令和6年12月26日
令和6年はあっという間に過ぎた。文字通り矢のように過ぎた一年だった。年を重ねるごとに時の過ぎるのが早いとはいえ、ついこの前新年を寿(ことほ)いでいたのに、もう大晦日かと思う。
今年も今まで通りの診療ができてよかったが、周辺では閉院する施設がふえてきて、「もうやめる」という声も聴くようになった。開院して28年目に入ったが、自分ではまだまだやりたいと思っている。一貫しているのは予約診療をせず、今困っている人を診ることを第一にしていることと、検査の結果は電話で済ませることで、患者さんがわざわざ結果を聴きに来なくていいようにしていることである。薬も必要最小限にして、余計な検査はしないことも今まで通りである。この姿勢でこれからもやっていくつもりなので、来年もよろしくお願いします。
月別記事一覧 2024年12月
令和6年をふり返って
時の流れ
令和6年12月20日
今年もあとわずかになった。明日が冬至だという。ブログの「うまいもん」の所を読み返してみると、当時通っていたけれどなくなった店が多いのに気づく。それだけ年月が経ったということだろうが、時の流れを感じてしまう。
広島の軽井沢といわれた「ファーム・ノラ」も今は営業していないようだ。店主夫妻はお元気なのだろうか。休日に訪れると、バイクの集団や犬を連れた客が大勢いて、森の中の素朴なレストランを満喫できたのに。そういえば結婚式なども行われていたようで、娘の知り合いもそこで式を挙げたという。
豊平の奥にあった高橋邦弘名人のそばの店「達磨」も今はないが、その技を引き継いだ「宮島達磨」ができたのはありがたい。串焼きの店「小太郎」も閉店して5年になる。他にも「ちまき鮨」「桜梅桃杏(おうばいとうり)」「とりきん佐藤」「千代春」「若竹邑」「独楽」「中屋」「おくど」「はまゐ」「鯛の鯛」「なかもと」「かねまさ別館」「マンハッタン」「ステーキハウス三木」「KAZUの店」「千成」など多くは高齢のため閉店したところだが他の理由もあるのだろう。
お世話になったこれらの店を思い返すと、月日の流れを感じてしまう。
冬の思い出
令和6年12月13日
厳冬の頃になると時々思い出すのが餅つきである。家は養鶏業が主体の農家だったので、小学時代から田植え、稲刈りなど手伝っていた。米は自分の家が必要なだけ作っていたが一部はもち米も植えていて、冬になるとそのもち米を使って餅つきをするのが恒例だった。当時は台所には「かまど」があり、マキを燃やして煮炊きをしていた。冬休みになると一家総出の餅つきが始まる。かまどで羽釜の湯を沸かし蒸籠に入れたもち米を蒸す。2段重ねで蒸した蒸籠のもち米を、物置にしまっていた石臼を取り出して入れて杵でつくわけである。それを丸めるのは子供たちの仕事、白い丸餅、餡子入り餅、大豆を入れた豆餅、正月用の鏡餅、それらを板の上に並べて冷ましてから餅箱に入れる。
正月前についた餅は1か月でなくなるので、1月の終わりごろに再度餅つきをする。田舎では旧正月の方が主体で、1月1日は新正月と言って、旧正月の方が正月気分だった。さらに2月の終わりごろに3回目の餅つきをする。冬の間はいつでも餅が食べられるわけである。つけ焼きにすればおやつにもなるし、餅は優れた食べ物であった。今でも餅は好きだけれど少しで腹一杯になるので、当時の食欲が懐かしい。何しろ8歳の元旦には雑煮の丸餅(田舎の餅は結構大きい)をおかわりして8個食べたのだから。
年末年始の休みは12月30日(月)から1月3日(金)までです
年末年始の休み
12月30日(月)から1月3日(金)休みます
1月4日(土)から診療します
「ある異常体験者の偏見」
令和6年12月6日
表題は山本七平氏(山本書店主催、平成3年逝去)の著書である。久しぶりに読み返してみたが、今の世の中はまさに氏が指摘したとおりになっている。
氏は太平洋戦争に徴兵され、砲兵隊少尉として東南アジアで辛酸をなめ、捕虜になりかろうじて帰国した。その時に経験したことと、聖書への信奉などから、「日本人とユダヤ人」を出版、ベストセラーになり次々と著作を発表した。
表題の著作は1973年から1年間、文芸春秋に発表したものをまとめたものである。日本人が戦争を始めた思考は何なのか、その後もその考え方は変わっていないのか、様々な例を挙げて思考している。当時は「日中友好」がとなえられ、新聞社・マスコミはこぞって友好を説いた。様々な援助も行ったが、今となってはあれは何だったんだろうとしか思えない。日本人の考え方が現在の状態を招いていることを、氏は的確に説明・評論している。今でも氏の著書は本屋に並んでいるが、こんな優れた思考の人がいたことは我々の財産である。