月別記事一覧 2012年9月

四季の味

平成24年9月28日(金)
季刊誌「四季の味」は食の奥深さを教えてくれるので、春夏秋冬、それぞれの号を買ってクリニックに置いている。毎号面白い記事が満載であるが、その中で金沢の料理屋「銭屋」の主人のエッセイ「銭屋の勝手口」は軽妙かつ深みのある文章で、毎回楽しみにしている。
今回の話題は、28年前にパリの大学で日本文化を学んでいたパリゼンヌが「銭屋」に1カ月ホームステイしたところから始まる。日本酒の旨さに驚き、日本文化を知れば知るほどすっかり日本を好きになった彼女は、大学卒業後は日本企業で仕事を始め日本に定住してしまい、グラフィックデザイナーの岡達也氏と結婚して会社を立ち上げ、実業家として活躍しているそうである。和服にもはまって、とうとう「パリゼンヌの着物はじめ」という本まで出しているという。
その彼女が毎年「金沢おどり」の時期に、見事に和服を着こなして銭屋のカウンターで食事する姿を見るのが楽しみだという。人と人との縁というものの面白さを表した文章を読むにつけ、「銭屋」を訪れてみたいと思うようになっている。以前、金沢を訪れた時は「みつ川」「つる屋」に行ったが、次に行く機会があればぜひ「銭屋」のカウンターに座ってみたい。

琵琶湖・彦根城・天橋立

平成24年9月21日(金)
16・17日の連休は京都まで新幹線で行き、レンタカーを借りて琵琶湖東岸をドライブして天橋立に泊まった。予定では彦根城を皮切りに歴史探訪しつつ北上し、夕方宿に着くことにしていた。あいにく台風が九州の西を通過していたが、こちらは天気も良くほとんど台風の影響がなかったのはありがたかった。京都から彦根城まで名神高速道に乗ったのが誤算で、交通渋滞のため予定の時間より1時間30分あまり余計にかかったため、彦根城を見た後は直接天橋立に行くしかなかった。
わが国には国宝になっている城は4つしかなく、彦根城はそのうちの1つである。周囲の堀は3重になり石垣も重厚で、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が豊臣家と西国の大名を監視する務めを井伊直政に命じ、早世した直政の子直継の代に築城されたものである。天守閣内部の階段は急峻で隠し部屋もあり、戦国時代の名残を感じさせるつくりであった。
天橋立は文殊荘「松露亭」に泊まった。天橋立を正面に臨む松林の中に建つ平屋・数寄屋造りの静かな宿で、早朝、正面の海から昇る太陽には思わず手を合わせたくなる神々しさが感じられた。宿の隣にある智恩寺に朝のお参りをする地元の人が散見され、信仰が生活と密接につながっている様子が見えた。
帰りは琵琶湖の西岸を通って比叡山延暦寺へ。琵琶湖を一望するロテル・ド・比叡のテラスで昼食、京都駅の混雑にはうんざりして新幹線で仮眠しつつ帰広、駅ビルの居酒屋で一杯やって帰宅、こんな旅もまた楽しい。

うつ病の回復とは

平成24年9月14日(金)
最近読んだうつ病に関する最も納得できた論文を紹介する。著者は沖縄協同病院心療内科部長の蟻塚亮二医師で、弘前大学を卒業し青森県で精神科医を務めていたが、加重労働からうつ病が再発し2004年から沖縄に移住し診療・講演を行っている。氏によれば「うつ病が治る」ということは、病気になる前の自分に戻ることではないという。
うつ病の回復戦略とは①環境要因に無理があったらそれを是正すること、②環境要因にどうしても適応できなければ環境を変えること、③本人の価値観の相対化・対人スキルアップをはかることであるという。さらに従来の内因性うつ病とは異なる「適応障害に伴ううつ病(特に若者のうつ病)」については発達課題への支援が必要だと説く。
「治る」とは病気になる前の自分に戻ることではない。病気になる前の自分に戻るなら、また病気になる。生きることのどこかに無理があったから病気になったのだ。だから「治る」とはもっと楽な生き方に変わることである。仮に生きることを惑星の軌道にたとえるなら、「生きる軌道を変えること」こそがうつ病の回復目標である。
また、「この世に絶対的な価値があるとすればそれは生きることだけであり、その他の価値は相対的なものでしかない」と伝えて、世間で良しとされる価値観の相対化を繰り返すことにしているという。
他にも色々書いてあったが、うつ病に関する腑に落ちるわかりやすい論文だった。

開院15周年

平成24年9月6日(木)
当院は平成9年9月10日に開院したのであと数日で15周年を迎え、16年目に入ることになる。15年といえばずいぶん長いようだが、開院した日のことを昨日のように思い出すのが不思議である。開院した時のコンセプトは今と変わらず、患者さんの傾向も同じで変わったことといえば、ピルを求める人が増えていることだろうか。
この15年で産婦人科もずいぶん変わってきた。女性医師が増えたこと、お産をする病院・医師が減ってきたこと、産婦人科を志望する医学生が減ったこと、入院設備のないクリニックが増えたこと、産婦人科自体が斜陽になっていることなどいずれも開業前に予想した通りの状況になっている。それでも当院が、ほぼ自分のやりたいことだけをやって存続できているのは本当にありがたいことである。これからも、検査は必要なものだけ・薬は必要最小限・通院回数はできるだけ少なくてすむように・医療は癒し・のコンセプトを守っていきたいと思う。