産婦人科医だけが減っている

平成17年11月18日(金)
今日の新聞に「全医師数は増加して27万人になったが、産婦人科医だけは過去最低の1万人に減った」との記事が載っていた。現在、産婦人科の医師はすべての医師の26人に1人しかいないのである。産婦人科を希望する医学生は非常に少ないうえに、最近はお産をする産婦人科医師もどんどん減っており、各病院から産婦人科の医師を求める悲鳴が聞こえてくる。このことは先日も書いたが実に深刻である。
当院がいつもお産を紹介していた病院も来年から産婦人科の医師数が半減して補充のあては今のところないという。産婦人科医のなり手がないのは、つまるところ「分娩費が安すぎる」のが最も大きな要因ではないか。米国などでは一日入院のみでお産をして100万円ぐらいとのことであるが日本では1週間入院で新生児のケアも行って40万円前後である。ホテルに泊まっても三食付ならかなりかかるだろうが、それらも含めてのこの値段ではどう考えても安すぎるのではないだろうか。だからたくさんのお産を引き受けないと採算があわないので、欧米の標準の2~3倍のお産を一人の医師が取り上げざるを得ない。必然的に医師は過重労働となり疲弊するが、追い討ちをかけるように少しでも母児に何かあれば訴訟が待っている。産婦人科医が減るのもむべなるかな、である。

医師の品性

平成17年11月15日(火)
来年の4月には診療報酬の減額をはじめさまざまな医療制度の改革が行われることはほぼ確実である。今の小泉首相に逆らえる人、団体はだれもいない。だからたとえそれがどんなに受診者にきびしくても行われると思う。まして医療施行側(医師会など)が何をいっても相手にしてもらえないだろう。そして一旦決まっ たことは変わらなくなってしまう。
実際のところ、むだで意味のない検査や治療はなくするべきだが、必要なことができなくなるのは受診者には不利益である。いったい何が無駄で何が必要なことかは十分議論する必要があるだろうが、要は医師の品性に尽きると思う。つまり、医師の品性がまともであれば患者のためにならないことは減るのではないか。 どんなに完璧な無駄をなくするマニュアルを作っても、抜け道を見つけようと思えばどうにでもなるのだから。

十一月に降る雨は

平成17年11月11日(金)
朝から雨が降っていて患者さんの出足が悪い。十一月にしとしと降る冷たい雨は人を物悲しい気分にさせる。十一月はうら悲し/ 世界をぬらし雨が降る/ 十一月に降る雨は / 暁(あかつき)来れどなおやまず/(堀口大学、十一月に降る雨)
先週ちょっとテニスをしたらまた腰痛がおこってしまった。どうも一旦痛めたところは無理をするとダメなようである。当分スポーツは控えなければならない。 こんな時はおとなしく家で尺八でも吹いておればいいので、夜は自宅で近所迷惑かえりみず吹くつもりだ。なにしろ音の出る趣味は周りがうるさいだろうから、 音を出す場所に苦労するのだ。ある人は倉庫の中にこもって汗びっしょりになりながら吹いているそうである。ご苦労なことだが、身につまされる話ではある。

ハイボールの復活

平成17年11月8日(火)
最近、ハイボールが復活してきたそうだ。ハイボールとは戦後から60年代まで流行ったウイスキーのソーダ割りのことである。我々が大学生の頃はまだトリスバーが残っていて、そこでは国産ウイスキー「トリス」「レッド」(二級酒である)をソーダで割ってレモンをたらして飲むハイボールがあった。田舎の高校生の頃雑誌などの小説を読むと、しばしばハイボールを飲むシーンがありどんなものかと思っていたので試してみたが、あまりうまいものではなかった。その後経済の成長にあわせるかのように急速にすたれてきて、ウイスキーの「水割り」が主流をしめるようになった。ウイスキーも高級なものになってきたので炭酸でごまかす必要がなくなったのだろう。
ところが一旦すたれたハイボールが復活してきているという。思うに今や最大の勢力を誇る団塊の世代が、かつての青春期を懐かしく思って復活させているのではないだろうか。実は自分も先日家で飲む水割りをハイボールにしてみたが、遠い昔の青春期の思い出と重なって懐かしくもほろ苦い味がした。

ジャズライブ

平成17年11月5日(土)
昨夜はジャズのライブを聴きに行った。午後8時から軽く飲みながら聴くピアノ、ドラム、ベースのセッションである。久しぶりでなかなかよかったが、音楽の好みは尺八から演歌、クラシック、ジャズと我ながら実に節操がないと思うが、どれもいいのだからしょうがない。
今日は朝からいい天気で空が澄みわたっている。まさに秋だ。こんな日は自然の中で憩いたくなるのではないだろうか。奥深い山中に寝転んで空を見上げると高いところを渡り鳥が飛んでいく。想像しただけでも心が安らぐではないか。北原白秋の「水墨集」に「渡り鳥」という作品がある。「あの影は 渡り鳥、/ あの耀きは 雲、/ 遠ければ遠いほど 空は青うて / 高ければ高いほど 脈立つ山よ。/ ああ、乗鞍岳、/ あの影は 渡り鳥。」

生活習慣病を成人病に

平成17年11月2日(水)
いよいよ11月である。体重を減らそうとする試みはみごとに失敗した。わずか1kg減ったのみだ。これから飲む機会が増えればダイエットはますます困難になることが予想される。
このところ生活習慣病と称してかつて成人病といわれた病気について、いろいろといわれているようだ。生活習慣病というとなにか不摂生をしたために病気になったようで、いまひとつしっくりこない。成人以降になれば必然的に一定の確率でおこる病気に対して、ちゃんとしていれば防げるかのような病名である。病気になったのは不摂生をしたお前のせいだ、というような病名である。不摂生をしなかったらほんとに防げるのかな?と考えるとどうも怪しい。やはり以前のように成人病という方が正しいように思う。

産婦人科の危機

平成17年10月31日(月)
全国的に産婦人科医師のなり手が減っている。特にお産をする医療施設が減り、広島でもすでに数施設がお産をやめてしまった。これは大変な問題である。さらに新しく医師になる若い人たちが産婦人科を選ばなくなっているそうだ。お産をやめてしまった自分が言うのも何だが、24時間待機していてうまくいってあたりまえ、もし何かあったら責任を追及されるという、お産が本質的に持っている危うさを、これから医師になってどの科を専門にしようかという若い人たちが本能的に感じているからではないか。
お産は、新しい生命の誕生にかかわることのできる本当に大切なやりがいのある仕事であるが、年齢とともに夜起こされることが億劫になり次の日の仕事に差し支えるようになると考えてしまうのだ。
現在我が国では毎年8千人ずつ新しい医師が増えていて、どの科の医師数もどんどん増えているそうだが、産婦人科だけ!は医師の数が減っているのだ。このままでは、お産する女性は妊娠したらできるだけ早くお産のできる施設を確保しないと、病院や医院でお産ができなくなるかもしれない。実は一部の地域ではすでにその徴候があるという。

本川達雄著「おまけの人生」

平成17年10月28日(金)
「ゾウの時間ネズミの時間」を読んで以来ファンになった生物学者、本川達雄氏の最新エッセイ集「おまけの人生」を見つけた。読んで共感を得る部分が多くますますファンになったのであるが、その中に著者が永平寺が主催した「道元フォーラム」に呼ばれて講義した内容が載っていた。これがすばらしいもので、時間についての著者の生物学的思考と道元の「正方眼蔵」に述べられた哲学との重なるところを解説しており、あらためて曹洞宗の開祖である道元は偉大な哲学者でもあったのだと思った次第である。
歴史に名を残すほどの人物はやはりすごい。さらにそれを自分の言葉で解説している著者もただものではない。世の中には我々凡人にははかり知れない巨人ともいうべき人がいっぱいいるものだと思った次第である。

秋晴れ

平成17年10月25日(火)
今日も秋晴れのいい天気だ。朝夕は肌寒いが日中はちょうどいい気候である。四季の移り変わりは生活にアクセントをあたえてくれていいものだ。これから訪れる寒い冬の前に豊穣の秋があり、今日のような日がある。我が国で四季折々の自然を愛でた俳句や和歌をはじめ繊細な和文学が興った所以であろう。
夕方になるとさすがに秋の夕暮れとなる。「みわたせば 花ももみぢもなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」我々はやはり、和に始まり洋を経験し、またいつのまにか和に帰るのだと思う。

重複

平成17年10月22日(土)
前回、セカンドオピニオンのことを書いたが、調べてみると9月にも書いていた。どうもボケているようだ。次第に脳細胞が壊れていっているのは年齢のせいなのかそれともアルコールのせいなのか。
壊れついでに、このところ昼休みにヒマがあれば枝雀の落語を聴いている。マクラに枝雀らしい理屈をいうのが面白く、聴いていてあきない。今でも根強い人気があるようで、本当に惜しい人を亡くしたと思う。天才は早死にする、美人薄命。憎まれっ子世にはばかる、合掌。