月別記事一覧 2025年6月

体重がピーク

令和7年6月26日
体重がわが生涯のピークを迎えてしまった。高校時代と比べると20キロ以上の増加である。大学時代の後半は自炊の影響もありやや増加していたが、はじめのピークは小豆島の病院に一人医長で赴任していた時、30代前半だったが現在に近い体重になっていた。分娩を取り扱っていたので休日も島から出られない。他の科の医師たちが土日は島から出て遊んでいるのがうらやましくてならなかった。その不満が食の方に行ったのだと思っていた。
岡山市民病院に転勤が決まり島から出られる嬉しさに、ダイエットをして体重を10キロ減らした。その後、徐々に体重は増えてきて第2のピークに達した。ところが3年前にコロナに罹患し重症化、3週間の入院で体重は10キロ減った。これを維持しようと思っていたのだが徐々に増えていき気付けば元の体重に戻っていた。しかもこの1か月でさらに2キロ増えてしまっている。減量の方法はわかっているのだが、今の食生活を変える覚悟がまだできない。困ったものだ。

猛暑が続く

令和7年6月20日
梅雨入りしたと思ったら猛暑が続くようになった。昼間外にいると暑さで気分が悪くなる。去年も暑かったが今年はさらに暑くなりそうだ。気分転換に前から行ってみたかったミナモアにできたうなぎ屋、「4代目菊川」に行てみた。板わさでビールを飲んでいると名物の一本うなぎが焼きあがってきた。外はパリパリ中はホクホク、たれもちょうどよく美味しくいただいた。最後は出汁を入れたうな茶漬けにしたが、好みの店がまた増えてうれしくなった。
以前にも書いたがうなぎはやはりたれが大切で、こればかりは一朝一夕にできるものではない。かつてそごうにあった「伊勢定」のうなぎの味を求めていたがなかなかないものだ。新しく店ができたと聞くとすぐに行ってみるが、どの店も美味しいけれど「伊勢定」まではいかないと思っていた。「4代目菊川」もあと2~3回通わないとなんとも言えないが、いい店ができてよかったと思う。

「私はがんで死にたい」

令和7年6月13日
表題は外科医からホスピス医になり、89歳でがんで亡くなった小野寺時夫氏が2012年にメディカルトリビューンより刊行した著書の復刻版である。序文は医師で作家の久坂部羊氏が書き、あとがきは最後までそばにいて小野寺氏を看取った娘さんの美奈子氏が書いている。
小野寺氏は消化器外科医で50歳台までは第一線でバリバリ働いていたが、57歳の時に咽頭がんになり幸い治癒したが、それを契機に生き方を変えた。管理職になり患者さんを直接見なくなったのも変えられた原因だろうが、山歩きが好きだったのでハイク・サークル「かたくり」をつくり、3~40人のメンバーで毎年2~3回国内や国外で山登りやトレッキングを行うようになった。家庭菜園も始めて勤め先の病院内で配ったり、バイオリンも習い始めた。その後、頼まれてホスピスに携わるようになって、進行がんに対する日本の医療がどんなに過酷なものか思い知り、この本を書いたのである。がんはある時期を超えると治療しても治らない。抗がん剤も効かない。治療は患者を苦しめるだけである。治らないものを無理に治そうとするから苦しめるのである。痛みを緩和し、おだやかに最後を迎えられるようにするのがホスピスであり、在宅療養支援クリニックである。氏は様々な実例を示しながら、日本の医療は治療には熱心だが緩和ケアは遅れているというか、ほとんどちゃんと行われていないという。緩和ケアが充実しているなら、氏はがんで死にたいと書いていて実際にがんで亡くなった。その経緯は美奈子氏が書いているが、見事な一生だったと周囲は羨ましがっている。確かにその通りだと思う。

日本産婦人科学会

令和7年6月6日
我が母校、岡山大学で先月、増山寿教授のもとで第77回日本産婦人科学会が開かれた。大学にとって本学会を主催することは名誉なことで、医局員をはじめOBにとっても誇らしいことである。
私が産婦人科に入局した時の教授は関場香先生で、その時も岡山で学会が行われた。次の教授工藤尚文先生の時も行われ、さらに次の教授平松祐司先生の時も主宰されたので、入局後4回目の主催をみることになったわけである。準備は大変だっただろうと想像するが、すばらしいことで心からの拍手を送りたい。
本学会のテーマは「不易流行」で、松尾芭蕉の俳諧理念の一つだそうである。不易とは時代を超えて変わらないもので、流行とは時代と共に変化しているもので、温故知新と言ったらいいのだろうか。今回もWEBで参加しているが、会長講演は増山教授の人柄が表された素晴らしいものだった。
1週間でいろいろな講演や発表、シンポジウムなどが視聴出来るので、空いた時間を見つけながら利用するつもりである。