令和2年10月9日
表題は盛唐の詩人王昌齢の七言絶句の末尾にある言葉で、ひとかけらの氷のように澄みきった心という意味であるが、人と接する時には思い込みや偏見を持たずありのままの人となりを見るようにすれば世界が変わっていくだろう、という文章を読んで「これだ」と思ったことである。どうしても自分の目から見た偏見が入って、その人物を正しく判断してないことを反省することがちょくちょくあったからである。なるほどそういう目で他人を見ると少しずつ世界が変わっていくように感じた。
中国にはかつては素晴らしい人物がいて、今でも読まれている詩などの文化があった。漢詩の簡潔な表現が好きで、漢文の授業は音楽の次に好きだったが、遠い地に赴任して行く友を送る詩はことにいい。「氷心」の言葉のある詩も王昌齢が江寧(コウネイ:いまの南京)の副知事をしていた時、洛陽に旅立つ親友:辛漸への送別として作った詩
「芙蓉楼送辛漸(ふようろうにてしんぜんをおくる)」である。
寒雨連江夜入呉
寒雨(カンウ) 江(コウ)に連(つらな)って 夜 呉に入る。
冷たい雨が揚子江に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやってきた
平明送客楚山孤
平明(ヘイメイ) 客を送れば 楚山(ソザン) 孤(コ)なり。
夜明け方、君を送れば、行く手に楚山が一つさびしく聳(そび)え立つ
洛陽親友如相問
洛陽(ラクヨウ)の 親友(シンユウ) 如(も)し 相(あひ)問(と)はば、
洛陽の親友たちが、もし私のことをたずねたら、
一片氷心在玉壺
一片の 氷心 玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
玉の壺に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれたまえ。