月別記事一覧 2012年12月

一年をふり返って

平成24年12月28日(金)
今年の診察日もあますところ今日と明日29日(土)の2日だけになった。早いものである。いまさらながら「光陰矢の如し」を実感している。この機会に一年をふり返ってみよう。
クリニックについては例年と同じペースであるが新患が増えているように感じる。以前からの患者さんも変わらず必要に応じて来院していただいているのはありがたいことである。スタッフが充実・安定してきたことが特に心強い。来年もこのままでいくことができればと思う。
健康に関しては特に問題はないが、腰痛には苦労した。そもそもゴルフを再開しようとしたのが間違いで、結局テニスも中止しているありさまである。もっとも軽いラリーぐらいならできるが、もっぱら散歩に集中している。毎日の晩酌は欠かさず、飲み会も今までと同じペースで行っているのも健康のおかげである。国内小旅行にも何回か行くことができたし新たな発見もあった。子や孫たちも元気でいるようでありがたいことである。尺八は自分の求めているところには全然達していないが、やる気十分でさらに研鑽を重ねるつもりである。
こうしてふり返ってみると、とりたてて変わったこともなく平穏な一年だったようだ。ありがたいことである。大いなるものに感謝。

ゲーマー

平成24年12月20日(木)
男の子は総じてゲーム類が好きである。恥ずかしながら自分も小さい頃から大好きであった。昔は今みたいにコンピューターゲームがなかったので、手作りも含めた対戦ゲームをしていた。将棋を使った遊びでは、はさみ将棋・(本)将棋・山崩し・歩から王将になる、すごろくみたいなものを工夫して遊んでいた。ダイヤモンドゲーム、釘立て、そのほかなにか遊べるものを見つけてゲームにしていた。エポック社の野球盤を友達の家で見た時の衝撃は大きく、買ってもらった友人が羨ましくてたまらなかった。当時は高価なもので買ってくれとも言えず、段ボール箱を利用して自分で作ったりしたものだ。
学生時代はマージャンにはまり、パチンコ・雀球・スマートボール・ドボン・花札などもやったが、30代の初めごろから爆発的に普及したのがファミコンゲームで、これには大いに時間を費やした。そのころ囲碁にも目覚め、ヘボ碁を打ちスター棋士の棋譜を並べて喜んでいたものである。ゴルフもいわばゲームであるから面白かったが、体を使うので向き不向きがあり腰痛のため止めざるを得なかった。現在はさすがにソリティアぐらいしかやっていないが、時にNHKの囲碁・将棋の対戦を見たり、名人戦の棋譜などを見て楽しむことはある。
こうしてふり返ってみれば、山上憶良の「遊びをせんとや生まれけむ…」は真実であり、特に男の子は一生ゲーム類を含め遊びが好きなように生まれついているのではなかろうか。

総選挙

平成24年12月14日(金)
いよいよ衆議院総選挙が行われる。今ぐらい政治家に対する尊敬の気持ちがなくなっている時代はないのではあるまいか。あれだけ大見得を切って政権についた民主党のていたらくを見て、国民は完全に失望していると思われる。かといってそれに替わる政党もどんぐりの背比べのようだ。わずかに自民党や維新の会のほうがましで、ここに希望を託すしかないのだろうか。
民主主義の弱点はポピュリズム、あえて言えば衆愚政治になりやすいことだと思う。だれでも20歳になれば社会人としての責任・義務を果たしていなくても自動的に選挙権が得られる。ここが問題である。ポピュリズムに流されないためにはどうしたら良いか。やはり制限選挙にするのがいいと思う。たとえば18歳になれば誰でも選挙権を請求できるが審査があり、条件を満たさなければ選挙権は得られないようにする。曰く、国民の義務を果たしているか、ちゃんと社会生活をしているか、反社会的なことをしていないか、さまざまな判断ができるか、人のためになることをしているかなど、総合的に審査し(審査委員をどうするかという問題はあるが)、選挙権を持てる人を数十人に一人ぐらいに絞り込む。
そうなると立候補する人も、今までのように口当たりのいいことや、実行もできない口約束・親の七光などは使えなくなり、国や人々のことを本当に思う人たちが実現可能な政策を掲げ、それを冷静に判断して投票するのでポピュリズムの弊害はかなり防げるのではないか。また一度は選挙権を持った人でも、条件が満たされなければ権利が失われるようにすれば公平を保てるだろう。

どうせ死ぬなら「がん」がいい

平成24年12月5日(水)
表題は以前紹介した中村仁一医師と近藤誠医師の対談である。二人とも医師として全く違った道を歩んできたけれどもほぼ同じ考えになっていることがわかる。いわく、「死ぬのはがんにかぎる、ただし治療しないで」「がんの9割に抗がん剤は無効」「老化は治療できないのだから医療機関に近づくな」「ワクチンやってもインフルエンザにかかる」「高血圧の基準値の変更で薬の売り上げが6倍になった」「検診はムダだ」など、様々な点で意見が一致している。
思うにお二人とも経験と理論から「がん」「老化による変化」は治せないと確信し、患者に苦しみしか与えない治療を受けないように警鐘を鳴らしているのだろう。そして「こういうことを言えば医療界では村八分になる」とわかっていても言わずにいられない情熱と勇気がある。
1800年代のヨーロッパにセンメルヴェイスというハンガリー人の産科医がいた。彼はウイーン総合病院の産科に勤務していたが、自宅分娩や助産婦が行う分娩と医師が行う分娩では産褥熱の発生率が10倍も違う(助産婦では死亡率3%に対して医師では30%!の死亡率)ことに疑問を持ち調べた結果、医師が手指消毒すればよいことに気づきそのようにしたところ産褥熱は激減した。これを当時の医学会で発表し医師たちに消毒の大切さを説いたが、学会では受け入れられなかった。ウイーン総合病院の任期が切れ除籍した後、妊産婦の死亡率が3%から30%に増えたのを見たセンメルヴェイスは、各病院をまわり消毒の大切さを説いたが相手にされず悲惨な最期を遂げた。のちに彼の説の正しさが追証され「院内感染予防の父」と呼ばれるようになった。
近藤医師、中村医師とセンメルヴェイスは同じように思える。