平成21年6月26日(金)
違和感を持ったり使いたくない言葉はそれぞれの人にあると思う。自分の場合、職業柄よく聞く言葉では「看護師」という言葉と「患者様」という呼び方に違和感を覚える。明治時代(もっと前かも)以降百年以上定着していた「看護婦さん」を今の言葉に変える必要があるのだろうか。「患者様」は今までどおり「様」と言わず「さん」と言えばいいのだが、「看護師」は言葉自体を変えてしまったのでどうしようもない。
自分が病院を受診したとして、医師や看護師、受付の人から「○○様」と呼ばれたらぞっとする。銀行や高級サロンではあるまいし、やはり「○○さん」がいちばんしっくりする。また「看護婦さん」という呼び方には、病んだ心身を癒してもらえるような安心感があるが、「看護師さん」ではよそよそしさを感じるのである。こんな呼び方にわざわざ変えた人たちの見識を疑う。
月別記事一覧 2009年6月
使いたくない言葉
臓器移植法案
平成21年6月20日(土)
臓器移植の法案が衆議院で可決された。脳死をヒトの死と認めることを多数決で決めたことになる。
以前にも書いたが、ヒトの死という根源的な問題を国会議員に多数決で決めてほしくない。臓器移植をするために仕方なく決めたと思われるが、そもそも医療は個人的なものである。臓器移植にせよ借り腹問題にせよ他人がとやかく言う問題ではない。お互いが納得できていればいいと思う。
犯罪や金儲けは絶対にできないように監視することは必要だが、日本人の死生観からはこれらの行為がエスカレートするとは思えない。もっと議論を深めて、脳死をヒトの死とわざわざ言わなくても可能な方法もあるだろう。真理は多数決とはもっとも遠いところにあると思う。
サイモンとガーファンクル
平成21年6月10日(水)
サイモンとガーファンクルが来日して大阪でコンサートをするそうだ。同世代の友人知人が何人も行くそうである。高校時代にはじめて聞いた「サウンドオブサイレンス」は衝撃的であった。以来、彼らの創り出すメッセージを含めた高い音楽性の曲たちは、我々を魅了し続けた。そういう人たちでコンサート会場は埋め尽くされることだろう。
青春期に影響を受けた音楽は、いつまでもその人にとって魅力を持ち続けるものである。最近よしだたくろうが復活しているし、矢沢栄吉も健在である。一方、かつてファンだった歌手が年をとって衰え、声が思うように出なくなったのにテレビのリバイバル番組で歌うのを見るのは無残である。大切にしていた思い出が壊されるようで、きっとその歌手も自分の衰えがわかっていると思われ、お互いにつらいことだ。サイモンとガーファンクルはどうなのだろうか。
5年日記
平成21年6月3日(水)
朝から雨が降っていて、6月になったばかりなのに梅雨を思わせるような天気である。昨年の今頃は何をしていたか思い出せないので、そのような場合はこの診療日誌を見ることにしている。細かいことは思い出せないが、その頃の心境や雰囲気は伝わってくるからだ。ついでに一昨年、その前の年の日誌なども見ると毎年同じようなことをやっていることがわかる。
私の父親は今86歳になるが以前は5年日記なるものをつけていた。この日記帳は、同じページが5段に区切られていてそれぞれの段毎に年が変えてあるので、前の年は何をしていたかすぐわかるようになっている。今は3年日記にしているようであるが、毎日書くのは大変ではないかと思うが習慣になっているのだろう。
一日一日の積み重ねで時が過ぎて行くのだから、これから先もあまり変わり映えしないことだろう。でも、平穏な日々が続くことがなによりのことだと思う。