医療施設過密地域

平成16年12月6日(月)
私が開業している場所は医師会での地区分類では袋町東地区という区域(広島市中区を10余りの地区に分けたうちの一つ)であるが、驚くなかれ43施設の開業医院(病院を含む)がある。これは私の出身地笠岡市の全体の医療施設の数とほぼ同じである。なんという過密地域だろうか。なにしろ袋町東地区の範囲は歩いて東西5分、南北10分ぐらいの広さである。広島市でも最大の医院過密地区だと思う。ということはおそらく中国・四国地方で一番過密だということになる。なぜこんなことをいうのかというと、地区医師会の忘年会があり名簿が配られたのを見て改めてその数の多さに驚いたからである。
広島市中区はわが故郷笠岡市北川(以前は村だった)と同じぐらいの広さである。その北川地区にある医院は以前は2施設で今は1施設ではないかと思うのだが、医療施設の集中と分散の差にはすごいものがある。改めて驚いた次第だ。

開業が増えた

平成16年12月4日(土)
暮れに配られてくる今年の産婦人科同門会の名簿を見て驚いたのだが、新たに開業した先生の多いこと。今までで最高ではないだろうか。大学の医局制度がなくなることと関係あるのだろうか。医者が増え病院のポストが限られていることも原因だろうが、他の業種と同様生存競争がきびしくなっているようだ。もっと も、日本はまだまだ米国と同様栄耀栄華を誇っている部分があるので大丈夫とは思うが、落ちるときは早いので注意が肝要だ。
日本の歴史が教えてくれているように「平家物語」しかり、藤原道長の栄華しかり、思いがけないことが起こるのが浮世というものである。一人の人間の歴史でさえ、病気をはじめ何が起こるかわからない。とりあえずそういうつもりで一日一日を丁寧に過ごすしかないのだろうが、どうしようもない時もあるという覚悟は必要だろう。

思い立ったらすぐに

平成16年12月1日(水)
12月になったというのに妙に暖かい。風邪も、初期症状のみでひどくならずにすんだのはありがたいことであった。先日、豊平のそばの店「雪花山房」に久しぶりに行ってみたが、途中の路にまで車が止められていてとても行けそうになく、引き返してしまった。もともと知る人ぞ知る店であったのだが、こんなに多いのは初めてだった。テレビの情熱大陸で紹介されてかららしい。なにしろ店が開いているのは土日ぐらいで、それも毎週というわけではないので無理もないだろう。もうここの店のそばは食べられないかもしれない。前に何回か行っておいてよかった。
そばに限らず、なんでもそのときそうしておけば良かったと思うことはよくある。若いうちはいつでも取り返せると思っているが、だんだん取り返せないかもしれないと思うようになる。経験をつんできたからなのか、残りの人生が少なくなってきたせいなのかはわからないが、今は何でも思い立ったらすぐにするように している。

風邪の初期症状

平成16年11月29日(月)
土曜日に忘年会があり、ワインがおいしかったので飲みすぎてしまい、その後濃いウイスキーも飲んだためか、まだのどが痛い。元来耳鼻科系が弱いので、アルコールはのどに良くないのだろう。昨日は休肝日にしたが、今日も休肝日にするつもりだ。
今日は暖かいいい日和である。昼間は上着なしでもいいぐらいだった。今年はいつまでも気温が高いので、12月になって雪が降るのか心配になる。スキーが好きなわけではないが、ワンシーズン2~3回はよたよたと滑ってみたいので。
夕方になってのどが痛くて肩がこってきた。少し熱っぽい感じもある。どうも風邪の初期症状のようだ。今日は早く帰って寝よう。

忘年会シーズン

平成16年11月25日(木)
いよいよ忘年会のシーズンである。忘年会というより、なんだかんだと理由をつけて飲み会をするというのが本音だろうが。スケジュールが埋まっていくのはうれしいのだが、元来アルコールに弱いくせに好きなもので、いかに体をいたわるかが問題である。ポイントは、①毎日は飲まない②量を減らしてゆっくり飲む③つまみはしっかり取る、ぐらいだろうか。困ったことに体重が完全に増えてしまってカロリー制限が必要になったのでつまみをひかえなければならない。中年に なると同じような悩みをかかえたオジさんたちも多いと思うが、忘年会に限らず他国ではどうなっているのだろうか。
スペインではバル(居酒屋)がたくさんありピンチョス(串にさしてつまめる料理、いろんな種類がある)をつまんではビールかワインを一杯飲んで次の店に行き、またその店の自慢の串をつまんで一杯、わいわいしゃべりながらこれをくりかえすという。なるほど飲みすぎず体にも負担が少なそうだ。昔スペインに行っ たときに何軒かバルへ行ったことがあったが、確かにそんな雰囲気だった。夜の12時頃はまだ皆結構飲んでいたようだった。休日などは家族連れでバルへ行き 楽しく食べたり飲んだりするが、その間子供はその辺を走り回っていても皆気にしないそうだ。スペインは全部が家族みたいなものだかららしい。壇一雄がスペ イン、ポルトガルあたりが大好きで何年も滞在したのもわかる気がする。
いずれにせよ飲み過ぎないように注意しようと思う。

「縁」という言葉

平成16年11月22日(月)
「縁」という言葉は非常に深い意味を持った日本語である。おもに男女の間をはじめ人間関係で使われるが、就職活動でめざす会社に入れなかった場合でもその会社に縁がなかった、というふうに使われるし、そのほか色々な場面で使われてぴったりする言葉である。どんなに愛し合ったカップルでも別れてしまえば「縁」がなかったということだし、社内で頑張って上のポストを狙っても本人の力とは関係ない理由でだめなこともあり、こういう運も含めたもろもろの現象をまとめて「縁」というのである。もともとは仏教の言葉で、原因によって結果を生じるがその原因を助成するさまざまな要因のことを「縁」といったようだ。
なにげなく使っている言葉であるが、考えてみると実に深い意味があるものだと改めて思った次第である。

少子高齢化は必要悪?

平成16年11月20日(土)
産婦人科の医師の高齢化が進んでいるという。特に山間部ではお産をする施設がどんどんなくなっている。このままでは、都心以外に住んでいる人はお産できな くなってしまうかもしれない。少子高齢化が進めば当然のことで、お産をする人がいなければ本来の意味での産婦人科は必要なくなる。でもこれは由々しき問題で、次の世代が少なくなれば民族としては先細りになってしまう。生物の特徴は増殖することであるとすれば増えるのが正しいのだろうが、生きるために必要な資源には限りがある。がんと同じで増えすぎると宿主を死なせてしまう。そのバランスを本能的に保つとしたら、厚生労働省の予測のように人口が減ってしまうことはないだろうし、いいところに落ち着くのだろう。日本人は戦後から着実に人口を増やしてきて、このままではよくないと本能的に気がついたのかもしれな い。

流産を告げるとき

平成16年11月17日(水)
朝から流産手術2件。いつもながら流産の事実を告げるのは気が重い。特にやっとできたはじめての妊娠の場合は、どのように話そうかと思う。できるだけ衝撃を緩和するように反応をみながら話すのだが、つらい事実には変わりなく心の動きが手に取るようにわかる。納得するのに時間がかかるので、緊急を要するとき以外は流産手術をすることの同意を何日でも待つようにしている。そして、次の妊娠への希望を持ってもらえるように話すのである。
当院ではがんや致命的な病気の治療は行っていないが、そういう病気を本人に告げるのは大変であろう。治る可能性があればいいが、ほとんどない場合は本人の衝撃はすごいものだろう。「世界が変わる」という。それを告げてさらに本人の驚き、怒り、恐怖などもろもろの感情を受けとめるのは、大変なことと思う。よほど強い意志と深い愛情がないとできないのではないか。そういう立場の医師は大変だろうが、現在の私はそうでなくてほっとしている部分もある。勤務医の頃は多くはないがそういう立場になることがあり、自分の無力さを痛感することがあったのである。

天気の話はあいさつのマクラ

平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。

国民衛生の動向

平成16年11月13日(土)
「国民衛生の動向」という本がある。厚生統計協会から毎年この季節に刊行されるのだがこれが実にすぐれもので、保健医療や生活環境などがよくわかる。たとえば「戦後における平均寿命の推移」という欄をみると、昭和22年の平均寿命は男50,06女53,96で10年後にはそれぞれ63,24と67,06さ らに10年後の昭和42年には68,91と74,15とすばらしい伸びを示している。前回書いた「人生わずか50年」はつい50年前までの話だったのである。ほかに離婚率の国際比較だとか人口動態職業別総覧だとか、よくぞここまでというほどなんでも統計を出している。手元に置いておくと結構便利だ。
土曜日なので夕方5時までであるが結構疲れた。まっすぐ帰ることにする。