平成27年6月26日(金)
桂枝雀のCD版「落語大全」は全巻そろえていて何度も聞いているが、枝雀の若い頃、小米から枝雀になった頃から爆笑王と言われるまでのNHKラジオアーカイブ「桂枝雀落語選集」を手に入れて聞いてみると、その頃はいわば楷書の落語でそれなりに面白く聞いた。
普通、芸人は受けたネタはあまり変えずに演じるものだが、枝雀はどんなに受けてももっと面白くできないかと考えていたようで、いつも試行錯誤していたふしがある。最近手に入れたDVD版「枝雀落語大全」はCD版とは異なった収録で、弟子たちの話やゲストとの対談などもあり実に興味深いものであった。収録の日付を見れば同じ話でも以前の演じ方とどう変わっているかわかるし、工夫やとらえ方の違いがなんとなく感じられる。
枝雀師が亡くなる直前の頃の落語は別の意味で迫力があり、もし生きていたら今どんな落語を演じていたかと思うと残念でならない。
月別記事一覧 2015年6月
桂枝雀「落語大全」
遠藤滋著「中国人とアメリカ人」
平成27年6月19日(金)
表題の著者遠藤氏は、昭和33年に慶応義塾大学を卒業後三井物産に入社してアメリカに13年、中国に10年、ビジネスの責任者を歴任し、定年退社後は香港の華僑グループのサポートをしているいわばグローバル商社マンである。アメリカでの仕事を通じて得られた経験と中国での経験の両方から、それぞれの国の人となり・特徴を記しており興味深く読んだ。
中国人とアメリカ人は似ている点が多いという。それは「集団より個が原点、自己中心主義」「大局を語るが力点は短期の利害」「オープンでアバウト、後悔しない」「自己主張、自己弁護がうまい」「左手で殴りながら右手で握手できる」「人生は楽しむものと考えている」などで日本人とはずいぶん異なっているようだ。日本の良さは、社会秩序がしっかりして安全で平等な国であること、技術・工業力も高く、精神文明面でも抜きんでた静かながら一体感のある社会を作り上げていることである。ビジネスでの彼らとの折衝ではもっと自己主張をするべきだが、結局は「人となり」であるという。自分の経験したことのない世界の話なので、面白く読ませてもらった。
「福太郎」の衰弱
平成27年6月12日(金)
このところ朝夕の散歩のとき、ぶさいく犬「福太郎」はしばしば足を止めて動かなくなっていた。それでもしばらくするとまた普通に歩きだして、公園の中の草花のにおいをかいだりマーキングにいそがしそうだった。ところが4~5日前から少し歩いてもしんどそうで、今まで通っていた公園にはもう行くことができなくなった。そこで近所の小さな公園をぐるっと回ることにしたが、それもできなくなってしまった。
推定年齢14歳なので仕方ないと思うが腹水がたまっているらしく、何も食べず水を少し飲んでじっとしている。今朝は玄関を開けるといつもの散歩を思い出したのだろうか、よろけながら立って尻尾を振っているがそれ以上は動けないようだった。かわいそうだが見守るしかない。苦しんでいるようには見えないのがせめてもの慰めである。亡くなったら骨の一部を田舎の父の墓の近くに埋めてやろうと思っている。父が10年以上飼って一人暮らしの時期も支えあっていた愛犬だったから。
入梅
平成27年6月5日
一年のうちで最も好ましい若葉の季節があっという間に過ぎて、とうとう梅雨入りしてしまった。「とうかさん」は今日から始まるが朝から雨模様で、例年この祭りの3日の間には1日は必ず雨が降るという私的ジンクスが、今年も証明された。今日から3日間、中央通りから本通り、胡通り・流川のあたりは浴衣の女性、若者、家族連れの人たちで大いににぎわうだろう。「とうかさん」のことをつい忘れて、飲みの約束をして後悔したことが何度もあるが、今年は家でおとなしくするつもりだ。それでも夕方、仕事が終わって帰宅途中に見かける浴衣姿は風情があっていいものである。
二十数年前、中電病院に赴任して初めて病院官舎の人たちと「とうかさん」に家族で行った時も雨が降ってきたことを覚えているが、月日のたつのは早いものである。そして人生はどのように展開するのかわからない。当時、二十数年後の自分がこの地に開業してこのような文章を書いているとは、夢にも思わなかった。