だれがこんなバカなことを言うのか

平成16年9月15日(水)
最近産婦人科のメーリングリストで、内診やNSTなど分娩の監視を、医師の責任のもとで看護師や准看護師がすることを禁止される可能性が起こってきたことについての議論がおこなわれている。
法律が制定されて57年にわたって行われてきたことを、厚生労働省の役人がダメだと言ったために起こってきた議論である。よく訓練された看護師であれば、 内診もNSTの報告も問題ないし、助産師でなければならないというわけではないと思う。助産師には助産師でなければできない大切な仕事がある。難しいといえば、心電計のモニターや未熟児のモニターの方がより難しいこともあるのではないか。要は医師の裁量をどこまで認めるかであろう。お上は医師の権限をできるだけ分散させたい、言い換えればおさえたいのであろう。
いずれにせよ何十年にわたって安定して行われてきたことにケチをつけるには、それなりの理由がなければならないが、どうも納得できる説明はないようである。現場を知らないお役人が、頭だけで考えた判断のように思える。

休みに対する気持ちの変化

平成16年9月13日(月)
9月は休みの多い月だ。勤務医時代は休みは貴重で、休みの日は産直でなければ必ずどこかへ遊びに出かけていた。家にじっとしているのがもったいなくて、ゴルフに行ったり、家族でどこかに行ったりしていた。
ちなみに産直とは、産科の日直当直のことで、その日は24時間待機していることである。朝病棟で回診などを行い、お産が入っていれば状態を診て指示を出す。もちろんお産になれば赤ちゃんをとりあげるし、必要があれば緊急帝王切開も行う。夜中でも容赦なく呼び出される。全然寝てなくても翌日はいつもと同じ勤務である。これが2~3日ごとにある。勤務していた病院はお産が多かったので、しょっちゅう起こされていた。産科医の宿命とはいえ、さすがに40代になると起きるのがしんどくなり、このまま続けていくことに不安を感じ始めていたのである。
その後縁あって開業してからは、夜起こされることがなくなって生き返った心地であるが、反面、休日が以前のように待ち焦がれるものではなくなった。ぜいたくな話であるが、もう休みかと思ってしまう。あのしんどかった日々は忘却の彼方となっている。ありがたいことである。

検査結果を尋ねる電話

平成16年9月11日(土)
当院では今まで検査の結果を電話で答えるようにしていた。子宮がん検診の結果や性病検査の結果なども電話で答えてきた。結果を聞くためだけにわざわざ来院するのは時間とお金(交通費など)のムダだと思っていたからだ。患者さんにとって少しでも負担が少ない方が良いと思ってやってきたが、最近その考えがぐらついてきた。
というのは、電話はいつでもかかってくるが、間違いがあってはいけないので結果はすべて私が直接答えるようにしているので、診察がしばしば中断される。これは今話をしている患者さんにとっては不快であろう。では時間を決めて電話を受けたらといってもそんな都合のいい時間はない。結局時間を問わずかかってく る電話に、あせりながら対応せざるを得ないのである。ことここに至っては、来院して結果を伝えることを原則として、遠くの人とかどうしても来れない人だけ電話にしたらどうだろうかと考えている。

かけす

平成16年9月8日(水)
台風一過、昨日の風雨がうそのようなおだやかな日となった。もうすっかり秋だ。尾崎喜八という詩人の作品に「かけす」という詩があるが、その一節に「山国の空のあんな高いところを/二羽三羽 五羽六羽と/かけすの鳥のとんでいくのがじつに秋だ」というくだりがあるが、窓から空を見上げていると思わずその詩を口ずさみたくなる。
このままおだやかな日が続いてくれることを願って一日を終えよう。

男声合唱曲はすばらしい

平成16年9月6日(月)
誰でも好きな音楽があり、何回聞いても飽きない曲があると思うが、私の場合は飽きない音楽の一つに男声合唱曲がある。合唱曲などどこが面白いのかと思っていたのだが、学生時代にはまってしまった。当時(今でも)最高のレベルであった慶応大学ワグネルソサエティー、関西学院グリークラブなどのファンでもあった。その後しばらく聞く機会がなかったのが、40代になってから無性に聞きたくなり、これらの合唱団のCDを手に入れてからは何度聞いても飽きない。日本のものなら多田武彦の作品がいい。外国のものならメロディーの美しいものが好きであるが、黒人霊歌やロシア民謡も聞いていて飽きが来ない。ロバートショウ合唱団は40年ぐらい前に、ほんの短期間だけ結成され、録音が少し残っているだけであるがまさに最高の合唱団だったと思う。今でもCDが売れつづけている。惜しむらくはもっとたくさんの曲を残しておいて欲しかったことである。
これらの曲を聞く度に、こんないいものに出会えてよかったと思う。

産むか産まざるか

平成16年9月3日(金)
妊娠中絶希望のCさんが、予定中止を言ってきた。実は2週間前にも中絶予定を中止して生むことになっていたのだが、迷ったあげく再度中絶希望になったのだ。非常に迷っている様子が見られ、私としては「生むにせよやめるにせよ、あなたの思う方に協力します。迷っているのはよくわかりますが決めるのはあなたです。できるだけ後悔しないようにしてください」と言っておいたら「生むことにしました」と連絡してきた。でもまだ少し迷っているように感じた。
以前にも書いたが、これらのことは命にかかわる本能的な問題で、深い。私は単純に生むことがすべて正しいとは思っていないが、生物学的には生むことが理にかなっていると思う。問題は社会的、情緒的な部分である。一人一人状況が違うので正解などないと思う。どちらを選んでも後悔するのなら、生物学的に理にかなった後悔の方がいいのではないだろうか。とはいえ、悩んでいるのを見るのはこちらもつらい。

滲出性中耳炎

平成16年9月1日(水)
ここのところ飲みの機会が多く、アルコールに弱いくせに好きなので結局遅くまで飲んでしまい、いささか疲れ気味である。今年は広島に台風が上陸した2回と も飲みに出ていた。そんな日はお客さんは少ないと思うだろうが、結構人が出ている。こういう遊びのパワーはいつの世も強いと納得。
当クリニックは今月の10日で丸7年になる。あっという間だったような気がするが、ずいぶん色々なことを考えさせられた日々でもあった。何はともあれ、また新たな気持ちで診療して行こうと思っている。
耳の調子が悪いので同じビルの耳鼻科で診てもらったら、滲出性中耳炎で鼓膜切開が必要とのこと。子供ではよくある病気だがいい年をしたオッサンがなるとは、いささか恥ずかしいが仕方がない。きっとアルコールのせいだろうと反省している。8年目の始まりとしてはいささか情けないがいいこともあるだろう。

夏の終わりに

平成16年8月30日(月)
とうとうオリンピックも終わった。8月ももう終わろうとしている。台風も近づき、一気に秋の気配が濃くなってきた。まさに「祭りのあと」である。
昔から夏の終わりには物悲しさを感じていたが、こんな風に感じるのは自分だけではないようで、洋の東西を問わず詩や小説などにたくさんでてくる。中には祭りのあとのさびしさが嫌いなあまり、「祭りのあと」などは存在せず、祭りが終わった瞬間につぎの祭りに向けて準備が始まるので「祭りのまえ」しかないのだとこじつける著名人もいたが、やはり感覚的にぴったりするのは「祭りのあと」であり、宴が終わった満足感の混じったさびしさであろう。そう思うのはやはり人間が死すべきものだからだ。人生で例えると祭りは夏の盛り、青春期からの15~20年ぐらいで、あとは秋、冬となっていく。人生は後戻りできない。季節は繰り返すが、人生は盛の夏が過ぎれば秋、冬と続き二度と春に戻ることはないのだ。むろん、豊饒の秋は実りの季節だし、寒い冬でもそれなりに風情があるが青春の夏にはかなわないだろう。
こういうことを考えるのも、夏が終わろうとしているからだろうか。

老々介護

平成16年8月27日(金)
日差しもだいぶ和らいできた。暑い夏は我々はまだいいが、高齢になるとこたえると思う。亡くなった祖母はいつも「今年の夏は過ごせるかなあ」と言っていた。田舎の両親も元気だったのだが、最近母親が腰をうってあまり動けなくなり老々介護の状態である。今はまだ父親は元気なのだが、母親の介護に疲れてしまっている。今度の日曜に様子を見に帰る予定であったが、施設で何日間か見てもらうということで、今回は帰るなとのこと。いずれにせよ心配だ。このままでいいわけがない。兄達と話し合って最善の方法を考えなければ。

いい本だと思ったらすぐに買う

平成16年8月25日(水)
あの時あの本を買っておけばよかったと思うことがある。本が発売されている時はいつでも買えると思っているうちに、いつのまにか絶版となりいくら探しても入手できなくなるのだ。
欲しくなるのは自分の中で再評価された本であり、発売当時はそれほどいいと思わなかったのが次第に読みたくなって探すが、もうないのである。たとえば、1980年代 に学習研究社から出版された「山本七平対話集」。全部で10巻以上あったと思うのだが、1巻だけ買ってあとはいつでも買えると思っているうちに絶版となっ た。今読んでも当時の旬の人達との対話が面白く、ひとかどの人物は時代を超えて素晴らしいと思う反面、後になって評価に値しないことがわかった人物もいて面白い。
半村良の「太陽の世界」も確か18巻まで発売ごとに第1刷本を買っていたのだが、やや冗長になった感じがありやめていたらいつのまにか絶版になっていた。もっとも調べてみたら18巻までしかなく、未完のままだそうなのでいつかは続きが出るだろうと思っていたら、作者が亡くなってしまった。もともとストー リーテラーとしてすばらしい作品を多く書いており、「太陽の世界」は全100巻の構想であったというから期待していたのだが。
1970年頃に「サラリーマン丸儲け自伝」を書いた岡部寛之の本も、見当たらない。人生を徹底的に合理的に生きて、株でひと財産つくり株指南の本など多くの著書があったがどうなったのだろう。「70歳を過ぎたらヨーロッパなどに放浪の旅に出て、そのまま野垂れ死にするつもりである」と書いていたからそうなっているのかもしれない。なにしろ生きていれば90近いはずである。
他にも欲しかった本がなくなった経験から、今は欲しいと思ったらできるだけ躊躇せずに買うようにしている。おかげで本の置き場所に苦労する。