月別記事一覧 2007年9月

酒はうまい

平成19年9月29日(土)
アルコールに弱いくせに好きで、このところ冷酒がじつにうまい。イカの塩辛や塩うに(福井市、天たつの越前雲丹は絶品である)などをさかなに飲むと、しみじみ日本に生まれてよかったと思う。元来アルコールに弱いので多くは飲めず、少ない量で満足できるのはありがたいことである。初めに飲むのは「とりあえずビール」で、特に汗をかいた暑い日に飲むと、ビールを発明した人にはノーベル賞をあげても追いつかないと思えるほどうまい。
父親はアルコールを受けつけない体質で、実家には酒というものがなかった。たまに「赤玉ポートワイン」と「養命酒」があったように記憶しているが、なにしろ酒に縁のない家だったと思う。それが我が家にはビール、発泡酒、冷酒、ワイン、ウイスキー、焼酎など一通りそろっているし、みな勝手に飲んでいるようである。特にビールと日本酒の消費が多いのは好みから当然である。いつまでおいしく飲めるかわからないが、できれば永く飲んでいたいものである。

中島義道著「うるさい日本の私」

平成19年9月24日(月)
哲学者中島義道氏の「うるさい日本の私」という著書がある。彼はウイーン大学での留学を終えて帰国した途端にさまざまな場所での放送音に悩まされるようになる。曰く、「列車が入ります、危険ですので白線の内側まで下がってください」とか、ATMの機械では「毎度ありがとうございます…操作ボタンを押してください…ありがとうございました」など、欧米では皆無のおせっかい放送が耳について仕方ないというのである。さらに、道路わきには「暴力追放宣言都市」だとか「交通安全宣言都市」などなんの意味があるのかといったポスターがべたべた貼られているの見るにつけ、これらの意味があると思えないものに違和感を覚えるのであった。
以来十数年、改善すべく孤軍奮闘してきたけれど日本ではいっこうにこれらのおせっかい放送やおせっかいポスターがなくならないのである。ついに、同様の違和感を持つ哲学者加賀野井秀一氏と共著で「うるさい日本を哲学する」という本を出すに至ったのである。

ドラリオンとおくむら

平成19年9月18日(火)
連休を利用して「ドラリオン」を観に大阪へ行き、京都をまわってきた。ドラリオンはカナダのシルク・ド・ソレイユが世界各地で行っている体操演技を思わせるようなショーで、今回は中国雑技団を連想させる演技が見られた。よくぞここまでできるものだと感心しきりであった。実は以前同じ集団の「アレグリア」も観ているが、前作とは違った面白さがありレベルの高さが感じられた。
京都はまだまだ暑いので、午前中早めに嵯峨野をまわり昼食は予約しておいた「西洋膳所おくむら」一乗寺本店でランチをとったがこれが最もすばらしかった。味、コストパフォーマンス、接客態度、すべて最高で、味にうるさい人にも薦められる。また京都に来る機会があれば次回は夜にぜひ訪れたいと思ったことである。

広島の不思議

平成19年9月8日(土)
広島に住んで16年になるが、どうしてもわからないことが三つある。
一つは広島空港が本郷に移ったことである。ビジネスも含め、最も必要とするのは広島市内の人である。空港が狭いのなら沖へ伸ばせばはるかに少ない費用でできるし、広島の発展のためになったはずだ。本郷に空港ができたとき、週刊新潮に「天下の奇港」という揶揄した記事が載り、心底そう思ったことである。発展する都市は近くに空港を持っている。神戸などはわざわざ新しく海上に造ったのに、広島はせっかくあったものをなにを血迷ったのか山奥へ移転してしまった。本当に広島のことを考える人間なら絶対に湧いてこない発想である。
二つ目は広島大学を東広島に移転させ、跡地利用に困ってなんと!マンションが建つということである。今までの場所が手狭なら、建物を高くすればよいしそのほうがはるかに安くできたのに。その都市を代表するような大学は少なくとも中心都市にあったほうがいいのは常識である。
三つ目は現在進行していることだが、広島市民球場の移転である。われわれ素人には移転する理由がわからない。ヤード跡地を利用するためというが、今の場所で補強して使うことも可能という専門家の意見もある。これもまず初めに移転ありきということか。球場の移転はまだご愛嬌という部分もあるが、前の二つは将来にわたって広島のためにならないと思うのである。

無常を感じる季節

平成19年9月3日(月)
昼間は結構暑い日もあるが、朝夕は涼しくなってきた。9月の後半から10月一杯が一年中でいちばんいい季節である。豊穣の秋であり、同時にもの悲しさを感じる季節でもある。不思議なことに冬になってしまうとそういう感傷はなくなる。秋、それも晩秋に特にそう感じるのである。多くの詩人がこの心境を詩に残している。
私の場合はさすがに感傷はないが、平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とか、般若心経の「色即是空、空即是色」はなるほど真実だとしみじみ思うのだ。どんなに盛んに見えても必ず終わりが来る、そして人は必ず死ぬ、まさに世は無常なのである。そう思わせる季節になったということである。