令和3年2月24日
春のような温かさに誘われて光市の冠山総合公園の梅の里へ行ってみた。ここには100種類、2000本の梅の木が植えられていて、赤や白、薄紅の花が咲き誇っている。盛りはやや過ぎているようだったが、少なからず人が訪れていたがそれほど密ではない程度の人出だった。山全体に梅の木が植えられていて、歩きやすい通路が頂上に向かって幾層にも連なり、ゆっくり歩きながら梅の香りを堪能する。ところどころに句が読まれた石板があって風情を誘う。以前、来た時は正面の門から入ったが、混んでいたので裏から直接冠梅園に入る道を偶然見つけて歩いて登った。結構いい運動になったが、杖をついてゆっくり登る高齢の夫婦やジョギング姿で駆け登る若者などが散見された。今まさに三寒四温で寒い日と暖かい日が交互にやってきているが、次第に暖かくなっていくのだろう。春を予感する一日だった。
月別記事一覧 2021年2月
残り梅
「医療現場は地獄の戦場だった」
令和3年2月17日
表題はハーバード・メディカルスクール第2の教育病院、プリガム・アンド・ウイメンズ病院のERに勤務する大内啓医師の著書である。新型コロナウイルス感染で運ばれてくる患者さんを受け入れているERの様子を淡々と描いているが、そのすさまじさは驚くばかりである。酸素飽和度の下がった患者にはマスクによる酸素投与、改善しなければ挿管を行うが、一度でうまく管が気管に入らない場合は死ぬ可能性が高いという緊張の中で、どんどん送られてくる患者さんの治療にあたるのは手に汗を握る心持である。仕事を終えて全身を完全に消毒して帰宅しても、家族とは接しない生活を続けている。
後半では大内氏がなぜアメリカで医師になったかを書いているが、父親の仕事の都合で小学校卒業後にアメリカに渡って英語も中途半端、劣等生だったが23歳で一念発起、30歳まで猛勉強をして医師になった。4年間のメディカルスクールの学費26万ドルは学費ローンで賄い、部屋代と生活費は親のすねをかじったという。医師になってからは内科と救急医療の専門医資格を取り、東日本大震災の時もDIMATの一員として石巻市で3週間医療活動を行った。
日本とアメリカの医療制度の違いも的確に書いていて、実に興味深く読ませてもらった。
ハイブリッド研修会
令和3年2月10日
広島県で毎年行われる産婦人科研修会が、今回は関係者の尽力で会場とWEBのハイブリッドで開催された。演題は岩成治島根県産婦人科医会会長による「子宮頸がん征圧のための最適な検診」と山田秀人元神戸大学産婦人科教授による「最新の母子感染対策:トキソプラズマ、サイトメガロウイルスほか」の2題である。今回はWEBで受講したが、やはり講演そのものは分かりやすく快適だった。会場で受講する場合、後ろのほうだったらスライドの小さな文字が読めないことがあるし、前に座っている人が邪魔で見えないこともある。WEBではこれらのことはすべてクリアされるし、講演の先生も仕事場や自宅(島根県と北海道)から講演できる。普段なら広島までの往復の旅費、滞在費、講演後の接待などかなりの負担がかかるし、講師の先生も1時間の講演なのに1日以上の時間を費やさなければならない。これらがすべて必要なくなるので合理的である。問題なのは人と人とのつながりが希薄になることである。やはり実際に会って話をしたり、食事をしたりすることで共感できることが大切である。コンサートなどは臨場感がいいのであって、CDやDVDでは限界がある。でも研修会についてはコロナ終息後もWEBと半々になっていくのではないだろうか。
コロナ自粛も終わりそうか
令和3年2月2日
暮れから感染拡大してきたコロナもようやく収まりだしたようで、緊急事態宣言も延長とはいっても順次解除になっていくと思われる。欧米と比べて我が国の人々の素晴らしさが浮き彫りになっている。いざとなれば一丸となって国難に立ち向かうのは、先の大戦のときもそうだが明治維新などでも同様ですごいことだと思う。先の大戦で米国が恐れ、我が国を完膚なきまでに痛めつけ、憲法まで押し付け、マスコミを統制して戦争を起こしたのは旧軍人でそれは悪いことだったと宣撫させたのも、こういう民族だと思ったからだろう。
コロナによる飲食業の疲弊度はひどいものであるが、移動・観光業会をはじめすべてにわたって甚大な被害がある。それでもみんなはじっと耐えて頑張っている姿を見ていると、日本はなんていい国なのだろうと改めて思う。以前にも書いたがアインシュタインが来日した時に「こんな素晴らしい国があることを神に感謝する」と言ったのもお世辞だけではなさそうである。