざまが実に魅力的で、次はどうするんだろうと目が離せなかった。ヒグマを飼った話「どんべえ物語」「さよならどんべえ」などは何度も読んでそのたびに胸が熱くなったものである。
氏は麻雀が好きで強く、「畑正憲の精密麻雀」「ムツゴロウの麻雀物語」の本もあり、プロの十段位も獲得している。とにかくスケールが大きい人物である。いつのころからか新しい著作も見かけなくなり自分の中でのブームが去ったのだが、ふと手に取った本で当時を思い出したわけである。