力不足

平成17年4月23日(土)
自分の力不足で患者さんに不快な思いをさせて大いに落ち込んでいたが、別の患者さんから「ここに来て良かった」と過分な評価をいただいて、ほんの少し気持ちが落ち着いた。自分ではいつも同じようにしているつもりであるが、患者さんとしては結果がすべてである。うまくいかなければ腹も立つだろう。私としては良かれと思って精一杯やったのだが、つらい思いをしてしまう結果になったようだ。どういう理由であれ患者さんが満足できなければこちらの負けである。大いに反省し、これからもまた一人ひとり心を込めて丁寧に診ていくしかない。我々にとって患者さんの評価がすべてだから。

腰痛は治りにくい

平成17年4月19日(火)
腰痛に悩まされて10年経つが、一旦痛めたところは治らないようである。普段はなんともないが、きつめの運動をしたり腰に負担がかかるような動作をすると、てきめんに翌日から腰痛がおきる。整形外科のドクターによれば、腰痛の原因は二本足歩行であり、他の動物のように四足歩行なら腰痛はないという。その通りだろうが人間がいまさら四足歩行に戻れるわけもない。なんとかだましながら凌いでいくしかない。
元来体力には自信があったのだが、腰痛がおきた頃から体力の衰えを感じるようになった。一番強く感じたのは、深夜お産で起こされることがつらくなったということだった。それまでも夜起こされるのはいやだったが、つらいとは思わなかった。産科医だからあたりまえだと思っていたが、つらいと思うようになったのである。このことは後に開業する伏線になったかもしれない。人間は年を取れば体力が衰えてくるのは仕方がない。あまり無理をせずやっていくしかないだろ う。

治療は慎重に

平成17年4月15日(金)
妊娠中期に子宮の頚管が1,5cm以下の場合早産になる確率が高いことは、以前からわかっていた。それに対して、安静と頚管を縛る手術をすることが行われてきた。ところが最近手術をした場合とせずに経過をみた場合と、早産になる確率は変わらなかったとの論文が発表された。この論文は信頼できる内容であり、 以前に同様の検証をした別のグループの論文と同じ結果となっている。じつは以前に発表された、頚管を縛る手術が早産を防ぐのに有効であるという論文は、症例も少なくたまたまそうなったに過ぎないという意見の方が強くなっているようである。
昔から、その時代時代に流行の治療法や手術が行われてきたが、後になって有効でないとわかって廃れたものはたくさんある。問題なのはその治療や手術が患者さんに苦痛をあたえたり取り返しのつかないようになることである。たとえば切り取った臓器はもう新しくはできず失われたままである。産婦人科でかつて盛んに行われていたが今では全く行われなくなった手術にアレキサンダーの手術というのがある。今から30年以上前まで行われていたが、我々の世代より下の医師はその名前すら知らないはずである。アレキサンダーの手術とは子宮後屈矯正のための手術で、昔は女性の腰痛や生理痛の原因は子宮後屈のせいだと言われていたから、それを治すためと称して行われていたのである。無論当時の医師たちは心からその治療法を信じて、一生懸命治してあげようと努力したのは事実であるが。この治療は有効でないだけで、不都合が生じるわけではないのでまだよいが、そうでない治療はいくらでもある。
我々が子供の頃は一本の注射器で針を換えずに何人もの子供が予防接種を受けていたことを思い出す。ウイルス性の肝炎などの概念のない時代であり、注射針から血液を介してそれらの病気が感染するなどわからなかったのであろう。それよりも子供たちの日本脳炎や結核を防ぐために行っていたのである。血液製剤や輸 血による感染などもそうである。どんな治療法もある程度年月を経ないと、真偽のほどはわからない部分がある。だから一層治療をする時は本当にこれでいいのか何度も考えながら行うべきである。怖れるあまり何もできなくなっても困るが、極力むだなことは検査も含めてしないようにすべきだろう。一生懸命やったからとか、心から相手のことを思ってやったからといって許されるわけではないのである。

反日教育をしている日本人

平成17年4月11日(月)
昨日は桜も満開になり、花見には絶好だったようだ。残念ながら夕方からは雨になり桜も散ってしまうと思われる。
時事評論はしたくないのだが、隣の国では日本叩きが官民一体(?)で行われているようだ。日本としてはきちんと抗議すべきであるがいつもやりきれなく思う のは、国内のこれらの日本叩きを助長してきた一部のマスコミや教育者である。昔からどこの国の新聞かと思うほど日本が悪いといい続けているのもあるし、教育者の中にも日本を嫌いにさせるような反日教育をしている人もいるとか。そんなに日本が嫌いなら日本叩きをしている国へ行ってしまえばいいのに、こういう 人たちに限って国内でぬくぬくとした生活を送っている。ちょうど大企業に勤めていて結構な給料をもらいながら、ライバルの会社を持ち上げ自分の会社の悪口を言い続けているようなものである。しかもそれで自分たちが正義を行っていると思っているのだからなにをか言わんや。
我が国ではかの国と異なり言論の自由が認められているから何を言っても自由だが、国益をそこない、ひいては我々国民のためにならないようなふるまいは、もっと恥ずかしそうにしてもらいたいものである。良識あるサイレントマジョリティはこれらに対して黙ってはいるが、心の中ではにがにがしく思っているに違いない。

M先生の訃報

平成17年4月7日(木)
会うは別れの始まりというが、恩師の突然の訃報を受け愕然とした。私が研修医の時にあるべき医師の姿をその日々の姿勢で教えてくださったM先生である。わずか1年間であったがいろいろ教えていただいたし、ご迷惑もおかけした。M先生を慕う教え子は多く、一度でもその下で働いた人は、医師看護婦を問わず皆敬愛するようになる。それは医師としての技術のすばらしさに加えて先生の愛情に満ちた懐の深い人間性の故であろうか。先生の赴任15周年のお祝いの会には先生を慕う多数の医師、看護婦さんが集まってお祝いをした。私はその頃は小豆島の病院にいたが、大学から留守番の医師を頼んで参加した。皆心から喜んで先生のもとへ集まったのである。
今は心からご冥福をお祈りするばかりである。

夜桜の記憶

平成17年4月4日(月)
桜の季節になった。開花宣言も出て、昨日は雨模様で肌寒かったが桜のつぼみもふくらみかけていたようだ。今週の後半あたりから花見には最適の状態になると思われる。花見といえば思い出すのは、最初の研修病院の姫路で病棟の看護婦さんたちと行った夜桜花見である。とにかく寒かった。当時は酒量も少なかったのでひたすら食べて話をして寒さをこらえていた。その時の印象が強かったためか花見というと寒さを連想してしまう。その後の経験から花見は散り頃に行くのが一番だと思っている。4月の初旬の咲き始めのころはまだ肌寒い日もあるが、桜の散る4月後半は結構暖かくなる。さらに、日本の美学からも桜は散り際こそ最も美しい。花吹雪の舞うなかで杯を傾けるのもおつなものである。もっとも飲んでしまえば桜などどうでもよくなってしまうが。

うららかな春の一日

平成17年3月31日(木)
早いもので今日で3月も終わりである。以前にも書いたが、月日の経つのが本当に早い。もっとゆっくりさせてくれと言っても容赦なく過ぎ去っていく。青春期に漢詩が好きで、その硬質の語り口を味わって喜んでいたが、あっという間に年を取るというような詩も多かった。その頃はあまり実感はなかったが今になってみると全くその通りと思うのである。こういう感覚は昔の中国の詩人も同じようなので、洋の東西を問わず人間の普遍的なものなのかもしれない。
今日は本当にうららかな春の一日であった。

演歌が結構好き

3月26日(土)
実は演歌が結構好きである。「別れの一本杉」「王将」「風雪流れ旅」「兄弟船」好きな曲は他にもあるが、これらはすべて船村徹という作曲家の作品である。 最近その自伝を読んだのだが、まさに巨人だ。才能もすごいが、その人間的魅力スケールの大きさなど実に面白い。歌謡界で押しも押されもせぬ地位にいるにもかかわらず、40台後半でフリーになってギター片手に全国を回ろうとしたのはすごいことだ。頂点にいるにもかかわらず、自分を振り出しに戻せる柔軟さはただものではない。そういう姿勢が数々の名曲を生み出したのだろう。才能やスケールはどうしようもないが、私もその姿勢は見習いたいものである。

何が起きるか

平成17年3月29日(火)
昨日は患者さんが少なく、クリニックを7年もやっているとめったなことでは驚かない私も、いささか焦ってしまった。7年ぐらいになるとたいていのことは経験しているが、それでもときに「これは初めての経験だ」ということがおこる。芸予地震の時もそうだった。診察中にビルが大きく揺れ思わず机にしがみついた。幸い患者さんにも怪我はなかったが、器具を入れているガラスの戸棚が倒れてガラスが割れて中のものが散乱した。また壁に何箇所もひびが入り修理が大変だった。今後もまた新しい経験をすることだろうが、できればややこしくないことであって欲しい。

風邪?

平成17年3月23日(水)
昨日今日と二日続けて雨である。「春雨じゃ、ぬれて行こう」というせりふを聞いたことがあるが、少し肌寒いだけですっかり春の気候になった。今までの経験からもう一度だけ寒い日があり、あとは暖かい春になると思う。こういう時がかえって風邪をひきやすいので注意が必要である。当院の看護婦さんも風邪をひいてしまった。私も気のせいか喉の奥がムズムズするがここで踏みとどまって頑張らねば。
思い起こせば開業して最初の冬にインフルエンザにかかってしまった。あの時はまず看護婦さんがかかって、私がかかりカミさんがかかった。アレルギーがある ため解熱剤が使えず、ひたすらアイスノンで冷やしながら凌いだ。これに懲りてその後は毎年ワクチンを接種するようにしているが、どの程度有効なのかわからない。風邪を防ぐにはしっかり栄養をとってゆっくり休むことが肝要かと思う。