50歳以降は余生?

平成16年11月10日(水)
忘れていたが、今日は私の誕生日である。診察中に日付印を見て思い出した。またひとつ年を取ってしまった。10代は早く大人になりたくて、20代は年のことなど考えもせず、30代はたまに年のことを思い出し、40代は年を取ったことを自覚するけれど猛烈に抵抗し、50になればもうあきらめの境地に達するのである。
つい100年前までは「人生わずか50年」といわれていたことを思えば、50歳以降はもう余生である。長く生きればいいというものではなく、短くてもそれなりに充実していればいい。もちろん長く充実しているのがいいのだろうが、それはぜいたくというものだ。寿命は自分で決められるものではないので、一日一日を大切にしていくしかないのだろう。

深井克則のジャズライブ

平成16年11月8日(月)
今日は暑からず寒からずいい日和である。土曜日には深井克則のジャズライブがあり、がらにもなく聴きに行ったがなかなかよかった。また機会があれば聴きに行こうと思う。なにしろ男声合唱からクラシック、演歌、フォーク(古い!)、中島みゆき、ジャズ、尺八に至るまで音楽の好みにまるで節操がないのである。 節操はないが好みは年齢と共に徐々に変わってくるようである。
最近は休憩時間はジャズか尺八ばかり聴いている。今のところこの組み合わせが一番である。

嚢中の錐

平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。

藤城誠治のレフグラフ

平成16年11月1日(月)
今日から11月だ。昨日は昼から雨が降り、テニスが雨天中止になった。もっとも午前中に3試合はできたが。午後からは下関に行ったときに見つけていた藤城清治のレフグラフが届いたので、クリニックの診察室に掛け替えておくことにした。前の絵は開業したときに同業の先生から頂いてずっと掛けていたのだが、気分一新のためである。さすがに気に入って手に入れただけあって、診察室の雰囲気が違うように感じる。今日は朝から時々絵をながめてニタッとしている。事情を知らない人はいささか不気味かもしれない。影絵で有名な藤城清治の作品は小さいころから教科書でも見たことがあったが、レフグラフという技法でたくさん作られるようになったのである。原画などとても手が出ないがレフグラフならちょうど良い。もう一枚ぐらいあってもいいかと思っている。
芸術の秋である。音楽はもともと好きであったが、絵画はあまりよくわからなかった。ところが年をとるにつれて絵もいいと思うようになってきた。フェルメー ルの絵などは写真でしか見たことはないが、一度実物を見たいと思う。時々日本でも展覧会をやっているようであるが、なかなか行く機会がないのが現実である。がんばって行けるように仕事をしよう。

「患者様」より患者さん

平成16年10月27日(水)
近頃病院で患者さんを呼ぶときに、「○○様」という言い方をよく聞く。以前はどこでも「○○さん」であったのがほとんどこの言い方になってしまった。医者や看護婦(看護師に呼び方が変わったようだが)はほとんどの場合「○○さん」と言っているようであるが、受付では「様」と呼ぶことが多くなっている。年配の人が新聞の読者投稿欄に、病院で「様」と呼ばれたらわざとらしく、違和感を覚えてイヤである、と書いていたがまさにそのとおりである。私自身が病院へ 行って受付で呼ばれるならまだしも、医者や看護婦から「様」と言われたら、この病院はうしろめたいことでもあるんじゃないかと思ってしまうだろう。学校の先生に生徒が「様」と言われたり、寿司屋のオヤジに客が「様」と呼ばれたりするようなもので、違和感を覚えるに違いない。
言葉は時代と共に変わって行き、皆が違和感を感じなくなればその言葉は定着したことになるので、将来は「様」になるかもしれないが、今は自分で違和感を感じない言葉を使いたいと思う。

いつもと同じ

平成16年10月25日(月)
昨日は広島市の当番医だったので一日中クリニックを開けていた。患者さんは普段より少ないため半分の人数で対応したが、非常に暇だった。いつも当番医のときは患者さんが少なく、広島市全体で平均1日10人だそうである。他の科は平均40~50人位だそうである。産婦人科の患者さんは、行きつけのところに行く傾向がつよく、妊娠関係はお産する病院がフォローするので当番医は必要ないのではないかと思う。
本日はいつもと同じでいいペースある。夕方交換前のパソコンのデータの入れ替えが終わり、ホームページの更新もできるようになった。とりあえず更新しておくことにする。

パソコンのいれかえ

平成16年10月20日(水)
とうとうパソコンを入れ替えた。問題はデータの移し変えであったがなにしろさっぱりわからないので、ホームページを作る時に教えてもらった専門家に頼んだ。都合もあって今週中にできればよいとのこと。したがって、ホームページの更新は来週以降になるだろう。ほっとしたようなさびしいような。
今週はいつもと比べて患者さんが少ないようだ。台風のせいかもしれないが、結局会合の後飲みに出た。今年は台風の日はすべて飲みに出たことになる。ご苦労なことだ。

濡れ手に粟の宝くじ

平成16年10月18日(月)
今日は汗ばむほどの陽気であった。またも台風が近づいているという。今年は台風の当たり年である。天災はどうしようもないが、人の努力でどうにでもなることはたくさんある。今、民営化が叫ばれているが一番簡単にできることがある。それは「宝くじ」の民営化である。
和歌山県で、宝くじの利益を使った議員の外遊が問題になっているが、驚いたことに和歌山県の1年間の宝くじの売上が95億円で必要経費が9億円、払い戻し が40数億円、お上がとりあげる利益(民間では「テラ銭」と言う)が40数億円だそうである。払戻金が半分以下とはあんまりではないか。
日本中どの宝くじも似たようなもので、庶民がなけなしのお金で夢を買おうとするのに、賭けたお金の半分とりあげるとは、ひどすぎる。競馬では払い戻しは8割だし、競輪や競艇も同様である。ヤ○○のばくち場でも7割以上は払い戻しをするという。なにより、これらのギャンブルは賭ける人を楽しませる努力をしている。それに比べて宝くじはどうだ。タレントを使ってテレビで宣伝するぐらいで、ほとんど努力なしである。まさに濡れ手に粟とはこのことだ。
「宝くじ」を民営化すれば9割払い戻しも可能だろうし、いろいろなイベントや楽しみも増えるだろう。だいたい「射幸心をあおるからギャンブルはよくない」といって民間には禁止しておきながら、宝くじで努力もしないで5割もテラ銭をとっておいて、その利益を使って大名旅行して恥じない厚顔無恥はどうしたこと か。
「宝くじ」は各自治体が、売上や必要経費、払い戻し率を毎年広く公表して一般の審査を仰ぐべきである。そして賛同を得られるように努力すべきだろう。最善の策は、お上は手をひいて民間にやらせることであるが。

ピル使用者の減少?

平成16年10月16日(土)
あっという間に一週間が終わってしまった。近頃の時間の速さはどうしたことだろう。つい先日も時間が早く過ぎることを書いたが、それにしても、である。どこか神経の回路がおかしいのだろうか。自分としては特別変わった事はなく、いつもと同じようにしているつもりなのだが。まあ、あまり深く考えないようにしよう。
最近ピルの使用の伸びが落ちているように感じる。当院は広島でもピルの処方が多い方なのであるが、いっときほどの増加はなくなりむしろ微減の印象がある。なぜだかわからないが。

パソコンの調子が良くない

平成16年10月14日(木)
パソコンのハードディスクの調子があまりよくない。動きが遅くいつ止まるか心配である。ソニーのVAIOなのだが、買って5年になる。動きが遅いのはクリ ニックのパソコンであるが、自宅で使っているのも機種はやや異なるが同じVAIOである。自宅のパソコンはある日全く動かなくなり、結局ハードディスクを 交換したら使えるようになったが、住所録など全部ダメになった。VAIOのハードディスクが壊れやすいのかそもそもパソコンの寿命はこんなものなのか。
なにはともあれ、早くなんとかしないと困ることになりそうである。