低用量ピルの普及

令和4年9月8日
日本で低用量ピルが解禁されて20数年たった。初めは普及はゆっくりだったが、今では健康保険のピルも認められてそこそこ飲まれるようになった。とはいえ欧米に比べるとまだまだわずかなものである。
低用量ピルを初めて使ったのは今から30年以上前で、岡山市民病院に勤務しているときにピルの治験を担当したからである。希望者を募って同意を得てピルを1年間飲んでもらい、月経量の変化や生理痛の改善、副作用の有無などを調べたところ、全例副作用もなく生理痛は緩和し、生理の量も減り、避妊効果も万全だった。全国で行った治験をまとめた結果、我が国でも欧米と同じくピルが承認されるはずだった。子宮内膜症にも有効なことがわかっていたので早く患者さんに使ってあげたかった。なのによくわからない理由で承認が棚上げになり10年間据え置かれた。
今ではピルは普通に処方しているが10年の遅れは大きく、我が国でのホルモンに対する怖いと思う感覚からか、普及率はまだまだの感がある。

最近の昼食

令和4年9月2日
このところ昼の食事の場所が変わってきている。コロナ復帰後体重がほぼ元に戻ってしまったこともあり、カロリーを控えようとしていることと、水曜日と土曜日は午後休診にしたのでその日は近くの店に行かなくなったからである。
25年通っている近くて便利な「讃岐屋」は別として最近よく行くのは数年前に近所にできた「浜けん食堂」と「太閤うどん」である。浜けん食堂は昼は食堂、夜は居酒屋になるが刺身定食が気に入っている。産地直送の新鮮な刺身が4種類、小鉢、あらのみそ汁、山かけの小鉢がついている。ごはんとみそ汁はお替り自由らしいがこれでちょうどいい。太閤うどんは定番のカルボナーラうどんと新作のうどんが楽しみで毎週通っている。あとは時々「平和園」で焼き飯、数か月に一度くらい「天甲」であなご丼、「一楽章」でカレー、「こけもも」でビーフカツ定食、たまに「とくみ鮨」で鮨を食べるくらいである。毎週通っていた「菊屋」の美味しいとんかつもしばらく食べていない。
水曜日の昼は「宮島達磨」の鴨ざるか「さかなや」のパスタセットで定番になっている。それにしても肥満が気になるのは困ったことである。

「そばの旅」

令和4年8月26日
表題はそば職人の高橋邦弘氏の著書で、氏のそばを広めてきた軌跡が描かれている。サラリーマンだった氏がそばの魅力に取りつかれ、そば職人・片倉氏のもとで修業して自分の店「翁」を東京・目白に開いて繁盛していたが、自家栽培・製粉にこだわって山梨県に店を移し人気を博し、「そば会」も頼まれればどこにでも行ってそばを打った。
広島・豊平の町長に請われて山梨の店を弟子に譲って豊平に「雪花山房」を作り土日のみ開店、他県からも多くの人が来店した。実はこのときに私も行くようになってそのおいしさにとりつかれ何回いったことだろうか、いつもメニューは「ざるそば」しかなかったが背筋が伸びるような絶妙のそばとそばつゆだった。平日は全国各地にそばの普及、「そば会」の開催、クルーズ船飛鳥でのそば打ち、洞爺湖サミットでのそば打ち、スペイン・イギリスでのそば打ちなど世界規模の活躍をしている。たくさんの弟子を育てていて、そのおかげで広島のそばのレベルが向上したし、豊平のそばも有名になった。
その後大分の豊後高田市長に請われて移住し、杵築「達磨」を開店しているがここは会員制・予約制で週末と祝日、連休のみ開いている。会員でなくてもそばがあれば出して、気に入ってもらえれば会員になってもらうという。それにしても「そば」でこれだけのことを成し遂げたのは素晴らしいことで、まさに現代の名工・国民栄誉賞にふさわしい人ではないだろうか。

追悼

令和4年8月19日
「患者よ、がんと闘うな」で一世を風靡した医師、近藤誠氏が虚血性心疾患で通勤中のタクシーの中で亡くなられた。当時感じていたがんの治療についての疑問がこの本によって氷解し、同時にがんの本質もぼんやりとではあるが見えてきたように思えた。以来、氏の動向に注意を払っていたが、現代の医療体制の中での氏の発言は総スカンを食らい、亡くなられた今でも好意的な発言は少ない。
氏の著書や発言を追っていると、すべては患者さんのためにとの思いが伝わってくる。慶応大学医学部を首席で卒業し放射線科を専攻、講師になったのも一番早く、海外の論文も読み込んで少しでも良くなる方法を取り入れていた。乳がんの治療についても拡大手術が主流だった日本を縮小手術に導いた。「成人病の真実」では、老化による変化はどうすることもできない、検査や治療は寿命を延ばせないことを海外のデータをもとに解説した。症状がなければ検査は不要で、薬も本当に必要かを十分考えたうえで使うべきだと説いた。
氏は医学界からは孤立したがその後も同じことを著書を通じて一般に広めていった。患者さんのためになるならそれでもいい、との覚悟のもとに一貫してぶれずに生きられた。その意志の強さ・勇気に尊敬の念を禁じ得ない。どうか安らかにお眠りください。 合掌

「リセット発想術」

令和4年8月12日
表題は「くまモン」の生みの親でもある放送作家・脚本家の小山薫堂氏の著作である。元は中学生に読ませるための発想術の本として綴ったもので、タイトルは「じぶんリセットーつまらない大人にならないために」である。氏はBSで「東京会議」という番組をやっていて、いつも既存の考えにとらわれない発想で新しいこと、同じことでも発想を変えて取り組んでみるなど、その自由な考え方にいつも感心している。
氏の考え方の根底には「相手が喜んでくれるようにする」があり、これは小学生のころから変わらないようである。それがいろんなことを進める原動力になっていて、「料理の鉄人」「世界遺産」映画「おくりびと」を作ったり、京都下鴨茶寮主人、京都芸術大学副学長など八面六臂の活躍をしている。2,025年の大阪万博ではテーマ事業プロデューサーを務めるという。
本書は氏がどのような考え方で物事に対処してきたのか、行き詰まり満杯になったら怖じ気ないで考え方をリセットしてきたかを説いている。自分が中学生に戻ったような気持ちで読むといっそう面白く感じられ、さすがだと思う。

新型コロナ第7波

令和4年8月5日
新型コロナ感染が落ち着いてきたと思ったらここにきて過去最大の感染が起きている。第6波が終わった時点で2類感染症扱いを止めて格下げしておけば、今のような混乱は起きなかったと思う。症状の軽い人がほとんどなので、症状の重い人だけを入院加療して、それ以外の感染者は症状がなくなれば職場復帰すればいいのだ。学校も同じ、従来の風邪やインフルエンザの扱いでいいと思う。そもそもかぜのようなウイルス感染を防ぐことなどできない。人類は過去に何度も経験してきたではないか。対症療法をして嵐の過ぎるのを待つだけである。過去におこなった飲食店の時間制限だとかアルコール禁止だとか、「正気か?」と思われるような愚策を大真面目にやってきた責任はだれがとるのか。
早く2類感染症の扱いを止めて普通の風邪にしないとこの国は終わるのではないか。

生理日の移動

令和4年7月28日
生理日の移動を希望する患者さんは多い。生理は排卵2週間後に始まるのでその3日前から中用量のピル(プラノバール)を1日1錠、延ばしたい日まで内服すればいい。問題なのは予測生理日が正しいかどうかである。排卵日は生理開始から14日目の人が比較的多いが遅れることもあるし早くなることもある。生理の始まる1~2日前から黄体ホルモンが減少し、子宮内膜の血管が破綻しはじめるので、そうなってからではピルを内服しても生理は始まってしまうのである。だから早めに(5~7日めから)飲み始めるといいが、それでは長く飲まなければならなくなってしまう。
中用量ピルは副作用(嘔気など)があったので低用量ピルがつくられたのである。問題は低用量ピルで生理をコントロールするためには、生理中から飲み始めなければならないことである。だから少し早めに受診して両方の利点・欠点を聞いて選べばいいというわけである。

ふかほり邸

令和4年7月21日
連休を利用して久留米の天然田園温泉「ふかほり邸」に行った。7月1日放送の「爆買いスター恩返し」を偶然見ていたら、元チェッカーズの藤井フミヤが故郷の久留米で爆買い恩返しをするということで、泊まった宿「ふかほり邸」を案内していた。敷地4千坪の庄屋さんの家を改造して5棟の部屋を点在させ、敷地内に温泉を掘り当てて温泉旅館としたという。
すぐさま電話して予約したらラッキーなことに部屋が取れた。そんなわけでのんびり温泉につかり旨い料理を堪能できた。まことにありがたいことで、コロナで入院した時から考えると夢のようである。ちょうど九州国立博物館では琉球王国の特別展が始まっていて興味深く観覧することもできた。残念だったのは昼過ぎに小倉の「田舎庵」へうなぎを食べに行ったら店の前にも人が並んでいて1~2時間待ちだというので退散。この店は九州へ来た時には立ち寄ってうなぎを食べることが多かったが、最近は人気がいっそう出てきたようだ。
ともあれゆっくり骨休めができた小旅行だった。

「私」という男の生涯

令和4年7月15日
表題は今年2月に亡くなった石原慎太郎氏の著書で、本人と夫人の死後に出版するように決めていたという。内容は生い立ちから両親のこと、弟裕次郎氏との関わり合い、思春期から大学時代、芥川賞受賞のいきさつ、結婚のこと、世に出てからの様々なこと、恋愛のことも包み隠さず(?)書いている。だから夫人が亡くなった後に出版することにしていたのだろう。それにしても作家、国会議員、東京都知事など実にパワフルな人生を歩んだスケールの大きい人物が晩年、その胸の内を置手紙のようにさらけ出している著書は実に興味深く、同じことを何度も繰り返している部分はあるが、面白かった。
石原氏の著書は高校時代から注目していて、特にヨットで太平洋を横断するレースを描いた「星と舵」は、大学に入ってすぐにヨット部に入る動機になった、尤もすぐに退部したが。長編小説「亀裂」も好きで思い出したころに読み返して今も手元に置いている。平凡パンチに連載していた「野蛮人のネクタイ」も当時の若者の風俗の先端を描いて面白く、野坂昭如氏や三島由紀夫氏との対談集なども含めて氏の著書はほとんど読んでいると思う。氏ほど日本を愛し公平無私に国のためになることをした人はなかなかいないだろう。文学で、行動で我々を楽しませてくれた氏に感謝である。 合掌

がんばれ「産経新聞」

令和4年7月7日
子供時代は家で購読していたのは読売新聞だったが、一家を構えてからは産経新聞を購読している。高校大学時代は「日中友好」の掛け声が盛んで、とくに朝日新聞などは贖罪意識にかられたのか中国へのおもねりなのか「中国の旅」と称した大ぼらを吹いた。当時はそれを信じて、日本軍は悪いことばかりしていたのだと思っていたが、正しい知識を身に着けるようになって、戦後GHQの広報のように使われた新聞、マスコミのプロパガンダだと知った。戦時中は戦争を煽りまくった新聞が、戦後「あれは一握りの軍人が悪かったのだ」といって知らん顔をして生き延びたのは、なんだかなと思ったものだ。その中で産経新聞は中国に対してもおもねらず、唯一中国に特派員をおけなかった。かの国は本当のことを報道する産経新聞が煙たかったのだろう。今でも尖閣諸島に中国の船が領海侵犯していることを、産経新聞はきちんと報道している。国益のために正しい報道を心がけている産経新聞は貴重である。
ところが新聞自体が斜陽で、発行部数が減っているせいか紙面広告が増えている。最近では3分の1は広告になっている。大丈夫か。産経新聞のようなクオリティーの高い新聞は長く生き残ってもらいたいものである。