平成28年2月26日(金)
表題は米国ダートマス大学医学部教授、H・ギルバート・ウェルチ氏他2名の著書で、副題は「健康診断があなたを病気にする」である。健康診断や人間ドックが当たり前になっているのは日本だけかと思っていたが、アメリカ人も早期診断が好きらしい。もちろん我が国のように職場で強制的に健康診断を受けさせられる制度はないようだが、個人的に健康に気を使って早期診断を望む人は結構いるようである。アメリカでは危険因子の発見、疾患啓発キャンペーン、がんのスクリーニング、遺伝子検査などが行われていてそれをありがたがる人が多いという。
以前は具合の悪い人だけが医者にかかっていたが、高血圧の薬を処方する基準を下げた頃から「将来具合が悪くならないように」という理由で現在なんにも異常を感じない人にも検査を行い、あらかじめ薬を出すようになった。医療パラダイムの変化である。そしてこの流れは、医療経済の拡大と並行して異常の定義そのものが徐々に拡大しているためいっそう悪化しているという。なぜこのようなことが起きるのか、多くの人にとって診断を受け薬を処方されるメリットがない現実を、データを示して説明している。
我が国にもきちんとしたデータに基づいて健康診断のデメリットを示している医師たちもいるが、「健康診断は必要だ」の声にかき消されている現実がある。アメリカにもこのような誠実な医師たちがいることに安堵したことである。
月別記事一覧 2016年2月
「過剰診断」
母子健康手帳とマイナンバー
平成28年2月19日(金)
マイナンバー制度が始まり、広島市でも今年の1月1日より母子健康手帳をもらうときに個人番号カードが必要になった。昨日市役所から届いた書類で知って驚いた次第である。個人情報保護法についでマイナンバー制度という悪法?ができて、早速妊婦さんの負担が増えたわけである。今までは母子手帳は予定日さえ言えばすぐに交付されていて、手帳についている無料券などは、医療機関でしか使えないので何の問題もなかったわけである。
法律や制度というものは住民のためになるべきであるのに、かえって負担を増やしてどうするのだろう。今の社会は、いろいろな分野で一部の不届き者のために多くのまともな人の負担を増やす方向に制度が作られているように思う。どんな法律や制度を作っても守らない者や悪用する者はいるので、そのような者には罰則を重くして一般人の負担を少なくするように努めるのが良い社会ではないだろうか。
[母子健康手帳交付について]
手続き:各区保健センターの窓口で妊娠届に必要事項を記入
持参物:①本人の「個人番号カード」「通知カード」「個人番号の記載された住民票の写し」のいずれか ②本人の身元を確認するもの(「個人番号カード」「運転免許証」「パスポート」等、顔写真がないものは健康保険証や年金手帳等2つ以上の書類が必要)
面倒になってしまった。
野風増(のふうぞ)
平成28年2月13日(土)
久しぶりにデュークエイセスのアルバムを聴いていたら、リーダーのバリトン谷道夫がメインで歌う「野風増」に惹かれた。この曲は亡き河島英五が歌って広く知られるようになっているが、元は作曲家山本寛之がリリースしたもので堀内孝雄、出門英(懐かしい)、財津一郎、橋幸夫、レオナルド熊、芹沢博文など多くの人がCDを出している。谷道夫の深みのある声と歌い方は、歌詞のちょっと気恥ずかしいところを補ってピッタリしている。
「のふうぞ」とは岡山の方言で生意気とかつっぱるという意味だそうであるが、自分はこの言葉を聞いたことがないので同じ県でも地域によって違うのだろう。「野風増の会」というのが東京と岡山にあり、母校の医学部教授も参加して毎年新年会・親睦旅行が行われているらしい。
お前が20才になったら 酒場で二人で飲みたいものだ
ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのひれ
お前が20才になったら 想い出話で飲みたいものだ
したたか飲んでダミ声上げて お前の20才を祝うのさ
いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい
いいか男は 大きな夢を持て
野風増 野風増 男は夢を持て…!
看取り先生の遺言
平成28年2月5日(金)
表題はフリージャーナリスト奥野修司氏が、末期がん患者のための在宅ケアに邁進していた岡部健医師が進行した胃がんで亡くなるまでの9か月間にわたる聞き取りを、岡部医師の遺言として著したものである。
1950年生まれの岡部医師は宮城県立がんセンター呼吸器科医長、肺がんの専門医として腕を振るっていたが、治すことのできない多くの患者に出会い病院での治療に限界を感じたため1997年に岡部医院を設立、がんや難病患者のための在宅緩和ケアを始めた。設立時は数名のスッタフだった医院も、岡部医師が亡くなる2012年には医師や看護師、ソーシャルワーカー、鍼灸師、ケアマネージャーなど95名のスタッフが宮城県名取市、仙台市などを中心に年間300名以上を看取るようになって、国内でもトップクラスの在宅緩和ケア専門の診療所に育っている。
肺がんの専門家でありながら在宅緩和ケアのパイオニアとして2000人以上を看取った岡部医師が自ら「死の準備」をするかのように9か月間語った内容は非常に重くて深い。死を覚悟せざるを得なくなったときに、死という闇へ降りて行く「道しるべ」がないことに気づき愕然としたという。医療者だけでなく宗教者と共に「道しるべ」を示そうと臨床宗教師を創ろうとした。末期の患者の多くが「お迎え」という不思議な現象を体験することに興味を持ち、グループと専門家で調査をして論文として表している。氏の遺書ともいうべきこの著書は、志を同じくする医療者のためだけでなく、一人ひとりがいずれあの世に旅立つときの道しるべになると思われる。