平成25年10月25日(金)
近藤誠医師の「医者に殺されない47の心得」は100万部のベストセラーになり、同時期に出版された「余命3カ月のウソ」「抗がん剤だけはやめなさい」「がん放置療法のすすめ」なども合わせると今、最も影響力のある本である。近藤氏が1996年に著した「患者よ、がんと闘うな」以来、一貫して世界中の論文、データ、自身の診療からの経験を通して訴えていることは、患者さんを治そうとすることがかえって苦しめることになっている事実に警鐘を鳴らしていることである。医学界からは反論はあったが、近藤氏の緻密な理論を論破できず「無視」をきめこんでいた。
最近、新潮45、11月号に掲載された西智弘医師の「近藤誠はなぜ売れるのか」という文章を読んだ。西氏は近藤理論をほぼ否定しており、「抗がん剤は効く」と主張しておられる。問題なのはその根拠が、自分の経験では○○さんには効いたという実例をあげての理論で、近藤氏のデータと論文をきちんと分析したうえでのそれと比べると説得力がないことである。
新潟大学名誉教授岡田正彦氏の「医者とクスリの選び方」を読むと、近藤氏とほぼ同じことを述べていることがわかる。曰く、「がん検診は有効でない」「抗がん剤は効かない」「健康診断、ドックは長生きに無関係」「薬をたくさん出す医者は要注意」など、近藤氏の主張を代弁しているかのようである。真実というものは変わらないものだと思った次第である。
月別記事一覧 2013年10月
近藤理論への反響
弥山に登る
平成25年10月18日(金)
連休に湯布院に行く予定がなくなったので、運動不足の解消の意味もあり宮島の弥山(みせん)に登った。海抜535メートルの高さで登山というには気が引けるが、海抜0メートルから歩いて登っていく結構急峻な岩山なので、甘く見ると仕返しされるそうである。
世界文化遺産になった安芸の宮島は、古来より神の宿る島として崇拝されており、厳島神社の背後にそびえる弥山は様々な歴史があり、登山道も整備され初心者にも格好の山である。いくつかのコースがあるが、最も一般的な「紅葉谷公園入り口コース」を選び山頂を目指した。以前ロープウエーで登ったことはあるが歩いたのは初めてである。息をきらして何度も休みながら登ったが、外人さんの多いこと、さすが世界遺産である。約1時間半で頂上に着いたが、あいにく展望台は工事中で視界は今一つだった。おにぎりを食べリュックに忍ばせた加茂鶴を飲んで下りは途中に仁王門のある「大聖院コース」を選んだ。このコースが最も整備されているが、これが失敗だった。ほぼすべて石段になっていて膝にこたえるので、本来は登りより早くふもとに着くはずが同じくらい時間がかかった上に疲れた。帰りは己斐駅で下車し大好きなそば屋「はっぴ」で一杯やって帰宅。ここの主人夫婦は明日から10日間店を閉めてマラソンに行くのだとか。
山登りは途中は苦しいけれど登りきった達成感は、その時はそれほど感じなかったけれど翌日、翌々日と、ふくらはぎの痛みが癒えるに従ってわいてくるものだと実感した。季節によっては山歩きもいいと思った。
適材適所
平成25年10月11日(金)
学生時代から試験管を振ったり文献を読み込んで研究することがあまり好きでなかった。とにかく臨床をやりたかったので、実際に患者さんの問診をしたり聴診器をあてたりする実習、ポリクリ(臨床修練)と呼んでいたが、これが最も楽しく真剣にやることができた。実験室にこもって研究するより患者さんと接する方が性に合っていたのだろう。また、大学に残って教授を目指そうとか大病院の部長とか院長になろうとか思ったことは一度もなく、早く技術を身につけて自分の目の前の患者さんを自分のできる範囲で対処できればいいと思っていた。だから優秀な同級生や先輩、後輩には心からエールを送り初心を貫いてほしいと思ったものである。
幸い、自分の分に応じた医院を開くことができ、自分にできる診療を行ってきて気がつけば16年、先月から17年目に入った。これは医者になって三十数年のほぼ半分である。毎日、気持ちよく診療させていただいてありがたいことだ。たぶんこの状態が一番自分に合っていたのだろう。勤務医時代の多忙な日々もやりがいはあったし面白かったが、今あの頃の状態に帰れと言われても無理である。だれでも、その人に合った仕事をその人の状態に合わせて一生懸命やるのが一番幸せなことなのだと思う。
山崎豊子氏の作品
平成25年10月4日(金)
話題作を量産した作家、山崎豊子氏が亡くなった。氏の作品を初めて読んだのは高校時代、「白い巨塔」「続・白い巨塔」で、大阪大学をモデルにしたことがすぐにわかる「浪速大学」が舞台になっていて面白かったのだが、医学部を目指していた自分としては大学病院というのは怖いところだと思ったことである。話のポイントは財前教授が癌を見逃したために患者が亡くなるというところであるが、この点には疑問符がつくが細かい点がきちんと描かれていて今読んでも新鮮である。その後盗作問題などが話題となって、この作家に対して興味を失っていた。
十数年前、ふと本屋で見つけた吉本興業の創業者「吉本せい」をモデルにした「花のれん」を読んで面白さにはまって、文庫本になっている作品はほぼすべて読んだ。大阪商人でも特権階級といわれた「船場」で生まれた作者は、さすがにこの分野は詳しく思い入れもあり実に興味深く読ませてもらった。最も面白かったのは足袋問屋の後継ぎ息子の、家つき娘だった母、祖母たちとの葛藤を芯に、その成長と放蕩を描いた「ぼんち」で、この人でなければ書けない作品だろう。それにしても力のある作家だったと思う。合掌。