年末年始の休みは12月28日(日)から1月4日(日)までです。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。
1月5日(月)からは通常の診療となります。
月別記事一覧 2025年12月
年末年始の休みは12月28日(日)から1月4日(日)です
「医者が言わないこと」
令和7年12月19日
表題は故・近藤誠氏の著書である。偶然本屋で見つけたので読んでみた。内容は氏が一貫して説いていたことなので、特に目新しいものはなかったが、発行日は2,022年7月5日である。氏が仕事場に出勤途中に心筋梗塞のために亡くなったのは、その年の8月13日である。最後まで氏は医療による患者の不利益を無くすことに身をささげているように思われたが、氏を慕って集まってくる患者のために残された人が、H.P.を更新して患者さんの命を支えるよすがとなっている。
氏と共著も出している和田秀樹医師もほぼ同じスタンスで、多くの出版とネット配信をしている。週刊新潮にコラムを連載している里見清一氏は腫瘍内科医師で、氏のコラムは面白いのでいつも読ませてもらっているが、近藤氏へのスタンスは「初めの頃はよかったが、支持者に祭り上げられて現代医療の否定者になってしまった」「現実との乖離が見られるようになった」と否定的である。
現代の医療を俯瞰すると、がんの治療と老化への治療は本質的に難しいので、ベースの考え方は近藤理論であるが、必要な対処は有効なものは行ったほうがいいと思う。これは永遠の課題なのかもしれない。
伊藤公資料館
令和7年12月12日
休日にドライブをしていたら偶然「伊藤公資料館」の案内板があった。早速行ってみたら旧伊藤博文邸に隣接して資料館があり、駐車場には10台くらい車が停まっていた。広い敷地には明治43年に建てられた邸宅(平成16年大規模な補修工事が行われた)があり、公開されていたので中に入ってみた。和洋折衷の建物で、伊藤公みずから設計したというが、大勢の人を集めて法要を行うこともできる造りであった。
隣の記念館はシアタールームなども備わっていて、コンパクトだけれども内容の濃い展示室があり、充分楽しむことができた。手紙なども展示されていたが、さすがに達筆であったが我々には何が書いてあるのか読めなかった。敷地の裏は小高い丘になっていて伊藤公の銅像があり、わき道を抜けると小さな児童公園が備わっていた。
伊藤公は明治42年ハルピン駅で狙撃され、邸の完成を見ないまま生涯を終えたが、果たした仕事は明治維新に名を遺している。氏のような人物が我々日本人の先祖にいることはありがたいことである。いいものを見させてもらった。
ハイボール
令和7年12月5日
「ハイボール」という言葉を初めて知ったのは小学時代で、白黒テレビの寿屋(現サントリー)トリスのコマーシャルからである。父親はアルコールが全く飲めず家にはビールも日本酒もなかったが、地区の集まりなどで大人たちがうまそうに酒を飲む姿を見て自分も飲んでみたいと思っていた。たまにその機会があった時に酒を口に含んでみたが、ちっともうまくなくて「ワタナベのジュースの素(古い!)」の方が甘くていいと思っていた。
大学時代はビール、ウイスキーの水割り、たまに日本酒を好んだがなにしろ遺伝でアルコールに弱く、少しの量で満足していたがアルコールはうまいと思っていた。焼酎を好んだ頃もあったがこのところウイスキーの炭酸割「ハイボール」がメインになり、ほぼ毎晩飲んでいる。つまみはやや甘めのもので、ちびちび飲(や)りながら貯めていたテレビの番組を観るのは至福の時である。ビールもそうだけれどウイスキーは刺身以外のほとんどのつまみに合うので実にいいのである。3~4年前からこのスタイルであるが、しばらく続きそうだ。



