精神科のクリニックが増えた

平成18年4月25日(火)
昨日中区袋町東地区医師の集まりがあったが、あらためてこの狭い地区に50施設以上の医療機関がひしめいている凄さを実感した。多くは個人の開業医である がそれにしても医院超密集地区である。そしてこのなかに精神科のクリニックが4施設以上あり、これからもっと増えていくことが予想されるらしい。受診され る患者さんの多くはうつ病やうつ傾向だそうで、都市部に住んだり生活していくことがいかにストレスにさらされてるか想像される。
生きていく上で競争は必要だがあまりに効率にはしるとかえってよくない。最近話題になっている「国家の品格」という本で数学者の藤原正彦氏は欧米の、特にアメリカの効率主義の弱点や欺瞞性をするどくつき、日本は欧米に追随することをやめて我が国が昔からはぐくんできた繊細で高尚な精神世界をとりもどすべきだと説いているが、まことにそのとおりである。戦後あらゆる面でアメリカを手本にしてきたつけがまわってきているのだと思う。

ピルの処方の多い土曜日

平成18年4月22日(土)
土曜日はピルの処方が多い。特に午後は連休を前にして早めに取りに来る人が多かった。ピルは我が国ではまだ普及率が低いが、一旦飲みだすと結構続けて飲む人が多い。実際に飲んでみれば副作用はほとんどないことがわかるから、普及率が低いのは飲まず嫌いなのだろう。
今日はせっかくの週末だというのに雨なのはうっとうしいことだが春雨だと思えば風情も感じられる。来週末から大型連休だが当科は暦どおりである。

黒鉄ヒロシ著「毎日クローがねえ」

平成18年4月19日(水)
診療日誌を始めてもう2年になる。このように長くなると、次第に書くネタに困るようになってくる。
昔、黒鉄ヒロシという漫画家の「毎日クローがねえ」という秀逸なエッセイ集に次のような話があった。「漫画を連載しているといつもアイデアを出すのに苦労 する。アイデアはいいものから順に、ダイヤモンド、金、銀、銅、石ころと称しているがプロなら最低でも銅でなければならない。でも時に石ころのことがあ り、これが続くと掲載中止になり生活の糧が絶たれ路頭に迷う。とはいえなかなかいいアイデアは浮かばず、さんざん苦労してやっと深夜に金だ!と思っても翌 日になってみるとせいぜい銅のことが多い。ただ長年やっていると銅のあり場所はだいたいわかっているので、いいアイデアが浮かばない時はそこへ行って取っ てくる」とのこと。
私の場合はプロでもないしこの日誌を見る人は少ないと思われるが、なんとなくその感覚がわかるような気がする。つまり、ネタがないときはあそこへ行けば何 かあるぞという場所が2年も書いているといくつか見つかっているのである。でもだれにも教えてやらない(だれも聞いてこないか)。

危機に直面する産婦人科医療

平成18年4月15日(土)
先日「危機に直面する産婦人科医療」と題した元広大産婦人科教授の講演があった。聞くほどに気持ちが沈んできた。産婦人科の将来は実に暗く、産科にかかわる医師は減少の一途をたどっているらしい。隠岐島の産科がなくなったニュースは耳新しい話であるが、広島周辺で産科を中止した病院はかなり見られる。産科はいつ生まれてもいいように24時間待機しなければならないし、お産で夜起こされても翌日は朝から通常医勤務が普通である。加えて訴訟の比率が最も多い科である。ではせめて報酬がいいかというと他科と変わらない。これでは新しく産婦人科を選ぼうとする医学生がいるはずがない。
最近も激務によるストレスの所為か脳出血や脳梗塞になった産婦人科医を何人か知っている。一生懸命頑張ってきた結果がこれでは浮かばれない。今必要な解決法はお産の費用を適正にすることである。適正ということは今より高くすることである。先進国の中で日本の分娩にかかわる費用はは安すぎる。いまどきホテルに3食付で1週間も泊まればいくらかかるだろう。お産はそれに加えていつ生まれてもいいように24時間待機して分娩に全責任をもち、生まれた後は母親と新生児の両方のケアをしてせいぜい40万円である。アメリカでは1日入院で100万円だそうでこれなら医師も3交代せめて2交代でできるし、麻酔科の医師と小児科の医師も立ち会って安全なお産ができるだろう。安全のためのコストを確保できるだろう。お産の数も今の半分以下にしてもやっていけるだろう。それでやっと他科の平均的な医師と同じ生活ができるようになるのである。今のままでは本当に産科はなくなってしまうかもしれない。

比治山の大新入生歓迎会

平成18年4月11日(火)
昨日から雨が続く。春雨というより大雨である。せっかく満開になった桜も散ってしまうだろう。日曜日の夕方、桜を見に比治山に行ってみたがまさに満開であった。あちこちにシートを敷いて花見客が盛り上がっていたが、広場の中央にひときわ大きなシートが敷いてありその上に飲み物やスナック菓子、オードブルなどが運ばれてきて数人の若者たちが準備に余念がない。シートの広さと食べ物などの量からざっと見ても百人以上の集まりと思われた。聞いてみると広大の新入生歓迎会で400人集まる予定とか。いったいどういう集団なのかと思っていたが納得した。

世界でも稀な国

平成18年4月8日(土)
今年も日本が世界長寿番付で1位になった。男女合わせての平均寿命が82歳だそうである。アフリカなどには平均寿命が40歳ぐらいのところも多いことを知 るにつけありがたいと思う。気候がよく緑に恵まれた日本に生まれたことを我々は感謝しなければバチがあたる。作家の曽野綾子氏がいつも書いているが、日本は世界中でもまれな安全で豊かな国なんだよと。実際ふだんはあたりまえと考えている色々なことが、他の国ではめったにないことだということはたくさんある のだろう。国民皆保険による医療の平等なこともそうである。いつでも同じ条件でどこの医療機関にでも受診できることを我々はあたりまえと思っているが、実はまれなすばらしいことなのである。

草野心平「さくら散る」

平成18年4月4日(火)
昨日から暖かくなってやっと桜が咲いた。先週の土曜日からこの日曜日にかけて天気がよくなかったので、桜の開花宣言が出たのはだいぶ前だったがなかなか咲 かず、花見をしようと思っていた人たちにとっては残念な週末だったのではないだろうか。私自身、桜は満開の時よりも散り始めた頃の方が好きである。一瞬の生の歓喜とそのはかなさが感じられるからである。
草野心平という詩人に「さくら散る」という作品がある。「はながちる/はながちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる/光と影がいりまじり/雪よりも死よりもしずかにまいおちる/光と夢といりまじり/ガスライト色のちらちら影が/生まれては消え/はながちる/はながちる/東洋の時間のなかで/夢をおこし/夢をちらし/はながちる/はながちる/はながちるちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる」今週末には桜吹雪に出会えるだろうか。

婦人科で対処するうつ病

平成18年3月31日(金)
昨日は婦人科で対処する女性のうつ病について島根大学の教授の講演があった。うつ病とまではいかなくてもそれに近い状態の人は多く、婦人科の患者さんの中 には気持ちの落ち込みやうつが原因で身体症状の出ている人も多々みられる。昔から「病は気から」というが、実際それは真実である。ある調査によればプラセボー(偽薬)でも30%の人が効いたと感じたそうである。だからただの粉でも強く効くと思って飲めば30%の人には効いた気がするのである。
当院にもストレスや気分の落ち込みが強い患者さんは多く、うつ病が原因と思われる身体症状がある場合は早めに精神科を紹介するようにしている。今回の話を 聞いて思ったのは、うつ病を見分ける診断基準は大切だが、やはり見分ける医師のセンス(勘)が最も大切だということである。講演された教授も話を聞いた感 じではそのセンスがあり、そういう医師のところには自然にそのような患者さんが集まるのもうなずける。

医師は神になれるのか?

平成18年3月28日(火)
すっかり暖かくなり今週末は桜が咲く。私にとって桜と春は同義語である。桜が咲いたら春が来たと実感できる。ちなみに桜の語源は「咲く」という動詞に名詞化する接尾語「ら」がつけられて「さくら」となったそうである。
このところ末期のがん患者の呼吸器をはずした医師のことが話題になっている。考えさせられることの多い事件である。回復する見込みがなく呼吸器をはずせば確実に死んでしまう状態の患者さんに対して家族から何とかして欲しいと要求があったらどうするかということである。
この命題は今回のケースとはやや異なっているかもしれないが、このように単純化して考えた場合「医師は神になれるか」ということである。第一に呼吸器その他により本来は亡くなっている人を生かすことは正しいのか?第二に生かしている状態が不合理だからといって止めさせられることができるのか?命を永らえさせたいと思うのは医師にとって最も必要なことであるが同時に癒そうとすることも同じく大切なことである。たとえ命が短くなったとしても癒しの方が大切なこともあるのではないか。さらに癒しは本人だけでなく周りの人にも必要なことが多い。
今回のケースは、命を永らえさせるよりも癒しの方が大切だと判断したのだと思う。問われるべきはこの判断が正しいのか、そもそも医師がこの判断をしていいのかということである。医師が神になれるかというのはこのことで、この判断ができるのは神だけだろう。実際は「神」は概念であり現実に目の前に二者択一を迫られている状況があった場合、まじめであればそれだけ今回のような選択をすることは十分考えられる。いちばん安易なのはなにもせず様子をみていくことで、家族から要求されようが意味のない延命だと思おうが、呼吸器をはずさず延命処置を続ければいいのだ。
今回の問題は非常に大切なことなので簡単に結論はでないだろうが、じっくり考えて皆が納得できるような指針ができればと思うし作らなければならないだろう。

食のエッセイ

平成18年3月24日(金)
食のエッセイの名著といえば壇一雄の「美味放浪記」が好きであるが、最近見つけた著名なジャーナリストで作家の徳岡孝夫著「舌づくし」もすばらしい。食の評論家(最近ではフードジャーナリストと称しているらしい)の「どこそこの店がうまい」などの通り一遍の文章とは違って、その時々の作者の人生に深くかかわった食にまつわる話がなんとも秀逸である。人は食なくしては生きていけないのであり、それ故食をおろそかにすることは短い人生無駄にするに等しいのでは ないだろうか。自分の場合は単なる食いしん坊にすぎないのだけれど。