長女の成人式

平成17年1月11日(火)
昨日は成人式があり、朝早く起きて着付けに行っていた娘を会場まで送って行った。長女の時もそうだったが、サンプラザは結構遠いので、同じように送ってきた車が多くかなり込んでいた。成人式の日が県によって9日と10日に分かれているようだが、やはり昔のように全国的に15日で統一した方が意義があると思う。ハッピーマンデイなどといっても恩恵を受けるのは、休日が休める職種の公務員と大企業の勤め人ぐらいではなかろうか。
ここしばらく寒い日が続く。ようやく冬らしくなったが、本格的な寒さはこれからだろう。気を引き締めて風邪などひかぬようにしよう。

アナフィラキシー

平成17年1月7日(金)
午後の診療開始早々、抗生物質を1錠飲んでアレルギー反応の出た患者さんがおられた。今我が国で最も広く使われている抗菌剤のひとつで、10年以上多くの人に処方しており特に問題なく、今回も午前中の外来で処方したのであるがこのようなことは初めてであった。内服後顔が紅潮し、気分が悪くなり呼吸音に軽い喘鳴が認められた。この症状は内服30分後ぐらいで起こり、すぐに来院されたのだ。血圧・脈拍は正常であったが、内科の先生に診察を依頼したところ、念のため救急車で市民病院の救命救急へ移送することになった。その後移送先のドクターから「おちついてきてもう大丈夫と思うが念のため一晩入院してもらいます」との知らせがあった。そして翌日の午前中に問題なく退院となった。
アレルギーは恐い。たとえ10万人に問題なくても10万1人目に起こることがあるのだ。今まで一度もなかったからといって、今後もないとはいえないのである。アレルギーにはいつも注意しているつもりであったが、今回はまさかと思うような出来事であった。実は私自身アレルギー体質があって同じような経験をしたことがあるが、その時は解熱鎮痛剤で同じような症状が出て本当に苦しかったが、5~6時間するとおさまって事なきを得た。初めての薬であればその薬に対するアレルギーの有無は、使ってみないとわからないのである。
今後は薬の処方に対しては一層注意していくつもりであるが、アレルギーは恐いと改めて感じた年頭であった。

富良野で元旦

平成17年1月4日(火)
あけましておめでとうございます。
この正月はなんと北海道でスキーをすることになった。ボーゲンでしか滑れないくせに、富良野のスキー場で新年を迎えたのである。元旦の富良野は快晴で、ゲレンデから遠く十勝岳を望むことができて最高であった。気温はマイナス26℃と低いのだが、太陽光がまぶしく、きらきらと輝くダイヤモンドダストを見ることができた。吐く息が一瞬で凍るような気温ゆえおこる現象なのだろうが、すばらしい経験であった。
今日から診療開始である。今年の目標は、情報公開をさらに進めることと、患者さんのニーズに合わせたきめこまかい診療をすることである。陳腐なようであるが、毎日の診療であるから大切なことだと思う。奇をてらうのではなく普通の診療を一つ一つ丁寧に、患者さんの気持ちを推し量りながら行うことが自分のスタイルであり、これからもやっていくことと決めている。自然体で無理せず遅れず、受診して良かったと思ってもらえるような診療をしていきたいと思う。

一年をふり返って(平成16年)

平成16年12月27日(月)
今年もあとわずかになった。当クリニックも今日と明日のみで、29日から1月3日まで正月休みとなる。3日以上連続して休めるのは文字通り盆と正月だけで ある。だからこの貴重な休みは、できるだけ家族旅行をするようにしていた。でも子供たちが成長するにつれて、なかなか全員参加が難しくなり、今ではあまり行かないようになってしまった。
そこで、今年は「北海道にスキーに行く」と宣言し、久しぶりの全員参加の旅行となる。友人家族も参加し総勢8人の予定である。友人家族は皆スキーがうまいが当方は全員初心者である。私としては、広島のスキー場にはないなだらかな長いコースをゆっくり滑ることができれば、と思っている。家族全員参加の旅行な どもうできないかもしれないので、ゆっくり楽しんで来るつもりである。
今年の総括。昨年は入院して手術を受けるなど結構大変であったが、今年は落ち着いて仕事をすることができた一年だった。飲む機会も多かったが、これはご愛 嬌。「診療日誌」なるものを書くことによって、考えをまとめることができてよかったと思う。あとで読み返してみると、その時々の思いがよみがえって来てなかなかいいものである。来年も続けるつもりなので、皆様どうかよろしくお願いします。今年一年ありがとうございました。

時代の流れは止められない

平成16年12月24日(金)
時代の流れというのは、それがどんなに間違っていても誰にも止められないものである。日本は大平内閣の頃から赤字国債を出し始めたが、その額は次第に増えていき今では700兆円もの借金になってしまった。これは大変なことである。赤字国債を出すまでは戦争でほぼ壊滅状態だった日本が、一心不乱に頑張って借金なしの黒字国家になって安心したのか、初めは少しだけだったのが次第に増えて今では返すことが不可能になってしまっている。
ダイエーはなんとかなるかもしれないが、国ではどうしようもないだろう。いくら先送りにしても必ずどこかで清算しなければならない時がくる。低金利のままなのもその所為だろう。いまの極端な低金利は、国民全員で借金の利子を増やさないようにしていることで、国民が本来受け取るべきお金を国の借金のために犠牲にしていることだ。これらのことは皆本能的に感じているから、色々問題があっても少しは良くしてくれそうな小泉政権を支持するし低金利も我慢しているのだろう。
先の真珠湾攻撃で始まった戦争も、もしアメリカ相手に開戦すれば日本は破滅することがわかっていたにもかかわらず、だれも止めることができなかったのである。時代の流れとはそういうものであろう。結局私達のすべきことは、何が起ころうと自分にできることを毎日着実にやることだけではないだろうか。

運動は気持ちがいい

平成16年12月20日(月)
このところ太り気味なので、運動しなくてはと思うのであるがなかなか難しい。以前は一日3~4Km位のウオーキングをしていたのだが、とんとご無沙汰している。昨日は久しぶりにテニスをして、夕食後に3Kmぐらい歩いた。やはり体を動かすと気持ちがいい。ただし、運動するとビールを飲みたくなるので困る。せっかく運動しても消費カロリー以上のものを飲んだり食べたりしてしまうので、なんにもならぬ裏の柿の木である。後戻りができるうちにせいぜい頑張ってみようとは思っているが。忘年会シーズンもそろそろ終わるのでいい機会ではある。

子供の名前にみる漢字文化の変遷

平成16年12月17日(金)
今年生まれた子供につけた人気のある名前が男女共に1位から10位まで発表されていた。男の子の1位は「蓮」で、女の子は「さくら」と「美咲」だそうだ。 言葉、いいかえると国語こそがその国のアイデンティティーそのものであるから、親が子供につける名前は今の日本の状況の一端を表しているといってもいいのではないだろうか。なぜなら親が子供に名前をつけるときほど真剣に文字や漢字を検討することはないと思うからである。皆わが子に幸せになって欲しいという願いをこめて名前をつけるだろうから、一生懸命願わしい文字や漢字を考えるのである。
日本は外来文化を取り入れて生存してきた国であり、わずか百年前までは漢字文化がほぼすべてであった。だから日本語(やまとことば)と漢字文化のみごとな 融合が日本語そのものであった。ところが、明治以来欧米の言葉を知る必要にせまられると、これまたしっかり取り入れており、いまでは外来語(カタカナ)なくしては話ができないぐらいである。無論、漢字文化に比べて歴史が浅いので単語のみではあるけれども、その分だけ漢字文化に対する感覚が弱まってきているように感じる。それを端的に表しているのが子供の名前だというのは言い過ぎだろうか。
文字の意味そのものを考えると、どうして?と思われる漢字を使った名前が少なからず見られるのは、漢字文化の影響が弱くなっているのではないか。もちろん流行でつけた名前も多いだろうが、流行こそ国の状態を表しているという意味では同じである。漢字の意味が気になる世代としては、引っかかる部分があるのも事実である。
今日は理屈っぽくなってしまったが、日頃思っていることを書いてしまった。

荒城の月尺八研究会

平成16年12月14日(火)
12月も半ばになると、暖冬とはいえさすがに寒くなってきた。それでもコートが必要とは思わないのでまだ例年よりは暖かいのだろう。
昨夜はひさしぶりに「荒城の月尺八研究会」と称して(二人だけの会であるが)クリニックで尺八を吹いて、その後食べて飲むという楽しい会を行った。なにしろプロ級のすごい人なので私の腕ではさぞかし迷惑をかけているだろうが、いやがらずに付き合ってくれているのはありがたいことである。すごいと思うのは飲み屋などで彼が戯れに尺八を吹くと、居合わせたほかのお客さんたちが静まり返って聞きほれた後、万雷の拍手が起こることである。この時はわがことのようにうれしい。私もうまくなりたいとは思うのだが、こればかりは才能の問題もあり難しい。でも、地道に練習していくつもりである。
今日は長いこと来ていなかった久しぶりの患者さんが多い一日だった。

ハーレムゴスペルクワイアのコンサート

平成16年12月11日(土)
昨夜はハーレムゴスペルクワイアのコンサートに行った。このグループは15年の歴史を持ち、アメリカゴスペルの代表といわれているそうであるが、その迫力には圧倒された。声量がすごい、低音から高音、高音から低音への移行のスムーズなこと、生来持っているスイングのうまさ、パフォーマンスの巧みさ、どれをとっても超一流であった。一人一人がすばらしいシンガーである。さすがに世界に通用するグループはすごいと感心した。
家へ帰ってテレビを見ると、70年代80年代のフォークなどの映像が映されていたがあまりの違いに驚いた。以前は結構好きだったし今も嫌いではないのだが、あんなすごいのを経験すると日本のものがアマチュアかと感じるぐらいに違う。どう考えても世界には通用しないだろうと思った。もし通用するものがあるとしたら、日本に古くからある民謡ぐらいだろうか。むこうの真似をしても日本の国内以外では通用しそうにない。DNAが違うとしか言いようがない。そう思わせるぐらいすごかった。
今日は土曜日であるが朝からばたばたと忙しく、夕方になってやっと落ち着いているところである。

混合診療について

平成16年12月9日(木)
混合診療について色々な意見があるようである。ものごとは単純に考えた方が良いと思う。つまり、どちらが受益者(患者)のためになるかである。現行の制度では、保険診療外の検査や治療をすると保険の分まで自費となる。これは患者のためにはならない。だから患者のためには混合診療のほうがとりあえず良いのであるが、問題は国はお金が足りないために医療費を減らしたいので、本来保険でできていたことまで自費にするかもしれないということである。だから将来結局患者に不利益になるというわけである。たしかにそうかもしれないが、古来統制経済にしてうまくいった例を知らない。統制は緩やかな方がいい。最も統制の強い国々がどうなっているかは、歴史的に明らかだろう。
難しい議論はいろいろあるだろうが、医者はとりあえずどうしたら目の前の患者さんが良くなるか、いまより幸せになるかだけを考えていればよいのである。そうであれば自ずから答えは決まってくると思う。